OKAYAMA KYOKUTO HOSPITAL
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院長のひとりごと

岡山旭東病院のホームページに訪問くださりありがとうございます。

院長のひとりごとは、毎週月曜日に発信いたします。

岡山を襲った豪雨から学ぶ

2018年7月17日発刊 | NO.547

平成30年7月6日から7日にかけて大雨が降り、各地に甚大な災害をもたらした。
岡山県では初めて大雨特別警報が発令された。
総社市下原地区では、豪雨と同時にアルミ工場の大爆発が発生し、更に被害を大きくした。
岡山市中心部でもその爆音が聞こえてきた。
そして、倉敷市真備地区では、小田川が氾濫して多数の犠牲者が出た。決壊した小田川、その支流の決壊もあって、多くの家屋が水没し、航空写真を映像で見ても、岡山では今まで見たことのない水没家屋や茶褐色の畑や田んぼが広がっていた。
岡山県内の死者61名、全壊家屋120棟、避難指示11,097世帯、避難所開設42カ所、断水約16,220戸である(7月15日午後8時 山陽新聞7月16日報道)。
この度の被災で亡くなられた方々には、心から哀悼の意を捧げます。
また、被災されて避難生活を余儀なくされている方々が、一日も早く平安な日々に戻られることを願うばかりである。
全国からは次々と支援の手がさしのべられ、約2,000人のボランティアが応援に駆けつけて下さっている。
毎日、極暑の中、被災者の方、ボランティア活動をしてくださっている方々が、熱中症や感染症などの二次災害が起らぬように願っている。 当院は旭川に沿った旭東地区に位置しているが、幸いにも今回大きな被害はなかった。
しかし、職員の住宅の床上浸水や、床下浸水は報告されている。
職員の親族となると多くの関係者が被災している。
これまで岡山県は、地震も少なく、『晴れの国おかやま』として、台風が来ても「たいがい大丈夫」という県民意識があったように思う。私も例外でなく、避難勧告がでていても、家にいる方が安全だなどの安易な考えで過ごしてきた。
この災害を私たち自身のものとして、防災マニュアルを見直し、防災の学習や避難訓練をこれまで以上に真剣に取り組んでいきたいと思う。

「こころよく働く」ために

2018年7月9日発刊 | NO.546

「こころよく働く」ために必要なことは
①組織に理念がある
②教育環境が準備されている
③適正な収入がある
④自分のやりたいことができる
⑤顔を合わせて挨拶が出来る
⑥笑顔がある
⑦いい上司がいる
⑧いい仲間がいる
⑨就業時間内に職場を離れることができる
⑩他者から褒められる
⑪学習ができる
⑫心身ともに満たされる(メンタルケアが出来ている、健康診断)
⑬余暇を自由につかえる
⑭勤務時間内に仕事を終えられる
⑮企業が成り立つ利益がある
⑯企業を通じて社会貢献が出来ている
⑰足るを知る


共に生き・共に育つ
「いつも力を合わせていこう」
「かげでこそこそしないで行こう」
「いいことは進んでしよう」
「働くことが1番好きになろう」
「何でも何故と?考えろ」
「いつでも、もっといい方法はないか探せ」  (佐藤藤三郎)
これは戦後まもない、1951年3月23日 山元中学校第4回卒業式の答辞の一節です。
このことが出来る環境を創っていくことが、職場においても、こころよく働くことにつながっていくことになると思う。

ジャーナリスト瀬戸川礼子氏は、いい会社づくりの正しい順番のイメージ(根→幹→果実)を著書に書いておられる。少しモディファイさせていただいた。

経営理念 理念
経営理念の確立と、理念を具体的に行動に移す経営指針書の作成と人材育成が「こころよく働く職場」を創っていくことになると思っている。


参考文献
①『「共に育つ」Part 1-教育のあるべき姿を求めて』中小企業家同友会全国協議会.
②長谷川礼子(2017)『「いい会社」のよきリーダーが大切にしている7つのこと』 内外出版社.

働き方改革~こころよく働く~

2018年7月2日発刊 | NO.545

『働き方改革法成立、初の罰則付き残業規制』という見出しで、平成30年6月29日(金)の参議院本会議で、自民・公明・日本維新の会など賛成多数で成立したとの報道がなされた。
非正規労働者の待遇を改善する「同一労働、同一賃金」など働く人の保護策を盛り込んだ。
残業抑制や過労死防止につながる効果が問われている。

人間が生きるということは、本来自己中心であり、このことは生命の特徴である。
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」という短編小説の中で、お釈迦様が極楽の蓮池の縁を散歩なさっているとき、地獄で罪を犯した人々が針の山や血の池で苦しんでいる様子が見える。
その中に、カンダダという人物がいる。
カンダダは人殺しなど悪いことをやったが一つだけ良いことをした。
林の中で、蜘蛛の子を踏み殺そうとしたが、これも小さいながら大事な命のある生きものだと思い、その生きもののけなげさに打たれて、殺すことをやめた。
お釈迦様は、カンダダに蜘蛛の糸を垂らして、救いだしてやろうとする。カンダダはその糸に気づき、その糸をさんざんな努力でのぼっていく。
一休みして下をみたら、数百、数千の罪人がその糸にぶら下がって、同じようにのぼってこようとしている。
そこで、カンダダは叫ぶ「下りろ、下りろ」と!とたんに自分の上で糸が切れて、地獄に真っ逆さまに落ちていった。 

震度8の巨大地震が起れば、誰でも我先に逃げていく。生命(いのち)の特徴は、自己中心であることは、万人の認めることである。
しかし、私たちは産まれた瞬間から、太陽や空気、水などの恩恵にあずかり、食物として他の命をいただいている。
それら他との依存でもって生命を永らえている。我々人間は、あるときは自己中心的に傾き、あるときには他者依存に傾く。
その間を選びながら人生という「ドラマ」を演じている。
働き方改革は、「同一労働、同一賃金」「残業代」に象徴されているように、お金がものごとの価値判断になっている。
こころよく働くという、労働の価値を『こころよく』に置いていないのは寂しいと思う。
大田堯先生は、「自己中心へ向かうベクトルと、他者依存へ向かうベクトルという、緊張する二つの柱を結びつけるにはどうしたらいいのか」の問いに対して、石川啄木の詩を紹介されている。
  「こころよく 我にはたらく仕事とあれ それをし遂げて 死なむと思ふ」 この内面からの『こころよく』が大切である。
働き方改革法案の中で、そのような『こころよく』働くことを目的とした働き方改革をしていきたいと思う。

参考文献:
大田堯著(2011)『かすかな光りへと歩む-生きることと学ぶこと』 一ッ橋書房, p105-192.

日本列島は地震列島~岡山も例外ではない~

2018年6月25日発刊 | NO.544

 岡山県は地震や台風、洪水など比較的自然災害の少ない地域である。阪神淡路大震災の時には震度3の揺れを経験したが、岡山に住んでいると、それでもすごい地震であったと記憶している。2018年6月18日、大阪北部で震度6の直下型地震が発生し、犠牲者とインフラの破壊が報じられた。
 私は6月20日に東京出張で宿泊した都市センターホテルの8階(日本都市センター会館)に「防災専門図書館」があるのを発見した。8階のエレベーターを降りると、スタッフの皆様が親切に説明をして下さった。昭和31(1956)年に開設し、地震や火災、事故や環境問題など様々な災害やその対策に関する約16万冊の資料を所蔵し、パネルが並べられ、パンフレットなどが設置されていた。そこで、三陸海岸を襲った生々しい津波の記録映像も拝見した。図書館のパンフレットには、防災、災害等に関する資料の収集とその活用・発信を通じて、住民のセイフティーネットとして貢献するため公益社団法人全国市有物件災害共済会により運営されていると説明されていた。また、『皆様のご利用ご活用お待ちしています』と書いてあった。日本では震度6以上を記録した地震が、30年間で20回以上あったとのこと。〈参考:気象庁 地震データベース:2011年4月現在。〉
 日本は歴史的に大地震で数え切れないほど多くの被害をうけ、今後もその脅威にさらされている。南海トラフ沿いの東海・東南海・南海地震などの海溝型地震、全国各地に存在する活断層による内陸型地震は、いつ・どこで発生しても不思議ではない。日本列島は地震列島である。岡山県は比較的地震の少ない地域であるが、南海トラフ沿いの大地震は近い将来発生の危機がある。病院においても病院のスタッフと共に、危機意識を持って日頃から震災に対する心構えと、防災訓練を行っていかねばと思う。「防災専門図書館」の存在を知り、多くの人が利用し、防災に活用されることを願っている。


参考  

「防災専門図書館」

URL:http://www.city-net.or.jp/library/

〒102-0093 東京都千代田区平河町2-4-1(8階日本都市センター会館)

国民病として恐れられた「結核」

2018年6月18日発刊 | NO.543

 先週の木曜日(6月14日)、当院のパッチ・アダムスホールにて、第119回岡山旭東病院地域連携カンファレンス・感染管理勉強会が開催された。岡山県健康づくり財団附属病院長の西井研治先生に「一般病院における結核患者の早期発見とその後の対策」の演題でお話しいただいた。当院の職員・近隣の医師・コメディカルスタッフなど150名を超える聴講者があり、関心の高さが窺われた。
 結核は、明治以後、昭和の時代(20年代)にかけて、国民病と言われ、国を挙げて治療・予防に取り組んできた。画期的な治療法は1944年、ワックスマンが放線菌から作りだしたストレプトマイシンで、劇的な治療効果で結核は不治の病ではなくなった。続いて、パス(PAS)、イソニアジド(INH)等、更に多くの「抗菌薬」が開発された。当院の一般財団法人操風会の創業者の1人である父 土井健男は、シベリアの抑留から帰国し、結核治療専門病院(東山病院)を設立して、昭和28年~昭和30年代まで多くの結核の患者さんを支えてきた。その後、徐々に結核患者は減少した。
 日本では、結核は解決済みの疾病と思われていたが、日本の結核罹患率は2010年に人口1万人あたり、18.2人で、10人以下となっている欧米に比較すると、結核の罹患率は高く、世界の中では「中蔓延国」とされている。原因は、高齢化によって、若い時に罹患した結核の再発や、結核に対する関心が少なくなり、早期発見、予防が遅れていることがあげられる。更に、結核の蔓延国であるアジア諸国からの旅行者に感染者がいて、結核菌感染が広がっているという実態がある。当院でも、年間に2~3症例が、結核と診断されている。「結核は昔の病気」ではないことを医療者も一般の市民も認識していることが大切である。
 日本が長寿社会になってきたのは、若い人たちが結核で若くして命を落とすことが少なくなったことも貢献している。化学療法の進歩・診断技術の進歩・感染予防・豊かな食生活などを支えた先人のお蔭であることを感謝して生きていきたいものである。

戦争とは何か

2018年6月11日発刊 | NO.542

 1人ひとりに聞くと、『戦争はいやだ』というにも関わらず、人類の歴史は戦争の歴史といっても良い。世界中で争いがあるが、交渉だけで問題は解決しない。その時には、武力を持って自分たちの我を通そうとする。
 人類(ホモサピエンス)は13万年前にアフリカの大地を跡に世界中に広がっていった。その過程で、民族が生まれ、国が形成されて、その間での紛争は絶えない。戦争で使う武器も時代と共に進化してきた。投石やこん棒に始まり、鉄器の武器・弓矢・火薬・戦闘機・戦艦・潜水艦・ミサイル・原子爆弾・水素爆弾・ロボット兵器・ITを使った情報戦争など留まることはない。殺傷能力は限りなく大規模になっている。軍需産業は大きくなり、一大産業でビジネスとなっている。
 第一次世界大戦の後には国際連盟が設立されて、二度と戦争をしないと誓ったにも関わらず、日本も加わり、第二次世界大戦が勃発した。76年前の1941年12月8日、日本の真珠湾攻撃から始まった太平洋戦争では、欧米諸国・中国などの連合軍と苛烈な戦争が3年に渡って繰り広げられた。他国民の2,000万人ともいわれる犠牲者をだし、日本国民も300万人以上の犠牲者をだしている。硫黄島の戦い、沖縄での地上戦の苛烈な戦いが米軍の記録映画に残っている。日本人もアメリカ人も多くの犠牲者をだしている。更に、広島・長崎への原爆投下で何十万人に上る民間人の犠牲者をだし、今なお、被ばくによって世代を超えた後遺症が報告されている。
 1945年8月15日、日本は無条件降伏を受け入れた。そして、二度と戦争をしない国に生まれ変わった証として「平和憲法」「教育基本法」がセットで制定されと学んできた。ドイツでも、ヒットラーが率いるナチス政権が、人種差別政策を推し進めて多くの犠牲者をだし、戦後ニュールンベルグ裁判を契機に新しいドイツを目指している。そして、国際連合が結成されて平和の先頭に立って欲しいと思うのに大国のパワーゲームが繰り広げられている。
 私たち一人ひとりの問題として、自分の子や孫の時代のこと、そして人類の将来を考える時期に来ているのではないかと思う。民主主義を守るためには、一人ひとりが選挙に参加して自分の頭で考えて選挙に参加することが最も必要なことであると思う。戦争は、知らぬ間に足元に近づいてくる。私たちの医療サービスは平和であってこそ成り立つ。いまのままでは人類の未来は破滅しかないように感じている。

参考文献:
①安保法制違憲訴訟の会 編(2017)『私たちは戦争を許さない—安保法制の憲法違反を訴える』岩波新書.
②對馬達雄(2015)『ヒトラーに抵抗した人々—反ナチ市民の勇気とは何か』中公新書.

2018年6月4日発刊 | NO.541

 蛍は田舎に行けばどこにでもいるものだったが、少なくなっていた。最近は農薬の散布の減少や浄化槽の整備などにより、川がきれいになったおかげで蛍が帰ってきている。 先日、私が幼少の頃育った吉備中央町井原に住んでおられるKさんから、蛍が出ていますよと連絡があった。日曜日でNHKの大河ドラマ「西郷どん」を観ることにしていたが、録画にして、またとないチャンスと家族で蛍を見に行ってきた。旭川の支流(豊岡川)の小川に沿って蛍(ゲンジボタル・ヘイケボタル)の乱舞を見ることができた。昭和20年代の子どもの頃にはあたりまえに見られた光景を眺め、昔が思い出された。

 おじいちゃん、おばあちゃん、隣のおばさん、同級生の友人などみんな亡くなってしまった。遊びほうけて、夕暮となり、もの悲しいカナカナ蝉の声、フナやハエなどの魚釣りや、沢ガニをとりにいった日々を思い出す。田んぼや段々畑、水車小屋も藁屋の古い家屋もあった。岡山県下三大祭りの加茂大祭に、井原の八幡様の階段を若い衆が神輿を肩にかついで、急な石段を降りてくる風景や、樹齢500年を超える杉や桧に覆われた総社宮での、獅子舞、棒使いなどの演舞が昨日のことのように思い出される。友人とニッケの置いてある物置でニッケの皮をかじったこと、トマト畑でトマトを食べたこと、砂糖瓶から砂糖をとってなめたことなど、走馬灯のように思い出す。小学校の頃には、まだ疎開してきていた子ども達がいて、田舎の長田小学校も賑やかであった。今は、学校も廃校となり「長田ふれあいセンター」になっている。校庭にあった二宮金次郎の像が今も跡地に建っている。子どもの頃には大きな道、大きな川と思っていた世界が、今では過疎地となって、若者はほぼ出払った静かで小さな古里になっている。イノシシや猿、狸も出没すると聞く。

 日本は、自然に恵まれて、四季折々の豊かな自然がある、都会に都会にと人が移動するが、もっと古里を大切に、時には帰って自然の中に身をゆだねたいと思う。「ほたるこい、 ほたるこい、故郷の山河が呼んでいる。」

重職心得箇条

2018年5月28日発刊 | NO.540

 重職心得箇条は、大臣の心得として佐藤一斎先生(1772~1858)が、自分の出身の岩村藩のために選定した藩の十七条の憲法で、これが「重職心得箇条」です。佐藤一斎先生は、幕府の昌平黌の塾頭(今の大学総長)であった。一斎は当時天下各藩の志ある者で先生の人物、学問に傾倒し教えを受けなかったものはいないといわれるほど、非常に広い感化を世に及ぼした人である(文献①からの引用)。
 大臣の心得に現代にも通じるリーダーのあり方が書かれている。その中で、心を打つ名言がある。大臣たる者の心得の中に「平素嫌いな人を能く用いると云う事こそ手際なり。此の工夫あるべし」人間というものは好き嫌いがあって、いやだ、嫌いだとなると、とかくその人を排除しようとする。たとえ自分の気に入らない者であっても「正しいこと」「それなりに理がかなっている」「例え人に評価されていない者」であっても、その人の持ち味、隠れた才能を見つけ出して、その才能や、やる気を引き出して活用する。それが、重職(リーダー)たるものの手腕である。現在でも、上司が部下を活かす大切な心得であると思う。

参考文献:
①安岡正篤(1995)『佐藤一斎「重職心得箇条」を読む』致知出版社.
②香川昇(2016)『人の上に立つものの17の心得 ― 佐藤一斎「重職心得箇条」に学ぶ』時事通信社.

職場のモチベーションUP

2018年5月21日発刊 | NO.539

モチベーションをあげるものは何か
① 給与が高い
② 社長や上司に褒められる
③ 上司や同僚との絆を実感したとき
④ 人のお役にたったとき
⑤ 同僚から感謝される
⑥ お客さんに感謝される
⑦ 自分がやりたいことが出来たとき
⑧ 仕事にやりがいを感じたとき
⑨ 仕事を通じて業績を上げたとき
⑩ 自己実現〔自分の夢が実現できたとき〕
などを挙げることが出来る。
 職場は、生活の糧を得るところであり、製造業であれば自ら働いて商品を作り、サービス業であればサービスを提供して、その対価として収入を得て生活の糧とする。公務員は公務を通じて市民に行政サービスを提供して給与を頂く。同時に職場とは、人間らしく生きるための場所であり、生涯学習の場でもある。職場も様々あり、組織が大きいか、小さいかの違いもあるが、仕事の質の向上を目指すことに変わりはない。それぞれの場所で、『置かれたところで、咲きなさい』である。(渡辺和子先生の言葉)
大田堯先生は「生命の特徴」を ①ちがう ②かかわる ③かわる であるという。
 命の特徴の1つは、ひとりひとりちがう。言い換えれば「自己中心的である」ともいえる。しかし同時に、1人では生きていけない。かかわりあいの知恵を学び、自分を変えていく。学ぶとは共に夢を語ることでもあると思う。青虫が蛹になって、蝶々に変身していくように、人間も学んで変わっていきたいものである。
 会社や組織には目的となる経営理念(志)が大切で、理念は「坂の上の雲」であり、それに向かって歩むことが職場でのモチベーションのアップにつながっていくのではないかと思う。経営理念に向かって、  
いつも力を合わせていこう
かげでこそこそしないでいこう
働くことが一番すきになろう
いいことはすすんでしよう
なんでも“何故”と考えろ 
いつももっといい方法はないか探せ (昭和26年中学校卒業式の答辞 佐藤藤三郎)
「念ずれば花ひらく」という坂村真民先生の詩があるが、念じて実践することによって、更に己のモチベーションを上げることが出来るのではないかと思う。

参考文献

渡辺和子:1927年生まれ、2016年逝去、ノートルダム清心女子大学教授・理事長を歴任、『置かれた場所で咲きなさい』など著書多数 
大田堯:1918年広島県生まれ、教育研究者、元東京大学教育学部部長、元都留文科大学学長、2011年には大田堯先生のドキュメンタリー映画「かすかな光へ」を作成(監督 森康行)全国700カ所で上映中。「100歳の遺言」大田堯・中村桂子共著
坂村真民:明治42年生まれ、97歳で逝去、多くの著書があり国民的詩人とし敬愛されている。詩「念ずれば花ひらく」は多くの人に親しまれている。

サイバーナイフにかける夢

2018年5月14日発刊 | NO.538

 サイバーナイフリニューアル(M6)記念講演会・祝賀会を平成30年5月12日、岡山県医師会館・ホテルグランヴィア岡山にて開催いたしました。参会者は約100名でした。当院のスタッフも各職種から多数参加し、共に学びを深めました。リニューアルに際して建築を担当してくださった、UR設計・大林組、新機種(M6)の導入を担当頂いたアキュレイ(株)・千代田テクノル(株)の皆さまに心より感謝しています。
 当センターは、2000年6月に発足いたしました。スタンフォード大学脳神経外科教授アドラー先生の画期的な発想によって、定位放射線治療装置の専用機として開発されました。そのアイディアに魅了されて、国内3台目、世界で8台目として当院に導入しました。サイバーナイフは馬場義美先生、津野和幸先生、現在日本赤十字医療センターサイバーナイフセンター長 佐藤健吾先生などの定位放射線治療チームによって、転移性脳腫瘍・髄膜種・脳動静脈奇形・頭頸部腫瘍など、約4,500症例に対して治療をおこなってきました。サイバーナイフの治療対象は、現在まで脳腫瘍を中心とした頭頸部が主体でしたが、体幹部の定位放射線治療の適応が、肺がん・肝細胞がん・前立腺がん・腎がんなど全身の悪性腫瘍(がん)にも拡がってまいりました。
 この度の記念講演の演者では、神戸低侵襲がん医療センターの西村英輝先生、新百合ヶ丘総合病院の宮崎紳一郎先生にサイバーナイフ治療についてのお話しを頂きました。また、座長の労をとって頂いた岡山大学放射線科教授 金澤右先生、脳神経外科教授 伊達勲先生には心より感謝しております。記念講演に参加下さった医師や放射線物理士、放射線技師、看護師、事務職、管理者の皆さまにとって有意義な時間となったことと思います。定位放射線治療は今後、全身対応に向けて進化していくものと思います。サイバーナイフの治療が頭頸部から始まりましたが、高齢者にとって侵襲の少ないサイバーナイフが体幹の癌治療にも貢献し、経営理念である「快適な人間味のある温かい医療」の夢の実現の1つとなりますよう願っています。

ブッポウソウ

2018年5月7日発刊 | NO.537

 吉備中央町下土井に腰痛の神様で有名な「横山様」が祭られている。その近くに毎年遙かインドネシアのジャングルから、波頭を越えて渡ってくる渡り鳥のブッポウソウを見に立ち寄った(平成30年5月4日)。その日の朝、一つがいのブッポウソウが帰ってきたという、10人ばかりのカメラ愛好家の皆さまが、巣箱に帰ってきた鳥の姿を撮影しようとカメラをセットして陣取っていた。
 ブッポウソウは、森の宝石と言われているように、口嘴が赤く羽は濃い青色で、鳩よりやや小振りの美しい鳥である。この鳥は絶滅危惧種にも指定されている。全国に飛来してくる場所は幾つかあるが、吉備中央町に飛来する渡り鳥を保護するために、町をあげて取り組んでいる。ブッポウソウ吉備中央町会事務局長を務めていらっしゃる中山良二さんは、全国から訪れる愛好家のために、ブッポウソウの巣箱近くに撮影場所を設置して便宜をはかっておられる。
 岡山大学農学部の研究者によってブッポウソウの生態の研究もおこなわれている。ブッポウソウは5月に飛来して、卵を産み、子育てをして、帰っていく。子育ての時期には、トンボなどの餌を捕獲して、ひな鳥に餌を与えるので、頻繁に巣に帰る。その姿を写真におさめる。コンクールも毎年開催されている。
 渡り鳥のように、国境もなく、自由に行き来できる、人種差別なく、戦争のない平和な世界を実現していく、大宇宙大和楽の世界は人類の夢である。

「美しい眺め」 坂村真民

やってきた
渡り鳥たち
呼びかけている
一本の木よ
そのやさしさよ 

注) 大宇宙大和楽 : 坂村真民の言葉

生命(いのち)を輝かす - ルース・スレンチェンスカ -

2018年4月23日発刊 | NO.536

2018年4月21日(土)東京サントリー大ホールで開催されたルース・スレンチェンスカ ピアノリサイタルにいってきた。ルースさんは、世界的なピアニストで、92歳まで現役のピアニストとして、円熟のテクニックと魂に共鳴する音楽で多くのファンを魅了してきた。

2003年の台湾で、当時78歳だったルースさんと、岡山市で歯科クリニックをされている三船文彰医師(高名なチェロ奏者)は運命的な出会いを果たした。その三船先生とのご縁で、2017年までに9回の来日をされ、岡山で開催した2005年1月の80歳記念を兼ねたラスト・コンサートを含め、20数回のコンサートをおこなっている。岡山でのラスト・コンサートを記録したNHKの「ラスト・コンサート」や、2007年4月の醍醐桜への奉納演奏をまとめたOHKの「千年桜が初めて聞いたピアノ」は全国的な感動を呼んだ。

コンサートは東京サントリー大ホールを満席にして、93歳という高齢を感じさせない、美しい、心ときめかす演奏であった。最後はスタンディングオベーションとなって、アンコールに応えられた。 三船先生のご尊父を記念する「劉生容記念館」のコンサートでお会いしたときの、知的で温かい、人柄に触れたことを思い出す。三船先生によると毎日、ピアノの練習を8時間されるとのこと、凄まじい精進です。お手本などと言えないぐらい凄いと思う。 ルースさんの生き様を拝見して、私も自分なりに生命を輝かして精進をしていきたいと思う。

注: 文中のルースさんの記事の多くは、ルース・スレンチェンスカ ピアノリサイタルのパンフレットからの引用である。

切り絵の楽しみ

2018年4月16日発刊 | NO.535

 私は約8年前、メイコー(株)社長である横谷敦子さんの手ほどきで「切り絵」を始めた。その後、毎春展覧会に参加させていただいているが、横谷さんのアドバイスと手直しでやっと作品になるという熱心さに欠ける創作活動である。 昨年、坂部信子先生(日本の切り絵の指導者)の研修に参加し、「毎日スケッチをすることが大切」と聞き、身近な野菜や果物、花、消しゴム、自分の手や指などなんでもスケッチしてきた。

先日、『岡山切り絵の会』の主催で開かれた坂部信子先生の研修会に、熱心な会員と一緒に今年も参加させていただいた。先生から「日本の切り絵」と「世界の切り絵」についてのお話があった。アジアの切り絵では中国各地に特色ある箭紙(せんし)があり古い歴史があること。韓国のソウルにも紙屋さんがあって、切り絵があること。タイにも影絵に使用する人形があり、切り絵の一種だと紹介された。ヨーロッパにも切り絵があり、ポーランドのカットペーパーはピチナンカと呼ばれている。童話作家で有名なアンデルセンも、切り紙の名手として沢山の作品を残している。メキシコの切り絵、ソビエトの切り絵と各民族特有の切り絵があることを知った。

日本の切り絵は、神事として古くから伝わっている。江戸時代から伊勢型紙の職人が染色の型紙を切ったものが今に残っているなど、切り絵は人類の歴史から見ると奥深い物だと感心した。現代風の日本の切り絵は50年の歴史であるが、紙の芸術として、山下清氏の貼り絵、高村智恵子氏の紙絵、吉原澄悦氏の切り絵などが有名である。外国では色を追い求める晩年のアンリ・マティスが紹介された。 日本の切り絵は中国からの影響を強く受けて発展してきた歴史があるが、風景や日常の生活の営みを題材にして、より芸術的な作品が作られているように感じる。

坂部信子先生は、毎日スケッチ、旅先では45分あれば風景や人物など切り絵の題材を常にスケッチされるとのこと。何事も手を抜かず追及していくことが「楽しみ」となっていくのではないかと思った。坂部信子先生の指導で、横谷敦子さんや会員の皆様によって岡山きり絵の会が継続され、会報も第27号が発行されているのは心強い。 第31回岡山きりえ展が2018年5月15日(火)~20日(日)まで岡山県天神文化プラザで開催される。

参考:坂田信子氏のホームページ自己紹介記事より
 私は、1975年より「きりえ」の創作を始めました。日々の暮らしの中から「生きる喜び」をテーマに作品づくりをしています。1996年より、アジアの国々、中国、インド、タイ、チベット、ネパール、ブータン、ミャンマー、ラオス、ベトナム、韓国、カンボジア、インドネシアを訪れました。それぞれの国、地域における、人々の生活、自然に興味を抱き、生きる力強さ、その優しい瞳に魅力を感じ、自然と共に心豊かに暮らす人々を「きりえ」で表現してきました。最近は「アジアシリーズ」の観点から日本各地の風景・神社仏閣・人物をきりえで表現しています。 日本きりえ協会常任委員・東海きりえ美術会代表・名古屋栄中日文化センター講師・岡崎中日文化センター講師・熱田の森文化センター講師
坂田信子ホームページ「きりえの世界」

歩くということ

2018年4月9日発刊 | NO.534

 何故人間は歩くようになったのか?
人は二本足で歩くようになって手が使えるようになり、脳が発達してきた。「人はやる気になって二本足で歩いた」という教育哲学者である大田堯先生の説は納得させられる。 歩くこと、手を使うことで脳循環がよくなり、脳が活性化し、結果として人間の脳は進化してきたと言えるかもしれない。歩くことが、未知との遭遇、出逢い、新しい文化との交流、学問との交流などから知的好奇心が生まれ、脳の情報代謝はますます活発になってきた。21世紀に入って、AI(人工知能)やIOT(モノのインターネット)など情報が国境を越えている。人・物・金もグローバルに動いている。 人は加齢や病気で動けなくなると、四肢の関節痛や腰痛などが加わり、筋肉が衰えて歩きにくくなり、そして次第に歩くこともできなくなる。歩かなくなることは、脳の情報代謝と脳の働きを低下させ、認知症につながる。認知症の原因の一つに脳梗塞や脳出血・くも膜下出血など、脳の神経細胞や神経回路に障害を与えて、認知症にいたる血管性認知症がある。全認知症の中で、血管性認知症は20%程度といわれている。60%はアルツハイマー型認知症であり、現在、日本では500万人の認知症患者がいると推定されている。原因は、脳内にアミロイドベーター細胞が沈着して、脳の機能を低下させる。歩くことは、脳を活性化して、認知症の予防効果がある。歩くことによって外部の刺激をうける。人と人の出逢いと交流が脳を活性化させる。糖尿病の人は脳内にアミロイドベーター細胞がたまりやすくアルツハイマー型認知症になりやすいと言われる。歩くことによって、糖尿病の予防にもなる。それを防ぐには食べ過ぎないこと、運動することが大切である。ご飯や、うどん、饅頭、甘いものなど炭水化物を減量して、歩くこと(運動をする)を継続することによって認知症を予防できるとの研究もある。 病院・福祉施設だけでなく認知症や認知症の前段階の人も地域社会の一員として、家族は勿論、地域住民が共に助け合って、日常生活を営むことが、地域包括ケアシステムと言っても過言ではない。

参考文献:
長尾和宏(2016)『認知症は歩くだけで良くなる 認知症予防と改善に最良の方法は「ながら歩き」! 』山と渓谷社.

大田堯先生の百歳の遺言

2018年4月2日発刊 | NO.533

  「私のいのち」1942年ヒロシマ部隊の入隊。南方最前線へ送られた。被爆を辛くも免れるものの米国潜水艦により、乗船が撃沈され36時間南海を漂う。

願わくは、この世界の、核を含むあらゆる武器を棄却、ひたすら人民(ピープル)自治による平和な社会を望みます。

大田堯「百歳の遺言」藤原書店


 御著書とこの一文「大田堯生生の最期の言葉」が送られてきた。生命(いのち)の視点から教育を考えてきた大田堯さんと40年の生きものの歴史から、生命、人間、自然の大切さを学びとってきた中村桂子さん、教育が「上から下へ教えさとす」ことから「自発的な学びを助ける」へ「ひとづくり」ではなく「ひとなる」を目指すことに希望を託す。(著書の帯に記されていた文章)これは、大田堯先生の、ドキュメンタリー映画「かすかな光へ」にも一貫して流れる。  ひとり1人のユニークな持ち味を、育てる環境整備の必要性を「ひとなる」に表現されていると思う。現在、経済優先から人財育成が企業にとって好ましいこととされている。企業経営においても「人を物」として見るのではなく、ひとを「ひとなる」として自ら、満ちくる思いを具体的に実現できるように教育(共育)の環境整備をすることが、学校で求められる課題であると同時に、生涯学習の場である企業経営(病院も含む)にとっても革新的なかすかな光への道筋ではないかと思う。  大田堯先生の思索と行動の軌跡を追った映画「かすかな光へ」(森康行)の上映を岡山旭東病院パッチ・アダムスホールで随時開催の予定である。

参考(百歳の遺言 の著者紹介記事より引用)
①大田堯(おおた・たかし):
1918広島県生まれ、教育研究者(教育史・教育哲学)、東京大学名誉教授・都留文科大学名誉教授、日本子どもを守る会名誉会長、北京大学客座教授
②中村桂子:
1936年東京生まれ。JT生命誌研究館長・理学博士。ゲノムを基本に生きもの歴史と関係を読み解く新しい知「生命誌」を創出、その構想を1993年、JT生命誌 研究館として実現。

ゴルフと認知症予防

2018年3月26日発刊 | NO.532

 認知症の治療法は、世界中で研究が進められているが、有効な治療薬はまだ先のようである。アルツハイマー病では、発症の20~30年前から脳にアミロイドベーターが異常に蓄積して「老人斑」という染みができる。このアミロイドベーターはPETで画像として見ることができる。また、国立長寿医療研究センター(愛知県)や島津製作所のチームで開発した方法では、わずか0.5mlの血液に含まれる「アミロイドベーター」が検出できると報告された。現状では診断はできても、確実な治療法はまだない。
 しかし、最近の研究では、日常生活の過ごし方によって認知症を予防できるというデータが、国立長寿医療研究センターから報告されている。運動習慣のない65歳以上の男女106名をゴルフ教室と健康教室に分けて研究をおこなった結果、ゴルフ教室で週一回のペースでプレーし、半年間後、認知機能検査を実施して比較したところ、ゴルフ教室の参加者において、単語記憶能力が6.8%、物語を聞いて筋書きを書き思いだす「理論的記憶能力」が11.2%向上した。即ち、アルツハイマー病の予防には、①適度な運動 ②頭を使う活動 ③人との交流が有効であると言える。「ゴルフは認知症予防の条件にぴったりとあてはまる」と同センター予防老年学研究部長で、主任研究者の島田裕之が指摘している。ゴルフの愛好家にとっては嬉しい結果である。 ゴルフに限らず、テニス・野球・ジョギング・山登りなど仲間と交流し、適度な運動をすることが、健康長寿に貢献することは間違いなさそうである。

参考: 島田 裕之(しまだ・ひろゆき)
国立長寿医療研究センター 部長。平成15年北里大学大学院博士課程を修了(リハビリテーション医学)。東京都老人総合研究所研究員、Prince of Wales Medical Research Institute(Sydney, Australia)客員研究員、日本学術振興会特別研究員、東京都健康長寿医療センター研究所を経て、現在は国立長寿医療研究センターに所属。

30年後の医療サービス

2018年3月19日発刊 | NO.531

 少子高齢化問題は、出生率が向上しない限り解決困難な問題である。30年後には人口が1億人を切ることは推測されており、画期的イノベーションによってGDPが向上しなければ、財政的破綻から、国民皆保険・介護保険制度は破綻をきたし、民間保険が医療サービスの大きな役割を担っていくようになる。 急性期病院の平均在院日数は5日となり、病院自体のICU化、手術は外来に移行して急性期病院は半減することも考えうる。IOTの導入が進み(ロボット技術、遠隔医療、AIの一般化など)画期的治療や診断法(癌や認知症、難病の治療)が開発される。医療サービスが国境を越え、特に海外の富裕層への高度先進医療が提供されるようになる。 病院は「癒しの環境」などのアートや自然との融合が治癒力を高めることが常識になる。予防医学が重視され、健康寿命に向けて、国民意識の啓発がなされ、糖尿病・メタボリックシンドロームなどの病状の進行を防ぐ仕組みができあがる。保険制度も、「いつでも、どこでも、だれでも」が厳しくなっていくのではないかと杞憂している。疾病中心の医療から「心に寄り添った」人間中心の医療が細分化と統合化を互いに補完しながら進化していって欲しいと願っている。 私自身は、世界に冠たる国民皆保険制度そして介護保険制度の維持発展を願っている。

日中友好の交流に思う

2018年3月12日発刊 | NO.530

 いま、多くの国から日本を訪れる観光客が増え、2017年度、中国からも500万人が訪れている。その中には、病気や、健診を希望される人もあるのではないかと思う。中国と日本は、奈良時代に遡ると、遣隋使・遣唐使などを通じて多くの文化や宗教がもたらされ、政治体制(律令国家)など大きな影響があった。その文化は今も日本に残っている。岡山市日中友好協会を介して、多くの人の往来がある。岡山旭東病院もジャパン インターナショナル ホスピタル「JIH」の認証をうけて中国を含む海外からの健診や患者さんにも対応していきたいと準備をしているところである。 大田堯先生(元東京大学教育学部教授・都留文科大学学長を歴任)は生命の特徴を「ちがう、かかわる、かわる」であるとおっしゃっている。国や民族はちがう、当たり前のことである。しかし、人が1人では生きていけないように、国や民族も他との関わりなく過ごすことは不可能である。また、蝶は卵から青虫になって、蛹になって、蝶に変身していく。変わることが生命体の特徴である。同じように国や民族も常に変化していく。国も色々な文化や政治体制を変化させながら変わっていく。その中で、中国とも「共に関わり合いの知恵」を学び共に育ち合って友好を進めていきたいものである。医療を通じての交流も関わり合いの知恵の一つではないかと思う。

人生100年時代

2018年3月5日発刊 | NO.529

 厚生労働省は2017年9月15日の発表で、100歳以上の高齢者が6万7,824人と毎年増加していると報告している。私たちは、多くの高齢者が元気に生活できる社会を理想として社会を築いてきた。そのような社会にしていくために、戦後、新憲法の民主主義のもと、農業から商工業立国を目指し、経済の発展によって、高速道路の整備、新幹線、空港などの交通網の整備、水道・電気・ガスなど社会インフラの整備、社会福祉制度として国民年金制度、国民皆保険制度、介護保険制度、教育制度の充実などによって、私たちの衣食住が満たされ、各種インフラが整備され、快適な生活が出来るようになっている。
勿論、多くの社会問題が山積していることは周知のことである。しかし、世界中で76億人がこの地球上に生活していても、1日1ドル以下の生活をしている人が12億人以上もいるという。そう考えると、私たちはなんと恵まれた生活をさせて頂いているか、『有り難い』ことである。
長寿社会になっても、障害を持ったり、認知症になったりすることも大きな問題である。しかし、健康を維持する方法も研究されて、健康長寿の時代が近づいている。健康長寿に魔法の方法はないが、健診をして早め早めに、己の健康を自ら守り、適度な運動を継続することなども健康長寿につながる。人間は1人では生きてはいけない。友人をつくり、出来れば仕事を続け、家族関係を大切に、多くの事柄に好奇心を持ってチャレンジしていきたいものである。私たちひとり1人が脳の情報代謝を活発にし、脳の健康と体の健康に留意して健康な長寿社会にしていきたいものである。もちろん、世界が戦争のない平和であることが前提であるが。

文化は国境を越える

2018年2月26日発刊 | NO.528

認定NPO法人 岡山市日中友好協会総会において2018年2月10日、中国の学者、毛丹青教授①の講演「越境する日本文化と中国の若者たち」を聞く機会があった。毛先生は、25歳(1987年)の若い時代に、文化大革命の時代を中国で過ごした後、日本の三重大学に留学。一時、日本の商社にも勤務、日本の文化に関心をもって、日本の文化を中国の若者に知らせたいと「知日」という月刊誌を発行された。雑誌はベストセラーになっている。尖閣列島や靖国などの問題で中国と日本の間で政治問題が紛糾する中でも、中国の若者は、日本の文化に関心をもっていたと毛先生は話された。日本には、遣隋使・遣唐使の時代から多くの中国文化が渡ってきて、今の中国にはなくなっている文化が残っているものもあり、中国の古き良き時代が、息づいているという。

禅・茶・お寺・おもてなし・盆栽・漫画などの文化は国境を越え、日本への関心が高まり、500万人もの多くの中国の若者が、観光客として日本を訪れている。それに引替え、日本人は内向きになっていて、外国(中国を含めて)への関心が少なくなっているように感じる。戦後日本人は、アメリカに憧れて、多くの留学生が海を渡った。そして、アメリカから多くを学び、驚異的な高度成長を成し遂げて、1979年には[Japan as number One]と言われるようになった。今、中国の若者は、アメリカ・日本・ヨーロッパと世界中に向かっている。そして中国は、確実に世界に影響を与える国に成長している。私は文化の交流を互いに進めていくことによって政治の問題も少しずつ解決されていくのではないかと期待している。交通手段の発達・ITなどの情報手段の発達など人の往来がますます頻繁になっていく中で、文化交流が、人と人との絆を強固にしていくのではないかと思う。各国は軍拡競争でなく、文化交流の競争をしていきたいものである。


参考 ①毛丹青(神戸市外国語大学客員教員プロフィールより)
毛 丹青(まお たんせい)職位:客員教授、所属学科・グループ:中国学科、専門分野:中国語、中国文学、日本文化論、講義科目:「中国語講読」、経歴:1985 年 北京大学 東方言語学部 卒業、1987年 三重大学留学、1989年 白光水産に就職、1993年 神栄株式会社に転職、1998年 著述業に転身2009 年 神戸国際大学教授に就任。


②「ジャパン・アズ・ナンバーワン』(原題:Japan as Number One: Lessons for America)
社会学者エズラ・ヴォーゲルによる1979年の著書。 戦後の日本経済の高度経済成長の要因を分析し、日本的経営を高く評価している。日本語版は、広中和歌子・木本彰子の訳により『ジャパン アズ ナンバーワン: アメリカへの教訓』として、TBSブリタニカから英語版より1ヶ月遅れで出版された。日本人が日本特有の経済・社会制度を再評価するきっかけのひとつとなり、70万部を超えるベストセラーとなるなど、一世を風靡した。

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