OKAYAMA KYOKUTO HOSPITAL
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院長のひとりごと

岡山旭東病院のホームページに訪問くださりありがとうございます。

院長のひとりごとは、毎週月曜日に発信いたします。

人生100年時代に思う

2019年5月27日発刊 | NO.590

人類が望んでいた長寿社会が実現した。戦後の荒廃から、経済成長を経て、インフラも整備され、国民皆保険・介護保険・年金制度などが充実化されて、世界からも賞賛される国になった。しかし、少子化と高齢化社会に成り、人口減少が始まっている。
国は1000兆円にものぼる借金を抱え、国民の貯蓄を担保に国債を発行し続け、辛うじて、国家財政を支えている。世界に誇る国民皆保険制度も黄信号いや、赤信号が点滅している。
いまの資本主義社会も、金を儲ければ立派という社会でいいのか。日本も、経営者が欧米に比して報酬が少なく、国民全員が中流意識をもった時代から、格差社会になって来ている。人と人の絆が薄れて、社会との繋がりが希薄になってきているのではないだろうか。
働き方改革にしても「こころよく働く」ことが目的であるにもかかわらず、超過勤務を全て金に換算するのはいかがかと思う。ワークライフバランス憲章を遵守し、よりよい職場環境に向けて職員と共に実践していきたい。
『人生百年時代の「こころ」と「体」の整え方』五木寛之著に、大切なのは「あなたの心や体が喜んでいるということ」と書かれている。仕事も食事も遊びも同じだ。そのような社会を創っていくためには、1人ひとりが身の回りの自分のできることから、挨拶をする、整理整頓をする、掃除をする、笑いとユーモアを取り入れるなど、凡事徹底をしていくことが必要ではないかと思うが、いかがだろうか。

参考文献
①鍵山秀三郎(2017)『すぐに結果を求めない生き方』PHP研究所.
②五木寛之(2018)『人生百年時代の「こころ」と「体」の整え方』PHP研究所.
③鍵山秀三郎(1994)『凡事徹底』致知出版社.

おかやまあかいはな道化教室~あと一年で終了~

2019年5月20日発刊 | NO.589

2002年9月1日(日)、“ぼっけぇ仲良くなろうでぇ”をテーマに開催した、Dr.パッチ・アダムスの岡山講演を記念して始まった「おかやまあかいはな道化教室」も17年継続することができました。
Dr.パッチ・アダムスのメッセージ「私たちは、お金や権力を崇拝する社会から脱却し、同情と寛容を重んじる社会に移行していかなければなりません。愛情のこもった笑顔やユーモアで患者に接すること」その趣旨をくんで、岡山でのステージマネジャーを務めていただいた、友人である臨床道化師の塚原成幸氏を迎えて2002年から2019年の17年間、多くの参加者を得て、岡山旭東病院のパッチ・アダムスホールを会場で「なにげない日常生活の中に潜んでいる「笑顔の種」を、様々な人とのかかわりの中で発見しようという教室を開催してまいりました。参加された職業も様々で、老若男女、多くのホモ・サピエンスが集って、楽しく笑いやユーモアをどのように生活に取り入れて行くかを学んでまいりました。

17年間続いたおかやまあかいはな道化教室も、2019年6月2日(日)、9月8日(日)、12月1日(日)、2020年2月16日(日)で終了します。会場は、岡山旭東病院 パッチ・アダムスホール 13:00~16:00 参加費3,000円です。今年度はこの教室で取り組んできた「ユーモア・コミュニケーション」を皆様に体験してもらうのは勿論、さらに一歩踏み込んで、自分の体験したことを周りや仲間、そして職場や地域の人に伝えるにはどうした良いのか、一緒に考えていきたいと願っています。

17年間には、多くの人の出会いがあり、多くの絆が生まれました。「出逢いは永遠の薫り」(森岡マサ子氏)であり、笑いやユーモア・お金や権力を崇拝する社会からの脱却、同情と寛容を重んじる社会へのかすかな光への運動をさらに進めていきたいと願っています。詳細については、ホームページ「おかやまあかいはな道化教室」を開いて見てください。

おかやまあかいはな道化教室のチラシ
*塚原成幸:清泉女学院短期大学 幼児教育准教授 道化師・紙芝居実演家
おかやまあかいはな道化教室ホームページ
*DR.パッチ・アダムス:パッチ・アダムス(Patch Adams, 1945年5月28日 - )
アメリカ合衆国の医師。クラウンドクター。本名はハンター・キャンベル・アダムス(Hunter Campbell Adams)という。ワシントンD.C.の生まれ。トム・シャドヤック監督で、ロビン・ウィリアムズの主演による映画『パッチ・アダムス トゥルー・ストーリー』の実在のモデルである。ホスピタルクラウン、クリニクラウン(臨床道化師)を始めた人。現在も世界中でクラウニング活動の実践や、更なる普及に向けて講演活動をしている。日本にも講演会の為に何度か来日している。
「パッチ・アダムス」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2019年5月20日 (月) 14:20 UTC、URL: https://ja.wikipedia.org

心を育てる

2019年5月13日発刊 | NO.588

当院の放射線課責任者から「奈良少年刑務所詩集」~空が青いから白をえらんだのです~をお借りして、読ませていただいた。
詩の題材として、好きな色は何色ですか? Aくんが選んだのは「白」

「くも」 ~空が青いから白をえらんだのです~

Aくんは、普段はあまりものを言わない子でした。そんなAくんが、この詩を朗読したとたん、堰を切ったように語り出したのです。「今年でおかあさんの七回忌です。おかあさんは病院で「つらいことがあったら、空を見て、そこにわたしがいるから」とぼくにいってくれました。それが、さいごの言葉でした。おとうさんは、からだの弱いおかあさんをいつも殴っていた。ぼく、小さかったから、何もできなくて・・・・」A君が言うと、教室の仲間達が手を挙げて、次々に語りだしました。「ぼくは、おかあさんを知りません。でもこの詩を読んで、空を見たら、ぼくのおかあさんにあえるような気がしました」と言った子は、そのままおいおいと泣き出しました。
たった一行に込められた思いの深さ。そこからつながる心の輪。「詩」によって開かれた心の扉に、目を見開かれる思いがしました。

奈良少年刑務所とは、窃盗や殺人・麻薬の使用などの刑で収監された受刑者の矯正施設であり、その中で、社会性涵養プログラムを実践された寮美千子さんの編集によるもの。
「わたしに(詩の力)を知らしめてくれるとともに(人は変われる)ということを信じさせてくれた」と書かれていた。
子どもの頃の、過酷な環境、両親の離別、家庭内暴力などの生育環境、犯罪そのものは憎むべきことであるが、社会が犯罪者を作っているとも言える。関わり合いの知恵を学び、心を互いに育て合っていきたいものである。心と心の育ち合いは、家族との人間関係、職場での人間関係、社会での人間関係とも通じるのではないかと思う。
参考文献
寮美千子編(2010)『空が青いから白をえらんだのです―奈良少年刑務所詩集―』長崎出版.

庭の効用~心の癒し~

2019年5月7日発刊 | NO.587

久しぶりに我が家の庭の手入れをした。梅の花が咲き、河津桜についで、桜(ソメイヨシノ)も楽しませてくれた。春になって、薔薇やスズラン、クレマチス・牡丹が、そして芍薬も咲いてくれた。草花では、ツツジ・スズラン・クリスマスローズ・ミヤコワスレが目を楽しませてくれた。梅雨に入る6月には紫陽花の花が、彩りを添えて楽しませてくれると期待している。芝も雑草との共演である。今年はパンジーが長く咲いて新緑に華やかさを添えてくれた。
日曜日などに朝早く庭にでて、木や花木・草花をみると、憂きことも忘れて、心が癒される。

岡山旭東病院には、本職のガーデナーである那須綾子さんを始め、4人のスタッフがいて、四季折々の花や木々の世話をしてくれている。楽しんでくださる患者さんの免疫力を高める「癒やしの環境」に貢献してくれていると感謝している。

橘曙覽(たちばなあけみ)の詩に次のような詩がある。

たのしみは 朝おきいでて 昨日まで 無かりし花の 咲ける見るとき
(平成6年 当時の天皇・皇后両陛下が初めてアメリカを訪問されたとき、クリントン大統領が歓迎のスピーチで橘曙覽の歌を披露した)

たのしみは 草のいほりの 莚敷き ひとりこころを 静めをるとき
たのしみは 意にかなう 山水の あたりしずかに 見てありくとき
たのしみは 庭にうゑたる 春秋の 花のさかりに あへる時時

参考
岬龍一郎(2011)『清貧という生き方』PHP研究所.
注:橘曙覽は江戸末期、福井県で生まれた歌人。

令和の時代

2019年4月30日発刊 | NO.586

 2019年5月1日に、平成から令和にかわる。平成は、日本が関与した戦争が無かった平和な時代だったと言える。しかし、湾岸戦争・ISによる自爆テロなどによる多くの人災があり、阪神淡路地震・東北地方太平洋沖地震・津波・西日本豪雨災害、熊本や北海道の地震など各地での自然災害の多かった時代と言えます。少子高齢化が進み、生産人口の減少、GDPの減少が将来の経済に不安を抱かせます。また、これからAIの進歩によって、私たちの生活環境も大きな変化が起ってくるものと想像されます。
人間は他の動物と違って、自分の脳で判断して、今の社会を創ってきました。我々人類は宗教や文化の多様性を認めて、人を殺し合う戦争の無い世の中にすることも、可能ではないかと思います。令和の時代、世界人類が幸せに向かう時代となることを願う。

 「念唱」

 大宇宙の
 大念願は
 大和楽である

 大宇宙
 大和楽

 アーウン
 アーウン
 アーウン

 アーウン
 アーウン
 アーウン

「坂村真民」

坂村真民(1998) 『詩集 念ずれば花ひらく』 サンマーク出版

ゴルフの楽しみ

2019年4月15日発刊 | NO.585

私がゴルフを始めたのは、昭和48年の頃、脳神経外科専門医試験に合格したお祝いとして、松本圭蔵先生(当時岡山大学脳神経外科 助教授)に連れていってもらったのが最初であった。昭和50年に香川県立中央病院 脳神経外科に赴任したときにはゴルフが盛んで、時々コンペにも参加した。上達しないままに過ぎていたが、それでも友人達と楽しいゴルフを沢山経験した。昭和62年に岡山に帰って、病院経営や医師の仕事が忙しく、しばらくゴルフとは疎遠になっていたが、数年前から、ゴルフに誘ってくれる友人や同僚があって、これからの運動はゴルフにしたいと思うようになった。

昨年、本屋さんで見つけた「ゴルフレッスンの神様 ハーヴィー・ペニックのレッド・ブック」ハーヴィー・ペニック バド・シュレイク著 本條強=訳 日本経済新聞出版社から出版を拝読する機会を得た。この本を手にしてゴルフが身近で楽しい物になった。教え子たちが語るハーヴィーのこと。
●トム・カイト「ハーヴィーは誰をも平等に、その人にとって一番の方法を考えてくれます」
●ベン・クレンショー「『何か』を教えるのではなく、『どのように』表現するかに心を砕いていた人です」 著者のハーヴィー・ペニック氏が語った言葉がある「僕は全ての人を愛している。好きになれないと思う人にあったことがないんだ。それが60年以上、教えてこられた理由だと思う。プロでもビギナーでも。ボールが上手く打てるようにすることができたら、本当に鳥肌が立つほど嬉しいんだよ。いつでも夜、天井を見ながら、明日、どう教えようかと考える。すぐに適当な教え方を言わず、よく考えて翌日に言うことも有るんだ」
人柄が素晴しいことが伝わってくる。全世界で100万人以上に読まれている「伝説のレッスン書」で、「ステイ・ビハインド・ザ・ボール」「死ぬほど目標を定めなさい」など短い言葉の中にゴルフの魅力を伝えてくれている。私は、まだ100を切ったことがないが、ハーヴィー・ペニックの教えを生かし、友人との楽しいゴルフを今後も続けたいと思う。

2019年4月8日発刊 | NO.584

当院にも、『河津桜』『ソメイヨシノ』『八重桜』『しだれ桜』などの桜があり、少しずつ開花時が違って、患者さんや職員を楽しませてくれている。寒い日が続く3月には、駐車場にピンク色の河津桜が春の訪れを知らせてくれる。中庭のしだれ桜も3月末から4月にかけて満開となった。4月に入って西館病棟のソメイヨシノが満開である。
4月は、木や草が新芽をだして、新しい命の誕生を感じさせてくれる。療養環境と職場環境を快適にするために、施設管理課のガーデナーが4名(1名は庭園管理の専門職)で四季を通じて、木々のお世話・草花の水やりなど、いつも大切にお世話していただいている。患者さんからも、花や樹木をみると癒されると感謝されている。旧病院の玄関口に通じる農業用水路の土手に、平成2年頃に患者さんが2本の八重桜の若木を植えてくださったが、いまは大きくなって、4月の末から職員や患者さんを遅咲きの桜が迎えてくれる。

「花」何が一番いいか 花が一番いい 花のどこがいいか 信じて咲くのがいい  「真民」

「花」花には 散ったあとの 悲しみはない ただ一途に咲いた 喜びだけが残るのだ  「真民」

参考
坂村真民(2017)『坂村真民詩集百選』横田南嶺編,致知出版社

新人を迎えて

2019年4月1日発刊 | NO.583

岡山旭東病院の中庭にもしだれ桜が咲きはじめ、新しい職員を迎える4月1日(月)が巡ってきた。4月には大学や専門学校を卒業して入ってくる人や新天地を求めて新たな道を歩む人がいる。私はいつも「来たる人にはやすらぎを、去りゆく人には幸せを」と念じている。
新しく入職して共に仕事をすること、この出逢いは奇跡のようなものである。「出逢いは永遠の薫り」という森岡マサ子さんの石碑が当院のカフェ赤い鼻の庭に建立されている。その出逢いが、その後の人生において永遠の宝ものになってほしいと願っている。
「職場は貴方の晴れ舞台」だと職場の研修会などで話しているが、職場という舞台で、自分の役を演じていただきたい。自分の役を演じるためには、常に学び自分を磨いてほしい。良き舞台装置を提供するのが経営者の役割と責任だと思う。医師や薬剤師・看護師・保健師・管理栄養士・放射線技師・リハビリ療法士・介護福祉士などの医療職は、専門知識を学会や研修を通じて学び、また研究や工夫によって自分の技を磨いて欲しい。事務職も、担当する専門知識を深め、自分の技を磨いてほしい。同時に人間として、他との関わり合いの知恵を学んでいただきたい。生命の特徴は「ちがう、かかわる、かわる」であり、人は皆違って、それぞれに持ち味(違い)がある。そして、その関わりあいの知恵を学び、自分を変えていく、そのことが本当の学問ではないか。教育学者 大田堯先生の考え方を自分流に解釈している。
入職した職員、退職された職員の幸せを心から祈っている。「来る人にはやすらぎを 去りゆく人には幸せを」は岡山旭東病院を訪れる患者さんやお世話になった関連業者さんにも同じ思いである。

参考
「来る人にはやすらぎを 去りゆく人には幸せを」.ドイツにあるローテンブルクの城壁のシュピタール門にラテン語で書かれている銘文.

黙々徹底

2019年3月25日発刊 | NO.582

世の中には誰も
やりたくないが誰かが
やらねばならないことが
沢山あるそうしたことを
黙ってとことんまで
やり貫く人間なりたい


この言葉は、私の父「土井健男」の恩師である第六高等学校教授から頂いた色紙であるが、いつも私の部屋に飾っている。いまは、やりたくない仕事から逃げてしまうが、与えられた仕事をコツ・コツとやり続けることの先に、幸運が待っているのではないかと思う。

人生のあり方

2019年3月18日発刊 | NO.581

私たちは、生老病死を避けて通れない。生まれてから、幼少期・青年期・壮年期・老年期を迎えているが、人それぞれの舞台で自分を演じていると考えると、全ての人は素晴しい役者ではないかと思う。ある人は科学者として名声を博し、ある人は音楽家や医師を演じ、サラリーマンとして社会人を演じる人もいれば、やくざとして悪の修羅場で演技する人もいる。また、ある人は愛情深い母親を演じる。どの役がいいとか悪いとかではないが、それぞれに名演技をして最後には幕となる。
マルコム・カウリー著の「八十路から眺めれば」の文の中に「老人が最もよく生きられた環境や時代といえば、それは農耕社会や交易社会であり、過去の記憶を手放さない着実な共同体であり、社会の相対的安定の時期であった。(中略)この国が基本的には農業国であると言われたのは、もう昔のことである。狩猟採集民と同じように、私たちは老人を足手纏いと感じ、置き去りにすることや、どこか安息の地と思われる場所に追いやることを考えている。」
田舎から都会へ移動し、家族の絆が薄れているアメリカの現状と日本の現状は同じだなと思う。幸福な人生を選ぶとすれば、自己中心でなく、少しでも忘己利他の人生を歩みたい。それが人間社会を平和にし、戦争の無い、豊かな社会に繋がっていく道筋ではないかと思う。豊かな人生劇場となるように精進していきたいものである。

参考文献
マルコム, カウリー(2015)「八十路から眺めれば (文庫) 」小笠原豊樹訳,草思社.

中規模病院は何を考えるべきか

2019年3月11日発刊 | NO.580

400床以上の病院を大病院すると、当院のような202床の病院は中規模病院である。同友会大学第9講で慶応義塾大学経済学部 植田浩二教授から「我々の事業と地域をどうしていくのか?」の講義を受けた。変化の時代に「中小企業は何を考えるべきか」について5項目があげられた。中小企業を病院に置き換えると病院にも納得できる内容である。
1)時代の変化を見据える。
少子高齢・人口減少社会、慢性期疾患や認知症の増加など疾病構造の変化、患者減少、ITの進歩、先進医療への期待。
2)中規模病院の存在意義を改めて問い直す。
大病院で担えない特色を追求し、地域の医療福祉サービスに関わっていく。
3)地域・住民(人間)の豊かさ、生活、文化、共育、環境、食・・・に関わる。
医療とアートの融合:絵画展示・音楽コンサート・庭園・園芸・生け花・料理など、全てがアートであり、地域の生活が豊かになるように、病院文化の育成と共に育つ人材の育成。
4)中規模病院ならではの領域と可能性と価値の発見と意識化。
押し寄せる変化を意識し、活用しながらも、患者さん1人ひとりに人間味のある温かい医療サービスを提供し、感動をもって評価されるよう努める。そして、小回りのきく専門性を備えた中小病院ならではの価値を高めていく。
5)地域と、どのような関係を創っていくか。
当院の位置する13万人の居住する中区を中心に、病院・診療所・訪問看護・福祉・介護施設などの医療・福祉・介護施設や行政・町内会との協業によって健やかに過ごせる街づくりに役立つ活動をしていく。地域で推進している「なかまち~ずフェスティバルの開催」も活動の一部である。

岡山旭東病院は2019年4月1日から、公益財団法人になるが、医療を通じてより公益性のある活動を推進していきたいと思う。

凡事徹底

2019年3月4日発刊 | NO.579

25年前のことになるが、平成5年に岡山市で開催された鍵山秀三郎先生の講演会に参加し、その時の講演に心を打たれ、病院の周りの掃除やトイレ掃除などを実施している。また、ホテルに宿泊したときなどには、出来るだけ整理整頓して部屋をでるようにしてきた。しかし、中途半端で到底「徹底」となっていなかったと反省している。
最近、鍵山秀三郎氏の著書「あとからくる君たちへ 伝えたいこと」が、岡山市にある清秀中学校の教材の一つとして活用されていることを知り、感動した。著書の中に「一所懸命に掃除をすると、気づく人になれる。ルールを守るためにまず大切なのは、物事には(これをしてはいけない)ということがあると気づくことです。気づく人になるにはどうすればいいのでしょうか。気づく人間になるためには、一つは徹底した掃除をすること、そしてもう一つは、いつも人を喜ばせようという気持ちを持つこと。この二つがとても大切なんです」と書いてある。 鍵山さんは、「イエローハット〔株〕」の創業者で、創業以来続けている掃除に多くの人が共鳴し、日本のみならず外国にも掃除運動が広がっている。AIやICTの進歩に伴って、私たちの生活環境は変わっていくが、私たちが人間として忘れてならないことは、掃除をする、いつも人を喜ばせるという「心」を養う「凡事徹底」の日々の生活の大切さである。鍵山秀三郎先生の生き方に、あとから来る人は勿論のこと、多くの人が学んで実践していきたいものである。

参考文献
①寺田清一編(2017)『ビジネス成功のバイブル「凡事徹底」の心得』 SMART GATE Inc.
②鍵山秀三郎(2017)『すぐに結果を求めない生き方 ほんとうの幸せは目に見えない』 PHP研究所.
③鍵山秀三郎(2011)『あとからくる君たちへ伝えたいこと 』 致知出版社.

人が成長するということ

2019年2月25日発刊 | NO.578

生命の特徴は、1人ひとりが違っている。私たちには、両親とも違ったそれぞれの生き方がある。人生の設計図である遺伝子は、両親から受け継いでいるが、両親とは異なる1つの人間として生きてきた。同時に、人は1人では生きていけない。生まれて、両親や祖父母、叔父、叔母、保育園・幼稚園・小学校・中学校・高校・大学等の先生や友人、職場や隣近所だけでなく、日本中、世界中の多くの人に支えられて今まで生きてきた。そのことに感謝できる人になりたい。いや、人だけでなく、私たちが生きているのは、太陽があり、水があり、川や山があり、どれだけの恩恵に浴して今があるか考えることも大切である。
日本には四季があり、文化伝統が豊かであり、その中で育まれていることに気づく。人間は自己中心的ではあるけれども、自然や人と人との関わりがなければ、生きていけない存在であることに感謝すること。そして、自ら学び自分を成長させ、人や自然との関わり合いの知恵を学んで人間として成長することが人生の目標ではないか思う。
学ぶとは、人間力を高め、人間や社会との関わり合いの知恵を高めることであり、人間が成長するということではないだろうか。

学ぶこと・教えるとは

2019年2月18日発刊 | NO.577

先週(2019年2月15日)、高松国際ホテルにて開催された「故三宅昭二氏を偲び、学びを承継する学習会」に参加させていただいた。三宅昭二さんの経営者として、また人間としての姿勢は三宅さん自身の座右の銘であった、ルイ・アラゴンの「学ぶとは、誠実を胸に刻むこと。教えるとは、共に希望を語ること。」を実践された一生だったのではないかと思う。
誠実で、多くの人の絆を大切にしてこられた。香川県中小企業家同友会を、組織率日本一に成長させてこられた原動力でもあった。私にとって『三宅さんとの出逢いは永遠の宝物』である。学ぶこと、教えること、常に心していきたい。

参考:
ルイ・アラゴン」:フランスの小説家、詩人、批評家。ヌイイ=シュル=セーヌ出身。(2019年2月18日 (月) 11:53 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』

敬愛する先輩 三宅昭二氏を悼む

2019年2月12日発刊 | NO.576

三宅昭二氏は2018年8月21日に85歳で逝去された。香川県中小企業家同友会代表として、また相談役として、香川県中小企業家同友会の発展に貢献されてきた。全国組織の中同協の副会長としても同友会活動を牽引していただいた。
三宅昭二さんとの出会いは、私がまだ香川県立中央病院の脳神経外科主任部長として勤務していた時代である。1985年頃、香川県中小企業家同友会の主催で開催された教育講演会に参加した。講師は長野県にある篠ノ井高校の校長先生(若林繁太先生)で、演題は「教育は死なず」という素晴しい講演であった。その帰り「私もこの会に入会させて下さい」とお願いしたが、『この会は中小企業家同友会という中小企業の経営者の会』ということで入会を断られてしまった。しかし折角だからと名前と住所を書いて帰ると、その後、数年にわたって同友会の講演会などの案内状が届いたのである。
教育講演会の時、壇上に立って挨拶されていたのが「三宅昭二」代表理事であった。細身のお姿が今でも思い出される。そのご縁で30年間、三宅さんとの同友会活動を通じた公私の交流が続いてきた。
1987年に岡山に帰って、先に整形外科医院を開業していた弟と「脳・神経・運動器疾患の総合的専門病院」を創ろうと病院経営を始めた。そして、香川県中小企業家同友会事務局からの紹介で岡山県中小企業家同友会に入会した。岡山での同友会の発足は1979年であり、まだ若い同友会であった。経営理念に基づく理念経営、経営指針、共育など、私にとっては目新しいことばかりであった。1990年から2012年には岡山県中小企業家同友会の代表理事を務めさせて頂いたが、その間も三宅さんは岡山に何度となく足を運んで下さり、例会や記念行事に参加して頂き、多くの学びを頂いた。三宅さんは1990年から全国の中同協副会長として、香川県は元より全国の同友会会員への同友会運動の語り部としても貢献された。
私の日記に三宅さんの病状の記録が残っている。2018年8月3日、奥様から電話があり、地元のM病院に入院中で肺炎から後天性免疫不全症とのこと、呼吸器科の専門医師への要請があった。岡山M医療センターを紹介し転院が決まって入院された。8月4日11:00に面会。間質性肺炎との診断で一時は会話もでき回復の兆しがあったが、病状は好転せず、8月22日逝去された。日夜を問わずご家族が手厚い看取りをされた。
三宅産業(株)は「人間尊重の経営」を実践され、後継者を立派に育てて優秀な企業に発展されている。三宅さんは講演の中で「戦争中の体験から、平和なくして中小企業の発展はない」として、戦時中の人権蹂躙の悲惨さを訴え、また毎月発行された「サンサンだより」の最後のエッセイ(第143号)「地球温暖化対策について」に、2018年7月の西日本豪雨も「地球温暖化対策の遅れ」であると言及され、地球温暖化がもたらす地球環境破壊を食い止め、次世代へ美しいかけがえのない地球を美しいままで、次の時代に移行させていくために何が出来るのかを問いかけられている。自らフロン回収破壊工場を稼働されて実践されている。
同友会の共に育つ「共育」に共鳴して下さった大田堯先生は100歳で逝去されました。生命(いのち)の特徴は、ちがう・かわる・かかわるであると解りやすく説いて下さった。三宅昭二さんは、1人ひとりの違いを大切にし、多くの人に関わって、学び続け、かかわりあいの知恵を発揮された。大田堯先生の夢見た「かすかな光へと」歩み続けられてこられたと思う。
2月15日に高松国際ホテルで開催される「三宅昭二氏を偲び、まなびを継承する学習会」へ参加させていただく。ルイ・アラゴンの「学ぶとは誠実を胸に刻むこと 教えるとは共に希望を語ること」を実践された生涯であったと思う。常に学び続け、それを実践された三宅昭さんに心からの感謝の気持ちを捧げ、冥福を祈りたいと思う。

愛するということ

2019年2月4日発刊 | NO.575

友人達と開催している「読書会」で、20代のTさんが、鈴木晶訳の「エーリッヒ・フロム 愛するということ」を読んでくれた。
競争社会の中で、人と人との絆が薄れ、孤独が心をむしばむ。現在の資本主義の時代では、全ての事や物をお金が支配する世界となり、『愛するとは、真心とは、思いやりとは』など心のあり方を話し合う機会は少ない。
フロムは愛こそが社会生活の中で、より幸福に生きるための最高の技術であるという。

人生の目的は「幸せ」であるはずなのに、現代人は、愛に飢えつつもエネルギーの大半を成功・威信・金・権力というような目標を如何に手に入れるかに費やしており、愛する技術を学ぼうとはしていない。
「幸せ」をもたらす『愛』について、家庭や職場で話し合う環境が大切と思う。資本主義社会では物だけでなく、愛においても、『あなたが私にくれる分だけ、私もあなたにあげる』ということが一般的な原理原則となっている。
「汝自身を愛するように隣人を愛せ」という聖書の言葉もある。成熟した愛は「愛しているから貴方が必要」だという。私たちの職場においても、コミュニケーションの大切さを否定する人はいない。

人は、人との関わり合いの知恵が最も大切であり、「愛しているから貴方が必要」と心を開いて接していけば自ずと「職場が、家庭が心のオアシスになっていくのでは」と今回の読書会を通じて学んだ。

参考:エーリッヒ・フロム(1991)『愛するということ』 (鈴木晶訳) 紀伊國屋書店.

患者さんが求めているものはなにか

2019年1月28日発刊 | NO.574

私たちの病院には4つの経営理念がある。その一つに『快適な、人間味のある温かい医療と療養環境を備えた病院』とある。快適な人間味のある温かい医療や療養環境は、経営者、医師、看護師、薬剤師、コメディカルスタッフ、事務職など病院側が提供するものであるというひとりよがりの考えでなかったかと反省している。
現在、医療技術の進歩は急速で、ITの進化によって医療情報も身近なものとなってきた。また、国民皆保険制度においては財政の危機的状況を考えると大きな変化が来るような予感がする。そのような背景から、医療や介護サービスを受ける人と提供する人との間で新たな価値が生まれる時代に入ってきているのではないかと思う。病院は患者さんを待って、医療を提供すればいい時代から、患者さんや将来医療が必要とされる人との対話から新しい医療サービスの文化が育っていく気配を感じている。
現在、当院のある岡山市中区では、区内の病院や介護福祉施設のスタッフと地域住民との対話が始まっている。2019年3月31日(日)には、第3回なかまちーずフェスティバルが開催予定(会場:岡山ふれあいセンター)であり、住民との交流が楽しみである。

自然災害に向き合う

2019年1月21日発刊 | NO.573

岡山市南部は、一級河川旭川が市内を流れる広大な干拓地で、江戸時代から穀倉地帯として発展してきた。
江戸時代(1654年)に起こった大洪水が城下に甚大な被害をもたらしたことから、当時岡山藩(池田光政)に出仕していた陽明学者熊沢蕃山の提案で津田永忠が工事を指揮したと伝えられる百間川がある。百間川を掘削して、水が増えた時には、旭川からそこに水を流す工事をおこなっている。
岡山市の津波ハザードマップによると病院を含む干拓地は、洪水や津波がやってくると海抜0m~2mで非常に危険である。干拓地には水路が多く、その水をポンプでくみ出している。そのため、水路に落ちて命を落とす人も絶えない。

岡山県は天災被害が少ないといわれ、台風は避けていき、火山も大地震の震源もなく、天候には恵まれ、先人の洪水に対する対策の下に「晴れの国岡山」と謳ってきた。その為か、岡山県人は災害に対する危機意識が、全体的に低いことが大きな欠点ではないかと思う。
しかし、昨年7月に西日本豪雨災害で、真備町を中心に甚大な被害が発生した。死者は225人で、今尚、仮設住宅生活を余儀なくされている人も多数いる。近年の豪雨は、地球温暖化の結果とも言われ、これから毎年襲ってくるのではないかと危惧される。

平成31年1月20日(日) 9:30~11:30当院のパッチ・アダムスホールを会場に、中区地域保健医療福祉介護連携懇話会「なかまち~ず」主催で、意見交換会が開催され、岡山市中区地区の住民(約50名)と医療・介護関係者(約30名)が集った。
「自然災害に遭ったら、どうすればいいの?」をテーマに、岡山市の消防署特別救助隊 隊長 原田健一氏には、ハザードマップを参考に、過去の災害の被害を無駄にしないために「私たちが求められているもの、それは命を守る行動」について、2014年広島土砂災害、2016年熊本地震、2018年7月の真備地区の豪雨など、実際に体験された災害現場の話も含めて講演を聞くことができた。
病院も住民の一員として、共に自然災害に向き合っていかねばと思う。企画運営に尽力下さった当院のスタッフ(MSW・地域医療サポート室)に感謝。

参考:岡山市津波ハザードマップ

産業廃棄物処理は人体の静脈系

2019年1月15日発刊 | NO.572

産業廃棄物は人間が作ったものであり、人間が快適な生活を維持するためには、適正に処理して、地球環境が汚染しないことが必須である。持続可能な社会を維持するためにも産業廃棄物の処理は極めて大切な事業である。2019年1月11日(金)、私と臨床検査課のFさん、施設管理のKさんの3人で廃棄物処理施設の視察に行ってきた。
山口県山陽小野田市(人口約5万人)にある共栄製鋼株式会社は、私たちの医療廃棄物を処理してくれている共栄製鋼グループの一つである。新山口駅まで岡山から新幹線で向かい、そこからローカル線に乗り換えて小野田駅に着いた。ニッポウ興産(株)の代表取締役のT氏が改札口で待っていてくださった。T氏からは、廃棄物処理は体に例えれば静脈であるとの説明を受け、心不全の原因の多くは静脈系の異常であると共感できた。ニッポウ興産は、姫路に本社があり、廃棄物の収集と共栄製鋼などの電動炉で鉄のリサイクル事業を展開している。
共栄製鋼株式会社 山口事業所のメスキュード部 主査のW氏に丁寧にご案内頂きながら、電動炉に医療廃棄物を投げ込んで、処理する課程を見学した。電気炉への鉄スクラップに医療廃棄物を投入して、炉に高圧電流を流して精錬し、鋼材を加工して圧延に至るまでの全行程を見学することができた。使用した水も最終的には、水蒸気にして煙突から煙として排出されていた。残留物質は、鉄鋼製品やスラブ(鋼滓は路盤材に使われる)に加工され再利用されている。電動炉に鉄スクラップの廃棄物を投入して高電圧を流し、大きな音響と共に閃光が閃き、熱く燃えた鉄材が流れる光景は感動的であった。ここでは、アスベストの廃棄物処理もしており、アスベストのとがった針状の形状が、炉に入れることで先端が丸くなり無害になるとのこと。スラブの中の金や銅の混じった混合物も分離して、金と銅に分離するなど、鉄鋼事業・環境リサイクル事業の素晴しい取り組みを見学させて頂いた。W氏によると、以前は中国で日本の産業廃棄物の処理をしていたが、今は中国も自国での産業廃棄物の処理を優先的に進めていて、日本は日本で処理をする方向になってきているが、アメリカ・ベトナムにも工場を稼働させているとのことであった。
人間の健康には静脈系の破綻が心不全を引き起こすように、人間社会の静脈系の担い手である産業廃棄物のリサイクルは社会からもっと評価されるべきと思う。
ご案内とご説明をして頂いた皆様に感謝。
参考:共栄製鋼株式会社 KYOEI STEEL パンフレット

大田堯先生の死を悼む

2019年1月7日発刊 | NO.571

2018年12月23日、大田堯先生が安らかに旅立たれ、長年身近な秘書として支えてこられたN.Sさんより「さいたま市の自宅で安らかに亡くなられました」との知らせを12月28日に受けた。
大田先生は『教育は生命(いのち)と生命が響き合うアートだ』といつも解りやすく、私たち多くの人々に訴え続けてこられた。

大田先生との出会いは、1994年の岡山県中小企業家同友会での第4回教育講演会「教育とは何かを問い続けて」に始まる。生命の特徴は「ちがう・かかわる・かわる」であり、人もこの生命の特徴を生かしていくことが、人類の未来への「かすかな光」であると様々な実践活動をされてこられた。

同友会では、教育を『共育(共に育つ)』と言っているが、大田先生はその考えを高く評価し、支援してくださった。中小企業は社員の数も少なく、経営者と社員が共に育ち合っていればこそ会社が成り立つものである。病院も全く同じであり、パートナーであるスタッフが経営理念に共感し、人間的に共に育ち合ってはじめて社会に貢献できるより良い病院になっていく。大田先生は石川啄木の歌「こころよく我に働く仕事あれ それをし遂げて死なんと思う」を引用しておられた。自らが選んで好きな仕事をする。そのような職場になっていくことを願っている。

大田先生は、都留文科大学長や日本教育学会会長を歴任。「教育とは何か」「大田堯自選集」など多数。学問的貢献を超えて、多くの人に、人が育つとはという難しいことを平易で解りやすく、話してくださった希有な学者であったと思う。晩年には「百歳の遺言」中村桂子氏との対談、「ひとなる」山本昌知氏との対談集が出版(藤原書店)されている。

大田先生の活動を記録映画「かすかな光へ」(森康行監督)がこれからも全国各地で上映されていくことを願っている。大田先生の死を悼み、かすかな光へと少しでも歩んでいきたい。

ご先祖のお墓に思う

2018年12月25日発刊 | NO.570

平成30年7月の豪雨により、先祖の墓の石垣が崩れたとの報告を受けた。明治から続いた古い墓地で、吉備中央町井原(旧長田村)の高台にある。
私は、戦中の疎開で祖父「土井須賀夫」・祖母「益」のもとで育てられ、廃校となった長田小学校に通った。
小さい時から坂道を歩いてお参りしていた墓は、盆の迎え火や肝試しの会場ともなっていた。
今も曾祖父から続いた古い家が残っている。昭和10~20年台は大家族で、いつも人が出入りしていた。
家には田んぼや多くの柿の木・水車小屋があり、小川にはハエやフナがいて、子ども達は川釣りを楽しんだ。
牛や鶏の声も聞こえてきた。田んぼの蛙の合唱も懐かしい。
当時は子どもが多く、川での水遊びなど懐かしい。夏の蝉(アブラゼミ)の合唱・夕暮れの寂しげなヒグラシの調べなど、常に先祖の墓を見上げて育ってきた。
今回、墓地の石垣が崩れたと聞いて、現在こうして生活できているのもご先祖様のお蔭であると思うと、何をおいても修復しようと決心した。
年に数回しかお墓参りをしていないせいか、先祖が寂しがっていたのかも知れない。私の知人である小坂田建設の社長に修復をお願いして、来年の春には着工とのことである。
過疎地の墓は、無縁墓となっている所が多いと聞く。また、最近では、樹木葬・宇宙葬・水葬(散骨)など形式が様々であるが、祖先がいたから故に私たち1人ひとりがいることを忘れてはならないように思う。
生命のある間は、先祖の墓を大切にしていきたい。

共に育つ

2018年12月17日発刊 | NO.569

今年度も岡山県中小企業家同友会で開催する社員共育大学の最終講義(2019年1月9日)を担当し、同友会の「共に育つ」の問題提起をさせて頂くことになっている。中小企業家同友会では、『21世紀は学習型企業を目指す』が大きな目当てであり、岡山旭東病院も学習型病院として「共に育つ」環境づくりを目指してきた。
大田堯先生の研究では、人間の特徴(生命の特徴)は、①違う、②違うんだけれど互いに依存している(かかわっている)、③変わる(人間は学び、関わり合いの知恵を学び自ら変わる)。この、ちがうこと、かかわること、変わること、の特徴を生かしていくことが「共に育つ」ではないかと思う。
私は、共に育つ環境を整備することが経営者の大きな役割と思っている。共育環境を整えるために、主に外部環境を整えることが経営者の役割である。理念経営をおこなっていくための経営指針書の作成・経理の公開などの透明性は勿論であるが、学ぶ環境や学習の機会を提供することも共育環境として重要である。ワーク・ライフ・バランス、子育て支援、超過勤務時間の短縮、企業によっては図書館の整備なども重要である。内部環境は、1人ひとりが目当てをもって「やる気」になって自ら学ぶ姿勢である。生命の特徴の「違う」をその人の持ち味として、出番が「やる気」の源泉になるのではないかと思う。生命のある限り、「共に育つ」というかすかな光へ向かって前進していきたいと願っている。
参考文献
大田堯(2011)『かすかな光へと歩む 生きることと学ぶこと』一ツ橋書房.

若さとは

2018年12月10日発刊 | NO.568

先日、とあるクリニックに年末の挨拶に訪れて、外来の待合室で待っていると、『三浦式健康法「心房細動」でもあきらめなかったエベレスト』という小冊子が目に留まった。「冒険家 三浦雄一郎さんインタビュー」とサブタイトルもあった。
文中に「どうしてそんなに若く元気でいらっしゃるのでしょうか?」の質問に答えて 「僕が若く元気に見えるとしたら、目標があるからです。エベレストの頂上では20歳でも90歳の肉体になるといわれています。80歳の僕は150歳になる。だから、エレベストに登るためには、結果として若返らなければなりませんでした。心房細動に対して、治療を受けながら目標(夢)に向かって『絶対にエレベストをあきらめない、登るのだ』という気持ちを最後まで捨てなかったですね。そういう“夢の力”みたいな人間の気持ちは、病気を乗り越えるためにもとても重要だと思います。」
三浦雄一郎さんの“夢に向かってチャレンジ”する姿勢が、人生百年時代を過ごしていく今の人たちに勇気をあたえてくれるものと思う。夢は何でもいい。絵を描く・俳句・旅行する・本を読む・ゴルフでエージシュート・ボランティア活動・語学の勉強などなど。
サムエル・ウルマンの「青春とは」という有名な詩がある。
Samuel Ullman Youth is not a time of life, it is a state of mind.
(青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。)
この詩は日本の高度成長時代に多くの人に勇気を与え、日本の戦後の復興に力を与えてくれた。
冒険家 三浦雄一郎氏の生きざまは、21世紀の多くの人に生きる希望を与えてくれるものだと思う。
参考文献 ①「『心房細動』でもあきらめなかったエベレスト」(三浦雄一郎 インタビュー記事),バイエル薬品株式会社パンフレット. ②「How to Stay Young」,『リーダーズ・ダイジェスト』1945年12月号.

人間力

2018年12月03日発刊 | NO.567

平成30年11月29日・30日、岡山県病院協会主催で毎年おこなっている病院経営管理研修会が開催され、上甲晃氏(元松下政経塾の塾頭)の「“人間力”を育てる」という講演をうかがった。
上甲氏は、松下電器(現パナソニック)の創業者(松下幸之助)が創設した政経塾の塾頭として、未来の日本の政治経済のリーダーを育てる仕事をされた。
松下幸之助の身近で学んだ「人間力を育てるには何が必要か」などを拝聴することが出来た。松下幸之助の成功の秘訣は何か。

①幸之助は学歴がなかったためか、人の話を聞く、最後まで聞く、何でも聞く、ことができた。
人間力を高めるには、聞く耳をもつことが大切である。聞くことは恥ずかしいことではない。
一人の才覚では何も出来ない。皆の知恵を集めることが大切である。
②幸之助は94歳まで生きたが、体が弱かったため、仕事を他人に任すことができた。
③幸之助の家は貧しかった。誰も助けてくれない状況の中で強くなれた。
依存心があって、「くれない族」ではだめだ。
④使っても、使ってもなくならないものは「やる気」であり、やる気こそが財産である。
上甲氏は、平成8年松下電気産業を退職(54歳)し、志ネットワーク「青年塾」代表として、人材育成のスペシャリストとして活躍中である。

参考文献
上甲晃(2018)『松下幸之助に学んだ人生で大切なこと』 致知出版社.

防災訓練からの学び

2018年11月26日発刊 | NO.566

11月22日、院内で防災訓練がおこなわれた。14時から防災訓練が行われることを事前に全館放送し、震度6の地震が発生した直後、病棟火災が起ったことを想定して訓練を実施した。院長・副院長その他の関連スタッフへの連絡網による電話連絡もおこなった。事前準備をしての訓練であったため、機敏な動作で、模擬消火器を使った消火活動、避難経路からの患者様(当院職員のダミー)の院内水平誘導、火災時の防火扉の閉鎖など出火時の対応がスムースにできたと思う。しかし、災害はいつ発生するかわからない。夜間などに地震に続く火災が発生した場合に備えて、訓練の時と同じように消火活動が出来るように日頃の準備が必要だと感じた。
院内での各部署(病棟・外来・ICU・手術室・事務所)などで、避難経路確認(避難路に不要な物が置かれていないか)消火栓・消火器・排煙窓の開閉場所など、それぞれの部署で日頃の確認と訓練が必要である。
訓練後には、病院から出火した経験のある関西労災病院の平井看護部長から講演をしていただいた。労災病院で病棟から出火した貴重な経験とその後のマネージメントの実情、日頃の訓練の大切さ、また地震などの災害時の地域医療機関・消防署・行政との連携・対応など学ぶことが多く、この学びを今後に生かしていきたいと認識を新たにした。BCP(business continuity planning)の中での防災計画を実践していくことの大切さを職員と共有していきたい。
SNSを使っての連絡網の整備、日頃から、防災に対する危機管理能力の育成、薬品・食料の備蓄場所の整備と確認、停電時の電子カルテ・画像検査・臨床検査機器・自家発電・水・灯油の確保・他の医療機関との連携など地域ぐるみの訓練も計画する必要があると感じた。
南海トラフの大地震・火災・洪水など災難はいつやってくるかも知れない。明日は、我が身であり、防災訓練からの学びを日々の活動に生かしていきたい。

参考
一般社団法人 日本病院会 災害医療対策委員会(2018)「病院等における実践的防災訓練ガイドライン [全国消防長会推薦]」(参照20018-11-26).

認知症への関わり

2018年11月19日発刊 | NO.565

認知症は長寿社会を迎えた結果であり誰でも関心を持って対応していきたい課題である。
当院に入院する患者さんも、認知症を合併してくる方が多くなってきていると実感している。
当院は、脳神経運動器疾患の総合的専門病院であり、他の病院より認知症の患者さんは多いのではないかと思っている。

11月17日・18日の2日間、福岡市駅前のファッションビル福岡で開催された、 認知症サポート医養成研修会(国立長寿医療研究センター主催)に参加してきた。
認知症の対応には、多職種連携が大きな課題の一つであり、病院をマネージメントする立場、地域医療を支援する地域医療支援病院、在宅療養後方支援病院の役割を連携の視点から認知症サポート医の必要性を感じて研修に参加した。

2025年には認知症の有病数は700万人に達すると試算され、5人に1人が認知症ということになる。
認知症は人間が長生きできる時代になったからこそ、老化とともに増えてきたものである。
アルツハイマー型、レビー小体型、前頭側頭葉型、脳血管性があり、中でもアルツハイマー型認知症が60%を占めている。
アルツハイマー型認知症の原因は、アミロイドベーターとタウという二種類のタンパク質が溜まることが発症の原因とされている。
現在、薬の開発にしのぎを削るっているが、いまだ開発には時間がかかると言われている。
診断法としてアミロイドベーターを画像化して見るPET検査があるが、高額で保険の収載はない。
最近では、安価な血液検査によってアミロイドベーターが測定できるようになってきた。
したがって、早期に 軽度認知症(MCI)の段階で診断がついて、生活の質を改善し、発症を予防することが期待されている。

岡山市の中心部でも高齢者の一人住まいの方などが増えていて、地域での見守り、病院、クリニック、福祉施設、公民館、行政などによって人と人のつながりを広めていくこと、そのことが、地域包括ケアシステムの目的ではないかと思う。
認知症サポート医師として、認知症と関わり、他職種との連携にも役立てたいと思う。

デジタル化の波

2018年11月12日発刊 | NO.564

 デジタル化の波は、金融サービス、音楽、ソフトウェアなどの市場を襲い、ネット市場でサービスのあり方を大きく変えた。また、スマートフォンアプリによるライドシェア(相乗り)の普及によってタクシー会社の存続さえ脅かされている。
デジタル化はあらゆる分野に押し寄せ、医療の世界でも、電子カルテ、サイバーナイフ等の定位放射線治療装置、病理診断、MRやCTの画像診断、遠隔診断、遺伝子解析など進化発展していくことは疑いようもない。
高度経済成長によって人の絆が失われ、無縁社会と呼ばれる中で、更に加速的にデジタル化の波がきて人間の社会が大きく変容していく。アナログ社会からデジタル社会になっても、私たちは愛する心、謙虚さ、元気、感謝など人間の「心」のあり方が人と人との絆を深め人間社会を豊にしてくれるのではないかと未来に希望をもっていきたい。

すべてのものは移りゆく 怠らず務めよ

2018年11月5日発刊 | NO.563

これは釈尊の残した言葉です。
諸行無常であり、つねに世の中のことは移りゆく。短い私の辿った道も。

大学を卒業し、脳神経外科医師を目指して岡山大学脳神経外科の西本詮教授の教えを受け、アメリカ留学もさせて頂いた。
昭和50年から香川県立中央病院に主任医長として12年間勤務の後、岡山に帰って弟の基之(整形外科)と共に脳・神経・運動器疾患の総合的専門病院を目指してきた。
理念経営を病院のマネジメントの基本として経営指針書を作成し、理念に向けて努めてきた。院長になって30年の間に、私の関係する分野でも医学の進歩や医療制度の激変、ITの驚異的進歩、少子高齢化社会の到来、地球環境の激変(温暖化)、リーマンショック、際限の無い軍事競争(核兵器など)などすべてのものが移り変わってきた。
「すべてのものは移りゆく」の真理は、人類が亡くなっても変わりなく宇宙の法則に沿って限りなく続いていく。

国民的詩人坂村真民さんの残した真言には「大宇宙大和楽」と「念ずれば花ひらく」がある。

「花と実」      真民
念ずれば
花ひらく
八字十音は
花であり

大宇宙
大和楽
六字十音は
実である

称えよう
この二大真言を
地球の平和と
幸福のため

私たち人類にとって、地球の平和と幸福は生きる目的である。

参考文献
「坂村真民の世界」,『人間学を学ぶ月刊誌「致知」』2004年2月号,致知出版社.

散る紅葉

2018年10月29日発刊 | NO.562

生を受けて78年の歳月がたちました。光陰矢の如しですね。
多くの人に出逢い多くの別れがありました。
「出会いは永遠の薫り(森岡まさこ)」です。
苦しかったこともありましたが、それがまた喜びにも変わっていきます。
生きるということは、人生劇場の舞台で与えられたその役を演じていくことです。
私たちが生活の糧をえる職場も舞台です。
「職場は貴方の晴れ舞台」だと思います。
与えられた役を最高に演ずるために、学び研鑽していけばいいと思うのです。
良寛の詩に「うらを見せ おもてを見せて 散るもみじ」がありますが、裏も表も見せて美しく終わればいいなと思う。

参考文献
良寛 (1995)『良寛さんのうた』童話屋.

かすかな光へと歩む

2018年10月22日発刊 | NO.561

“「違っていいんだよ」じゃなくて「違う」んです”
日本の社会と人間を見つめ、教育のありかたを問い続けてきた東京大学教育学部教授、日本教育学会会長、都留文科大学学長を歴任してこられた日本の教育研究者・教育哲学者 大田堯氏(100歳)・その軌跡を追ったドキュメンタリー映画「かすかな光へ」(2011年作成)の上映会を平成30年10月21日(日)岡山旭東病院(パッチ・アダムスホール)にて「ひとなる岡山」主催で開催された。
映画の冒頭に谷川俊太郎の詩が作者自らの声で流れる。
あかんぼは歯のない口でなめる
やわらかい小さな手でさわる
なめることさわることのうちに
すでに学びがひそんでいて
あかんぼは嬉しそうに笑っている

子どもは意味なく駆け出して
つまずきころび泣きわめく
にじむ血に誰のせいでもできぬ痛みに
すでに学びがかくれていて
子どもはけろりと泣きやんでいる

私たちは知りたがる動物だ
たとえ理由は何ひとつなくても
何の役にも立たなくても知りたがり
どこまでも闇を手探りし問いつづけ
かすかな光へと歩む道の疲れを
喜びに変える

老人は五感のもたらす喜怒哀楽に学んできた
際限のない言葉の列に学んできた
変幻する万象に学んできた
そしていま自分の無知に学んでいる
世界とおのが心に限りない広さ深さを

映画の題名「かすかな光」は、ひとは1人ひとり違うんだと互いに理解して、内面から学び己を変えていく、1人ひとりが争いのない世界へ、地球環境の保全、世界の平和という、そのかすかな光にむかって歩んでいきたいものである。

参考文献
大田堯(2011)『かすかな光へと歩む 生きることと学ぶこと』 一ツ橋書房.

アートときりたんぽ

2018年10月15日発刊 | NO.560

先日(10月6日)、秋田市で「第16回癒しの環境研究会全国大会2018」が、外旭川病院の穂積恒理事長を大会長として開催された。6日・7日の2日間の開催予定であったが、台風26号の為、6日のみの開催となった。それだけに内容の濃い学会であった。
学会テーマは「アートと癒しPart2」であり、アートのもっている癒しの効果を、互いに学ぶことの出来る素晴しい学会であった。アート作品である絵画・音楽・庭園・生け花・彫刻など全てが心を癒す。私は『食事もアートであり、病院で提供する心のこもった美味しいお料理こそが、病んだ心と肉体を癒し、医療効果を一段と高める役割を果たすことが出来る』と考えている。
秋田訪問の機会に、友人が郷土料理の店に招待してくださり、美味しい「きりたんぽ」をご馳走になった。「きりたんぽ」は秋田県の郷土料理である。これも素晴しいアート作品だ。「たんぽ」とは、元来、稽古用の槍につける綿を丸めて布に包んだものであり、杉の棒にご飯を潰して巻き付けたものを「きりたんぽ」(たんぽ餅)というそうだ。鶏(比内地鶏)のガラでとった出汁に、濃口醤油、日本酒と砂糖で醤油味のスープを作る。ゴボウ、マイタケ、鶏肉など煮えにくい素材から順に入れて、中火で煮立てる。それにネギをいれ、味が染みる直前でセリに火が通ったら料理が完成する。起源は、秋田県北部のマタギの料理だった。マタギが山から帰ってきて、残した飯を潰して棒につけて焼き、獲物のヤマドリや山菜、キノコとともに煮たり、味噌をつけて食べたそうだ。「きりたんぽ」のいわれの物語として面白いと思う。
日本は、地方に色々な郷土料理があるがそれを食するのは贅沢な楽しみである。招待してくれた友人に感謝している。
7日は台風のため飛行機が飛ばず、秋田県立美術館で世界最大級の藤田嗣治の大壁画秋田の四季を伝える「秋田の行事」をゆっくりと鑑賞し、秋田での数日、心も身体も癒されて、美味しい「きりたんぽ」を味わうことができ、台風一過の秋空の中を空路岡山にむかった。

参考
きりたんぽ」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2018年10月15日 (火) 13:53 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

人が育ちあう環境

2018年10月9日発刊 | NO.559

私は、脳神経外科医として香川県立中央病院に12年間勤務した後、昭和63(1988)年に整形外科医の弟(現財団理事長土井基之)と脳・神経・運動器疾患の総合的専門病院を目指して、岡山旭東病院をスタートした。香川県では中小企業家同友会活動が活発で、会員でなくても講演会などの案内をいただく機会があった。また、当時代表理事であった三宅昭二氏との出逢いが同友会への信頼を深め、『人間尊重の経営』と『理念経営』にも共感し、岡山県中小企業家同友会へ入会して病院経営をおこなってきた。

企業経営は利潤追求型でなく理念追求型でなければならない。同友会の3つの目的(良い経営者になろう・良い会社にしよう・良い経営環境にしよう)に共感して、同友会型経営(学習型企業)を推進してきた。中小企業や中小病院は、大企業・大病院と違って、なかなか初めから優秀な人材は集まらない。したがって、自分たちで人が育つ環境を作っていく必要があった。岡山県中小企業家同友会で企画されている社員共育大学、幹部社員大学、同友会大学の三本柱には、当院の多くのスタッフが参加させていただいた。業種も様々なため異業種の社員さんと触れ合う機会もあり、その中で多くの人材が育ってきた。同友会では、経営理念とビジョン・方針に沿った経営指針書を職員全員で作成すること、経理の公開も含めて、情報の公開をすることで人が育ちあう風土を育成してきたと思う。

「人が育ちあう組織」は、一日にして成らず、常にくり返し、実践していくことが、人が育つ組織風土に成長させてくれる。


参考

「会社を良くする社長学『なぜ社員と社長が一緒に学ぶのか』」,『PRESIDENT』,2018年10月29日号,p.136-p.141(岡山旭東病院の取材記事掲載)

死に方を考える

2018年10月1日発刊 | NO.558

人間は、生を受けて産まれ、やがて老い、病を得て、最後は死んでいくものである。鴨長明の「方丈記」の書き出しに、『ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまることなし。~中略~ 知らず、生れ死ぬる人、いずかたより来たりて、いずかたへか去る。また知らず、仮の宿り、誰がためにか心を悩まし、何によりてか、目を喜ばしむる。その主とすみかと、無常を争うさま、いわば朝顔の露に異ならず。或は、露落ちて花残れり、残るといえども、朝日に枯れぬ。或は、花はしぼみて露なほ消えず。消えずといへども、夕べを待つことなし。』とある。

鴨長明の生きていた平安~鎌倉時代の平均寿命は35歳。勿論、当時でも長生きした人はいると思うが、現代の寿命は、男女平均しても83歳である。公衆衛生の改善、各種伝染病の克服、抗生物質の発見、感染症の激減、診断治療など目覚しい進歩によって、多くの人が長寿を全うできる世の中となっている。それは先人が夢見た世界であり、先人達の置き土産だといえる。

日本国民は100歳を超える人が7万人になろうとしている。しかし、永遠に生きていけるわけでなく、老化は必ずやってくる。脳の老化は認知症に、全身の老化は多臓器不全につながっている。仕舞いを考えていく時間が与えられていると思うこともできる。勿論、脳卒中や心臓疾患にて突然に死を迎えることもある。それらの時に備えて、あらかじめ、本人を含む、家族や医療者や介護提供者などが一緒に話し合っていく、アドバンス・ケア・プランニング(Advance Care Planning : ACP)が厚生労働省の方針として出され、全国ですすめられている。意志決定能力の退化に備えて、終末期や今後の医療・介護について話し合うだけでなく、本人に代わって意志決定をする人を決めておくなどのプロセスも含めて、病院・施設・診療所とそこで働く多職種との連携などによって、1人ひとりの死に方に関わっていくことが、高齢化社会にあっての関わり合いの知恵ではないかと思う。

参考

厚生労働省「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」

蓮華(レンゲ)を休耕田に蒔く

2018年9月25日発刊 | NO.557

私の育った田舎(吉備中央町 井原)も過疎地域で、お貸ししていた田圃を維持できないと返してくださった。小さな川のほとりにある6反ほどの小さな土地であるが、前年まで稲作をされていた。稲を作ることが出来ないと、返してくださった田圃を放置していると、草や木が生えて荒れ地になることは想像できる。私が子どもの頃、稲作の後に蓮華を植えていて蓮華畑が美しい景観を楽しませてくれたことを思い出し、地域の景観が損なわれることが無いように、蓮華を植えることにした。
私の親友(故人)の奥さんが、近所の農家の方にお願いして田圃を耕耘機で耕してくださったので、9月23日(日)の11:20から長靴を履いて、田圃に入って、蓮華の種まきをした。黒っぽい籾のような種子で、手に種をもって広く蒔いた。うまく出来たかどうか、咲いた時の結果でみたいと思う。来年の春には「蓮華」の花が絨毯のように咲き、訪れる人々に「癒やしの景観」を提供してくれるのではないかと秘かに期待している。先祖が残してくれた家も守ってはいるが少々手がかかる。家の周りに、数十本の河津桜を植えており、これは毎年花を咲かせてくれている。桜と蓮華を楽しみに春を待ちたい。


参考
蓮華草(レンゲソウ)紫雲英(ゲンゲ)はマメ科ゲンゲ属に分類される越年草である。 レンゲとも呼ぶ。化学肥料が使われるようになるまでは、緑肥および牛の飼料とするために8-9月頃、稲刈りまえの水田の水を抜いて種を蒔き翌春に花を咲かせていた。これはゲンゲ畑と呼ばれ「春の風物詩」であった。
「ゲンゲ」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2018年9月25日 (火) 16:08 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

病院のサービスとは何か~生きていることの幸せ~

2018年9月18日発刊 | NO.556

 私たちの病院のサービスとは何か。私は経営理念を目的に病院経営を実践することが結果として病院の医療サービスになると考えてきた。
①安心して、生命をゆだねられる病院
②快適な、人間味のある温かい医療と療養環境を備えた病院
③他の医療機関・福祉施設と共に良い医療を支える病院
④職員ひとりひとりが幸せで、やりがいのある病院。
この4つの目的に向かって、毎年目標を掲げて経営計画を立ててPDCAを廻し、少しでも進化していきたいと願ってきた。しかし、医療を受ける患者さんの立場に立てば、最後まで「生きていることの幸せ」を実感していただける医療サービスこそが、当院だけでなく、当財団である『操風会』の医療・福祉サービスではないかと思う。
視点をかえることで新しいチャレンジを始められると思っている。スタッフと共に何ができるかを研究・工夫してみたいと思う。

努力

2018年9月11日発刊 | NO.555

先日岡山高島屋で開催された、有田焼の陶芸家で人間国宝(1995年)でもある、井上萬二氏の岡山高島屋開店45周年卒寿記念展にいってきた。
2005年に田渕和雄先生(佐賀医科大学脳神経外科名誉教授)の退官記念の引き出物として頂いたのが、萬二氏の湯飲みカップであった。そのご縁もあり、田渕先生の案内で萬二氏の工房を訪れたことがある。その時には、白磁の陶芸に対する情熱とペンシルベニア州立大学に講師として赴いた時の事などの話をうかがった。それから10年が経過して久しぶりの再会であった。萬二氏のギャラリートークを約30名のお客さんと聞かせていただいた。

「若いときには軍人に憧れ、海軍飛行予科練習生に進学して、忠孝の教えを受けた。終戦後、陶芸家に弟子入りしたが、給与は7年間なし。
昭和40年(1958年)、佐賀に陶芸の研究所(県立有田窯業試験場)ができ、その技官として入職した。月給15,000円であったが、10年間ひたすらに磁器の研鑽を積んだ。
1965年、アメリカのペンシルベニア州立大学から招聘され、給与は年間75万円(1ドル360円時代)であった。その時、兵学校で英語を学んでいて良かったと思った。
渡米までの3ヶ月、ひたすらに英語の単語を覚えたが、6ヶ月の大学生活では授業をするために毎日準備が必要であった。学生から、先生は何をしていたのかと聞かれた時には『鬼畜米英の教育をうけて、兵学校にいっていた』と神風スピリットで対応した。
滞在中にはフロリダ旅行などを楽しみ、帰国後は貯めたお金(300万円)を使ってヨーロッパを巡った。私の作品は自然からヒントを貰っている。鳴門の渦、麦、茄子、瓢箪など、何にでも関心を持って感性を磨くことが次の作品を生む。各地の護国神社にいくと、其の土地の偉人の碑がありそこから学ぶことも多い。空港に着いたら、まず何が何処にあるか観察しておくと海外にいっても困らない。観ることが勉強で、閃きが大切である」などとお話しされ、平素の努力を感じた。

人生は「努力」が最も大切である。どんなことでも、努力すれば道が開ける。努力の「努」は女偏に又と書いて力と書く。女は偉い!
努力をしていると、何事も道が拓ける。94歳にして努力を続けておられる井上萬二氏は、1時間近いギャラリートークをずっと立っておられ、頭も、目も、耳も達者であり、その姿に多くのことを学ばせていただいた。とても素晴しい講演であった。

やりがいのある病院

2018年9月3日発刊 | NO.554

 やりがいとは何か、『そのことをするだけの価値とそれにともなう気持ちの張り』と辞書には書いてある。やりがいは、生きがいにも通じる。仕事を通じての幸せにも通じる。
長島愛生園の精神科の職員として働いていた神谷美恵子医師は、ハンセン病の患者さんとのふれあいの中で、多くの人達と出会い、1966年「いきがいについて」を出版。 「平穏無事なくらしにめぐまれている者にとっては思い浮かべることさえも難しいかも知れないが、世の中には、毎朝目がさめるとその目覚めるということが恐ろしくてたまらない人があちこちにいる。ああ今日も一日生きて行かなければならないのだという考えに打ちのめされ、起き出す力も出てこない人達である・・・・・」と綴っている。そのような境遇であっても積極的な生き方を感じる人もいる。著者は「他者が、生きがいを与えることはできない。生きがいは潜在的にすべての人に存在している」という。
 生きがいを見いだすには、人間・言葉・自然と向き合う眼を開かなければならない、3つの眼の必要性を指摘している。①一つ目は師、つまり信頼する人物に向き合う眼。②二つ目は教典、信頼に足る言葉を見いだす眼。③そして三つ目は、自然のような語らざる何かと向き合う眼である。人間・言葉・自然を通じ、大いなるものの声を聞き、「生きがい」と出合う。
病院での職場環境を整備することは出来るが、他者(経営スタッフや上司など)が「やりがい」を与えることはできない。自分で、人間・言葉・自然から気づき、やりがいを見つけていくことが、経営理念の1つである「職員ひとりひとりが幸せで、やりがいのある病院」に近づけていくものと思う。

参考文献
神谷美恵子(2004) 『生きがいについて』 みすず書房
若松英輔(2018) 『NHK 100分 de 名著 2018年5月』 NHK出版

似顔絵セラピー

2018年8月27日発刊 | NO.553

平成30年8月26日(土)午前10時~14時で、第26回 岡山旭東病院・地域ふれあいフェスティバルが開催された。

今年のテーマは「笑顔でつながる地域のきずな~あなたがいればこそ~」。 

会場には、フードコーナー、アトラクション、道化教室のメンバー・職員による皿回し、バルーンアート、タイルを使ったワークショップ、生け花の展示、ジャズバンド・ゴスペルコンサート、健康教室・最後はビンゴ大会など楽しい時間を共有することができた。

このふれあいフェスティバルを支えて下さったスタッフや、多くのボランテアの皆さまに感謝の気持ちで一杯である。


またこの度、特別ゲストとして似顔絵セラピストの村岡ケンイチさんをお呼びした。似顔絵を希望する人の中から、抽選で当たった人の似顔絵を描いてもらった。私も含め、描いてもらうことで、癒されて幸せな気持ちになった。


「似顔絵セラピー代表:村岡ケンイチの言葉」をホームページから引用させて頂く。

「似顔絵を見てみんなで笑う、似顔絵を描くことでおこるコミュニケーションの不思議な輪を使って何かできないか?この思いは思わぬ形で転がり始めました。絵を描くところを見せ笑わせる。

これが病院関係者の目に留まり『病院に笑いを』と、似顔絵セラピーが始まります。

似顔絵セラピーは、見たままの状況を描くのではなく元気だった頃、楽しく働いていた日々や趣味に没頭していた時のことなどの話を出来るだけたくさん聞いて、イメージを膨らませながら描くところです。

患者さんだけではなく、ご家族の方も時には一緒に入ってもらいます。落ち込みがちな入院生活の日々の中に第三者が入り、今までともに歩んでこられた楽しかった何気ない日常を思い出し少しでも元気をだしてもらうのが一番の目的です。

似顔絵にはただ描くというのではなく、描いている行程をもちろん僕自身を含め、描かれている方、家族の方や周りで見ている方、医療スタッフの方みんなが楽しい気持ちで一体感を持つ事の出来る力があると感じています。

今後は似顔絵セラピーが医療の中で心のケアの1つとして使われ、病気で落ちこんでいる一人でも多くの方に喜びを提供していける様になれば嬉しいです。」


村岡ケンイチさんは、似顔絵セラピーのパイオニア。似顔絵という新しい癒しの文化が、広がっていけばいいなと思う。

日本人の当たり前

2018年8月20日発刊 | NO.552

『日本人にとっての当たり前は、世界にとっては素晴しいことだ』マンリオ・カデロ氏(サンマリノ共和国全権使)の記事が、「日本が誇る100のこと」に載っていた。

「日本人の思いやりの心の源泉には、神道が大きく影響していると思います。私はカトリック教徒ですが、神道の自然が神様、様々なものに神宿るという考えは、非常に理にかなっていると思います。神道の神々を現実として受け入れる日本人はいなくても、その存在を受け入れ、万物への畏敬の念や感謝の気持ちを持っており、それが日本人の言動に大きな影響を及ぼしていると感じています。日本人はどんなに偉業を成し遂げても自慢はしません。人間として尊敬できます。」マンリオ・カデロさんは40年日本に滞在されており、そこで感じた言葉である。

日本人が気づいていない素晴しい「心」の有り様を教えてくれている。整理・整頓・清掃・清潔・躾、凡事徹底、もったいない、山・川・太陽を拝む、相手への感謝の気持ち、ハガキ道、茶道、弓道、日本庭園や日本建築、日本料理、おもてなし、話し合いを根底にした日本的経営、義を明らかにしてその利を求めずの姿勢、相手の気持ちを考えたもの作り、内観など、数え上げたら幾らでもある。病院での「おもてなし」もさりげなく、相手の気持ちを考えた当たり前の医療サービスが出来れば、世界一の医療サービスになるのではと思っている。それが患者さんを引きつけ、世界からの患者さんをも引きつけるのではないだろうか。

参考文献

エイ出版社編集部(2018) 「日本が誇る100のこと (エイムック 4098) 」 枻出版社.

日本経済の問題点、中小病院の役割

2018年8月13日発刊 | NO.551

日本経済を支えているのは、99%の中小企業であり、病院でも70%の民間病院の内、大部分を占めるのは300床未満の中小規模病院である。

広島・長崎への原爆投下を経て、1945年8月15日に太平洋戦争が終わってから、日本は幸いにも戦争のない平和な73年を過ごし、現在に至っている。

戦後は、多くの都市が破壊され、病院は激減、生産手段も壊滅的状況にあったが、人口増・内需拡大型経済を高度経済成長のもとに達成してきた。

しかし、21世紀を迎えて、Made in Japan から Made by Japanに大きく変化し、輸出大国から、人口減・内需低迷型経済へ大きな転換を余儀なくされている。

少子高齢・人口減少社会を迎え、更に主要都市への人口集中が加速し、地域の過疎化は進行している。

日本経済を支えてきた地方の中小企業は、地域経済を支えていかなければ、東京一極集中へと向かう流れを変えることはできないのではないだろうか。

駒澤大学教授の吉田敬一先生は、岡山同友会第27期同友会大学第2講義(平成30年8月6日)の中で、地産地消ではなく、地産地商にしていかなければ、地域経済は疲弊していくと言われた。

地域でとれた産物を地域の商人が仕入れて販売すれば、地域の中でお金が回る。

しかし、地域でとれた産物・商品を、大企業が集めて販売すると、利益は本社がある東京に集中する。地域のお金が東京に吸い取られていく。

例えば、コンビニエンスストアなどは、全国から産物・商品を集め全国津々浦々で販売しているが、その利益は本社に集約されている。便利にはなったが、地域の活力や、人とひととの関わり合いは少なくなってきていると思う。

医療においても、東京の病院で行われる手術や治療(岡山でも出来る治療であっても)が、マスコミなどで大きく取り上げられると、わざわざ東京で治療を受け、治療費も東京で支払われる。銀行などでも同様で、人が都心部へ移動するのに伴ってお金も集中している。

岡山県(人口200万人)でも、人口減少が進んでいく中で、中小規模の企業・病院が、それぞれの特色を発揮して、社会の経済・福祉・文化を支えていかなければならないと思う。

中小企業憲章の中に「中小企業は、経済を牽引する力であり、社会の主役である。

我が国は、現在、世界的な不況、環境・エネルギー制約、少子高齢化などによる停滞に直面している。

中小企業がその力と才能を発揮することが地域経済を活気づけ、同時にアジアなど新興国の成長をも取り込む日本の未来を切り拓く上で不可欠である。」とあるが、中小規模病院の役割も同じであると思っている。

参考文献

「中小企業憲章」 (平成22年6月)閣議決定 経済産業省中小企業庁 事業環境部 企画課.

過疎地域を活かす工夫

2018年8月6日発刊 | NO.550

 毎年、お盆の時期には先祖の墓参りをしている。この夏にも、親族縁者で吉備中央町井原にある土井家のお墓の掃除とお参りをしてきた。

 私は、この村(旧長田村)にあった旧長田小学校に2年生まで通った。小学校跡地は現在、コミュニティーセンターとなって、地域の交流の場所になっている。小学校に通っていた頃は、まだ農業が盛んで、若い人も多く、地域のお祭りである加茂市祭りは村を挙げての賑やかなものであった。田んぼの稲刈り・田植えなど多くの人が助け合って農業をしていたように思う。田んぼには牛も入っていて、この農耕牛が今のトラクターの役目をしていた。人は牛や鶏と共生していたし、日本中何処へ行っても、農業が地場産業であった。

 しかし、昭和30年代から50年代(1955~1973年)の20年にかけて高度経済成長時代に突入した。工業化が進み、若者が職を求めて都会へ都会へと流れ、戦後の高度経済成長を支えていった。岡山県でも、三木行治知事の時代(1951~1964)に、水島コンビナートが開設され、農業県から工業県に大きく変化していった。平成の時代になると、田舎からは若者が消えて高齢社会となり、農業の担い手も高齢者がほとんどである。「定年後、田舎に帰れば、青年団」という時代である。

 田舎からは、わら屋・水車小屋・棚田など昔の姿は消滅し、日本らしい美しい景観も時代と共になくなってきている。子どもの数も減少し、小学校や中学校は統合され、田舎の商店や医療機関も少なくなった。田や畑にはイノシシが出没して農作物に被害を与え、猿も民家に忍び寄る状況である。田舎に行く道は舗装されたが、バスの定期運行は本数が少なく、自家用車が運転できなければ、買い物でさえ不便である。

 過疎の町村が昔の賑わいを取り戻すには、今までの発想では無理だと実感している。ではどうすればいいのか名案は浮かばない。しかし、発想の転換や働き方改革によって、その活路を見出すことはできるのではないだろうか。都会に住まなくても仕事のできる環境整備や、田舎といえども便利になっている道路網や通信網を利用した生活と仕事の安定化など、地域の暮らしを支えることができれば、豊かな自然環境の中で、多くの人がより心豊かに人生を送ることができるのではないかと思う。

 また、地域を活性化させる担い手として地元の中小企業がその役目を果たして欲しいと願っている。今が過疎地域を活かす工夫の生きる最後のチャンスかもしれない。

参考文献

河合雅司(2017) 「未来の年表 人口減少日本でこれから起きること」 講談社現代新書.

人生100年時代の生き方

2018年7月30日発刊 | NO.549

 先日、一区切りの仕事を終えて、新しい次のチャレンジに向けてスタートされた女性(田渕泰子氏)の卒業式に出席した。多くの支援者が集っての特定非営利活動法人LIFEの設立披露宴でもあった。ラジオアナウンサー(マスコミ界)を卒業して、次のステップに福祉界へ転身して15年間、地域交流イベント「ひまわりサロン」、メンタルヘルス教育「こころの病気を学ぶ授業」、街づくり会議「ひまわりカフェ」、障害者自立支援法施行の新事業開設など、様々な事業に取り組み、これらの事業を次の時代を担っていく若者を育て、次の目標に向かって「岡山大学大学院、教育学研究会修士課程教育科学専攻」に入学された。卒業は英語でコメンスメント(commencement)と言い、卒業ではなく「始まり、新しい生活の始まり」の意味がある。それは新たなスタートであり、次の夢に向かって挑戦である。心からスタートをお祝いしたい。田渕さんの、「唐突なご報告ですが」から始まる挨拶状の中に「研究をさらに深めて、マスコミでの15年間の経験、医療・福祉での15年間の経験と30年の現場経験を生かし、研究を今後の障害福祉、精神保健分野で貢献できるように精進してまいりたいと思います。メンタルヘルス教育『こころの病気を学ぶ授業』を岡山のみならず、全国に普及展開することで、当事者のいきやすい社会を構築できる一助になれたらと思っております。」とある。人生100年時代は、生命(いのち)は時間でもあり、その時間を使っていける時代に私たちは生きている。人生の中には多くの区切りがあり、青虫から、蛹に変身、更に美しい蝶々に変身していくように、人それぞれに新たなコメンスメントを演出して挑戦していくことが人生100年時代の生き方だなと感銘を受けた。

参考文献

山陽新聞メディカ掲載記事 

①共に生きる~メンタルヘルス教育普及をめざして~

②精神科医療からの町づくり 地域との架け橋「ひまわりサロン」 (掲載2018年06月04日)

http://medica.sanyonews.jp/article/9226

③精神科医療からの町づくり こころの病気を学ぶ授業 (掲載2018年07月02日)

http://medica.sanyonews.jp/article/9354

よきリーダーとは

2018年7月23日発刊 | NO.548

瀬戸川礼子さんの著書「よきリーダーが大切にしている7つのこと」を改めて拝読した。彼女はジャーナリスト・中小企業診断士で、宿泊・飲食産業の業界誌「週刊ホテルレストラン」の記者を経て2000年からジャーナリストとして独立。以降は、多様な業界で、働きがい、顧客満足、おもてなし経営、よきリーダーとは、などを主題に、全国の2,500社以上を取材。日本の経済を支えている中小企業のリーダーとは何かを問うている。

瀬戸川礼子氏は、よきリーダーとは「惜しみない人間愛を持って、人の輝きを引き出す人」だと。私は「こころ」を大切にする日本文化に根ざしたリーダーのあり方だと思った。さらに次の7つの在り方としてとらえている。 「数字より心を大切にする」「スピードより順番を大切にする」「満足より感動を大切にする」「威厳より笑顔を大切にする」「仕事に感情を持ち込む」「率先垂範せず主体性を大切にする」「効率より無駄を大切にする」

1つ1つ取材に基づいたリーダーのあり方である。利他の心で人の幸せを考え抜き、実践されてきた7つのエッセンス。これは、日本人ならではのリーダーシップ論と言ってもいいのではないかと思う。 私も、一歩一歩、経営理念という目的に向かって、歩んでいきたいと思っている。

 

参考文献

瀬戸川礼子(2017)『「いい会社」のよきリーダーが大切にしている7つのこと』 内外出版社.

岡山を襲った豪雨から学ぶ

2018年7月17日発刊 | NO.547

平成30年7月6日から7日にかけて大雨が降り、各地に甚大な災害をもたらした。
岡山県では初めて大雨特別警報が発令された。
総社市下原地区では、豪雨と同時にアルミ工場の大爆発が発生し、更に被害を大きくした。
岡山市中心部でもその爆音が聞こえてきた。
そして、倉敷市真備地区では、小田川が氾濫して多数の犠牲者が出た。決壊した小田川、その支流の決壊もあって、多くの家屋が水没し、航空写真を映像で見ても、岡山では今まで見たことのない水没家屋や茶褐色の畑や田んぼが広がっていた。
岡山県内の死者61名、全壊家屋120棟、避難指示11,097世帯、避難所開設42カ所、断水約16,220戸である(7月15日午後8時 山陽新聞7月16日報道)。
この度の被災で亡くなられた方々には、心から哀悼の意を捧げます。
また、被災されて避難生活を余儀なくされている方々が、一日も早く平安な日々に戻られることを願うばかりである。
全国からは次々と支援の手がさしのべられ、約2,000人のボランティアが応援に駆けつけて下さっている。
毎日、極暑の中、被災者の方、ボランティア活動をしてくださっている方々が、熱中症や感染症などの二次災害が起らぬように願っている。 当院は旭川に沿った旭東地区に位置しているが、幸いにも今回大きな被害はなかった。
しかし、職員の住宅の床上浸水や、床下浸水は報告されている。
職員の親族となると多くの関係者が被災している。
これまで岡山県は、地震も少なく、『晴れの国おかやま』として、台風が来ても「たいがい大丈夫」という県民意識があったように思う。私も例外でなく、避難勧告がでていても、家にいる方が安全だなどの安易な考えで過ごしてきた。
この災害を私たち自身のものとして、防災マニュアルを見直し、防災の学習や避難訓練をこれまで以上に真剣に取り組んでいきたいと思う。

「こころよく働く」ために

2018年7月9日発刊 | NO.546

「こころよく働く」ために必要なことは
①組織に理念がある
②教育環境が準備されている
③適正な収入がある
④自分のやりたいことができる
⑤顔を合わせて挨拶が出来る
⑥笑顔がある
⑦いい上司がいる
⑧いい仲間がいる
⑨就業時間内に職場を離れることができる
⑩他者から褒められる
⑪学習ができる
⑫心身ともに満たされる(メンタルケアが出来ている、健康診断)
⑬余暇を自由につかえる
⑭勤務時間内に仕事を終えられる
⑮企業が成り立つ利益がある
⑯企業を通じて社会貢献が出来ている
⑰足るを知る


共に生き・共に育つ
「いつも力を合わせていこう」
「かげでこそこそしないで行こう」
「いいことは進んでしよう」
「働くことが1番好きになろう」
「何でも何故と?考えろ」
「いつでも、もっといい方法はないか探せ」  (佐藤藤三郎)
これは戦後まもない、1951年3月23日 山元中学校第4回卒業式の答辞の一節です。
このことが出来る環境を創っていくことが、職場においても、こころよく働くことにつながっていくことになると思う。

ジャーナリスト瀬戸川礼子氏は、いい会社づくりの正しい順番のイメージ(根→幹→果実)を著書に書いておられる。少しモディファイさせていただいた。

経営理念 理念
経営理念の確立と、理念を具体的に行動に移す経営指針書の作成と人材育成が「こころよく働く職場」を創っていくことになると思っている。


参考文献
①『「共に育つ」Part 1-教育のあるべき姿を求めて』中小企業家同友会全国協議会.
②瀬戸川礼子(2017)『「いい会社」のよきリーダーが大切にしている7つのこと』 内外出版社.

働き方改革~こころよく働く~

2018年7月2日発刊 | NO.545

『働き方改革法成立、初の罰則付き残業規制』という見出しで、平成30年6月29日(金)の参議院本会議で、自民・公明・日本維新の会など賛成多数で成立したとの報道がなされた。
非正規労働者の待遇を改善する「同一労働、同一賃金」など働く人の保護策を盛り込んだ。
残業抑制や過労死防止につながる効果が問われている。

人間が生きるということは、本来自己中心であり、このことは生命の特徴である。
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」という短編小説の中で、お釈迦様が極楽の蓮池の縁を散歩なさっているとき、地獄で罪を犯した人々が針の山や血の池で苦しんでいる様子が見える。
その中に、カンダダという人物がいる。
カンダダは人殺しなど悪いことをやったが一つだけ良いことをした。
林の中で、蜘蛛の子を踏み殺そうとしたが、これも小さいながら大事な命のある生きものだと思い、その生きもののけなげさに打たれて、殺すことをやめた。
お釈迦様は、カンダダに蜘蛛の糸を垂らして、救いだしてやろうとする。カンダダはその糸に気づき、その糸をさんざんな努力でのぼっていく。
一休みして下をみたら、数百、数千の罪人がその糸にぶら下がって、同じようにのぼってこようとしている。
そこで、カンダダは叫ぶ「下りろ、下りろ」と!とたんに自分の上で糸が切れて、地獄に真っ逆さまに落ちていった。 

震度8の巨大地震が起れば、誰でも我先に逃げていく。生命(いのち)の特徴は、自己中心であることは、万人の認めることである。
しかし、私たちは産まれた瞬間から、太陽や空気、水などの恩恵にあずかり、食物として他の命をいただいている。
それら他との依存でもって生命を永らえている。我々人間は、あるときは自己中心的に傾き、あるときには他者依存に傾く。
その間を選びながら人生という「ドラマ」を演じている。
働き方改革は、「同一労働、同一賃金」「残業代」に象徴されているように、お金がものごとの価値判断になっている。
こころよく働くという、労働の価値を『こころよく』に置いていないのは寂しいと思う。
大田堯先生は、「自己中心へ向かうベクトルと、他者依存へ向かうベクトルという、緊張する二つの柱を結びつけるにはどうしたらいいのか」の問いに対して、石川啄木の詩を紹介されている。
  「こころよく 我にはたらく仕事とあれ それをし遂げて 死なむと思ふ」 この内面からの『こころよく』が大切である。
働き方改革法案の中で、そのような『こころよく』働くことを目的とした働き方改革をしていきたいと思う。

参考文献:
大田堯著(2011)『かすかな光りへと歩む-生きることと学ぶこと』 一ッ橋書房, p105-192.

日本列島は地震列島~岡山も例外ではない~

2018年6月25日発刊 | NO.544

 岡山県は地震や台風、洪水など比較的自然災害の少ない地域である。阪神淡路大震災の時には震度3の揺れを経験したが、岡山に住んでいると、それでもすごい地震であったと記憶している。2018年6月18日、大阪北部で震度6の直下型地震が発生し、犠牲者とインフラの破壊が報じられた。
 私は6月20日に東京出張で宿泊した都市センターホテルの8階(日本都市センター会館)に「防災専門図書館」があるのを発見した。8階のエレベーターを降りると、スタッフの皆様が親切に説明をして下さった。昭和31(1956)年に開設し、地震や火災、事故や環境問題など様々な災害やその対策に関する約16万冊の資料を所蔵し、パネルが並べられ、パンフレットなどが設置されていた。そこで、三陸海岸を襲った生々しい津波の記録映像も拝見した。図書館のパンフレットには、防災、災害等に関する資料の収集とその活用・発信を通じて、住民のセイフティーネットとして貢献するため公益社団法人全国市有物件災害共済会により運営されていると説明されていた。また、『皆様のご利用ご活用お待ちしています』と書いてあった。日本では震度6以上を記録した地震が、30年間で20回以上あったとのこと。〈参考:気象庁 地震データベース:2011年4月現在。〉
 日本は歴史的に大地震で数え切れないほど多くの被害をうけ、今後もその脅威にさらされている。南海トラフ沿いの東海・東南海・南海地震などの海溝型地震、全国各地に存在する活断層による内陸型地震は、いつ・どこで発生しても不思議ではない。日本列島は地震列島である。岡山県は比較的地震の少ない地域であるが、南海トラフ沿いの大地震は近い将来発生の危機がある。病院においても病院のスタッフと共に、危機意識を持って日頃から震災に対する心構えと、防災訓練を行っていかねばと思う。「防災専門図書館」の存在を知り、多くの人が利用し、防災に活用されることを願っている。


参考  

「防災専門図書館」

URL:http://www.city-net.or.jp/library/

〒102-0093 東京都千代田区平河町2-4-1(8階日本都市センター会館)

国民病として恐れられた「結核」

2018年6月18日発刊 | NO.543

 先週の木曜日(6月14日)、当院のパッチ・アダムスホールにて、第119回岡山旭東病院地域連携カンファレンス・感染管理勉強会が開催された。岡山県健康づくり財団附属病院長の西井研治先生に「一般病院における結核患者の早期発見とその後の対策」の演題でお話しいただいた。当院の職員・近隣の医師・コメディカルスタッフなど150名を超える聴講者があり、関心の高さが窺われた。
 結核は、明治以後、昭和の時代(20年代)にかけて、国民病と言われ、国を挙げて治療・予防に取り組んできた。画期的な治療法は1944年、ワックスマンが放線菌から作りだしたストレプトマイシンで、劇的な治療効果で結核は不治の病ではなくなった。続いて、パス(PAS)、イソニアジド(INH)等、更に多くの「抗菌薬」が開発された。当院の一般財団法人操風会の創業者の1人である父 土井健男は、シベリアの抑留から帰国し、結核治療専門病院(東山病院)を設立して、昭和28年~昭和30年代まで多くの結核の患者さんを支えてきた。その後、徐々に結核患者は減少した。
 日本では、結核は解決済みの疾病と思われていたが、日本の結核罹患率は2010年に人口1万人あたり、18.2人で、10人以下となっている欧米に比較すると、結核の罹患率は高く、世界の中では「中蔓延国」とされている。原因は、高齢化によって、若い時に罹患した結核の再発や、結核に対する関心が少なくなり、早期発見、予防が遅れていることがあげられる。更に、結核の蔓延国であるアジア諸国からの旅行者に感染者がいて、結核菌感染が広がっているという実態がある。当院でも、年間に2~3症例が、結核と診断されている。「結核は昔の病気」ではないことを医療者も一般の市民も認識していることが大切である。
 日本が長寿社会になってきたのは、若い人たちが結核で若くして命を落とすことが少なくなったことも貢献している。化学療法の進歩・診断技術の進歩・感染予防・豊かな食生活などを支えた先人のお蔭であることを感謝して生きていきたいものである。

戦争とは何か

2018年6月11日発刊 | NO.542

 1人ひとりに聞くと、『戦争はいやだ』というにも関わらず、人類の歴史は戦争の歴史といっても良い。世界中で争いがあるが、交渉だけで問題は解決しない。その時には、武力を持って自分たちの我を通そうとする。
 人類(ホモサピエンス)は13万年前にアフリカの大地を跡に世界中に広がっていった。その過程で、民族が生まれ、国が形成されて、その間での紛争は絶えない。戦争で使う武器も時代と共に進化してきた。投石やこん棒に始まり、鉄器の武器・弓矢・火薬・戦闘機・戦艦・潜水艦・ミサイル・原子爆弾・水素爆弾・ロボット兵器・ITを使った情報戦争など留まることはない。殺傷能力は限りなく大規模になっている。軍需産業は大きくなり、一大産業でビジネスとなっている。
 第一次世界大戦の後には国際連盟が設立されて、二度と戦争をしないと誓ったにも関わらず、日本も加わり、第二次世界大戦が勃発した。76年前の1941年12月8日、日本の真珠湾攻撃から始まった太平洋戦争では、欧米諸国・中国などの連合軍と苛烈な戦争が3年に渡って繰り広げられた。他国民の2,000万人ともいわれる犠牲者をだし、日本国民も300万人以上の犠牲者をだしている。硫黄島の戦い、沖縄での地上戦の苛烈な戦いが米軍の記録映画に残っている。日本人もアメリカ人も多くの犠牲者をだしている。更に、広島・長崎への原爆投下で何十万人に上る民間人の犠牲者をだし、今なお、被ばくによって世代を超えた後遺症が報告されている。
 1945年8月15日、日本は無条件降伏を受け入れた。そして、二度と戦争をしない国に生まれ変わった証として「平和憲法」「教育基本法」がセットで制定されと学んできた。ドイツでも、ヒットラーが率いるナチス政権が、人種差別政策を推し進めて多くの犠牲者をだし、戦後ニュールンベルグ裁判を契機に新しいドイツを目指している。そして、国際連合が結成されて平和の先頭に立って欲しいと思うのに大国のパワーゲームが繰り広げられている。
 私たち一人ひとりの問題として、自分の子や孫の時代のこと、そして人類の将来を考える時期に来ているのではないかと思う。民主主義を守るためには、一人ひとりが選挙に参加して自分の頭で考えて選挙に参加することが最も必要なことであると思う。戦争は、知らぬ間に足元に近づいてくる。私たちの医療サービスは平和であってこそ成り立つ。いまのままでは人類の未来は破滅しかないように感じている。

参考文献:
①安保法制違憲訴訟の会 編(2017)『私たちは戦争を許さない—安保法制の憲法違反を訴える』岩波新書.
②對馬達雄(2015)『ヒトラーに抵抗した人々—反ナチ市民の勇気とは何か』中公新書.

2018年6月4日発刊 | NO.541

 蛍は田舎に行けばどこにでもいるものだったが、少なくなっていた。最近は農薬の散布の減少や浄化槽の整備などにより、川がきれいになったおかげで蛍が帰ってきている。 先日、私が幼少の頃育った吉備中央町井原に住んでおられるKさんから、蛍が出ていますよと連絡があった。日曜日でNHKの大河ドラマ「西郷どん」を観ることにしていたが、録画にして、またとないチャンスと家族で蛍を見に行ってきた。旭川の支流(豊岡川)の小川に沿って蛍(ゲンジボタル・ヘイケボタル)の乱舞を見ることができた。昭和20年代の子どもの頃にはあたりまえに見られた光景を眺め、昔が思い出された。

 おじいちゃん、おばあちゃん、隣のおばさん、同級生の友人などみんな亡くなってしまった。遊びほうけて、夕暮となり、もの悲しいカナカナ蝉の声、フナやハエなどの魚釣りや、沢ガニをとりにいった日々を思い出す。田んぼや段々畑、水車小屋も藁屋の古い家屋もあった。岡山県下三大祭りの加茂大祭に、井原の八幡様の階段を若い衆が神輿を肩にかついで、急な石段を降りてくる風景や、樹齢500年を超える杉や桧に覆われた総社宮での、獅子舞、棒使いなどの演舞が昨日のことのように思い出される。友人とニッケの置いてある物置でニッケの皮をかじったこと、トマト畑でトマトを食べたこと、砂糖瓶から砂糖をとってなめたことなど、走馬灯のように思い出す。小学校の頃には、まだ疎開してきていた子ども達がいて、田舎の長田小学校も賑やかであった。今は、学校も廃校となり「長田ふれあいセンター」になっている。校庭にあった二宮金次郎の像が今も跡地に建っている。子どもの頃には大きな道、大きな川と思っていた世界が、今では過疎地となって、若者はほぼ出払った静かで小さな古里になっている。イノシシや猿、狸も出没すると聞く。

 日本は、自然に恵まれて、四季折々の豊かな自然がある、都会に都会にと人が移動するが、もっと古里を大切に、時には帰って自然の中に身をゆだねたいと思う。「ほたるこい、 ほたるこい、故郷の山河が呼んでいる。」

重職心得箇条

2018年5月28日発刊 | NO.540

 重職心得箇条は、大臣の心得として佐藤一斎先生(1772~1858)が、自分の出身の岩村藩のために選定した藩の十七条の憲法で、これが「重職心得箇条」です。佐藤一斎先生は、幕府の昌平黌の塾頭(今の大学総長)であった。一斎は当時天下各藩の志ある者で先生の人物、学問に傾倒し教えを受けなかったものはいないといわれるほど、非常に広い感化を世に及ぼした人である(文献①からの引用)。
 大臣の心得に現代にも通じるリーダーのあり方が書かれている。その中で、心を打つ名言がある。大臣たる者の心得の中に「平素嫌いな人を能く用いると云う事こそ手際なり。此の工夫あるべし」人間というものは好き嫌いがあって、いやだ、嫌いだとなると、とかくその人を排除しようとする。たとえ自分の気に入らない者であっても「正しいこと」「それなりに理がかなっている」「例え人に評価されていない者」であっても、その人の持ち味、隠れた才能を見つけ出して、その才能や、やる気を引き出して活用する。それが、重職(リーダー)たるものの手腕である。現在でも、上司が部下を活かす大切な心得であると思う。

参考文献:
①安岡正篤(1995)『佐藤一斎「重職心得箇条」を読む』致知出版社.
②香川昇(2016)『人の上に立つものの17の心得 ― 佐藤一斎「重職心得箇条」に学ぶ』時事通信社.

職場のモチベーションUP

2018年5月21日発刊 | NO.539

モチベーションをあげるものは何か
① 給与が高い
② 社長や上司に褒められる
③ 上司や同僚との絆を実感したとき
④ 人のお役にたったとき
⑤ 同僚から感謝される
⑥ お客さんに感謝される
⑦ 自分がやりたいことが出来たとき
⑧ 仕事にやりがいを感じたとき
⑨ 仕事を通じて業績を上げたとき
⑩ 自己実現〔自分の夢が実現できたとき〕
などを挙げることが出来る。
 職場は、生活の糧を得るところであり、製造業であれば自ら働いて商品を作り、サービス業であればサービスを提供して、その対価として収入を得て生活の糧とする。公務員は公務を通じて市民に行政サービスを提供して給与を頂く。同時に職場とは、人間らしく生きるための場所であり、生涯学習の場でもある。職場も様々あり、組織が大きいか、小さいかの違いもあるが、仕事の質の向上を目指すことに変わりはない。それぞれの場所で、『置かれたところで、咲きなさい』である。(渡辺和子先生の言葉)
大田堯先生は「生命の特徴」を ①ちがう ②かかわる ③かわる であるという。
 命の特徴の1つは、ひとりひとりちがう。言い換えれば「自己中心的である」ともいえる。しかし同時に、1人では生きていけない。かかわりあいの知恵を学び、自分を変えていく。学ぶとは共に夢を語ることでもあると思う。青虫が蛹になって、蝶々に変身していくように、人間も学んで変わっていきたいものである。
 会社や組織には目的となる経営理念(志)が大切で、理念は「坂の上の雲」であり、それに向かって歩むことが職場でのモチベーションのアップにつながっていくのではないかと思う。経営理念に向かって、  
いつも力を合わせていこう
かげでこそこそしないでいこう
働くことが一番すきになろう
いいことはすすんでしよう
なんでも“何故”と考えろ 
いつももっといい方法はないか探せ (昭和26年中学校卒業式の答辞 佐藤藤三郎)
「念ずれば花ひらく」という坂村真民先生の詩があるが、念じて実践することによって、更に己のモチベーションを上げることが出来るのではないかと思う。

参考文献

渡辺和子:1927年生まれ、2016年逝去、ノートルダム清心女子大学教授・理事長を歴任、『置かれた場所で咲きなさい』など著書多数 
大田堯:1918年広島県生まれ、教育研究者、元東京大学教育学部部長、元都留文科大学学長、2011年には大田堯先生のドキュメンタリー映画「かすかな光へ」を作成(監督 森康行)全国700カ所で上映中。「100歳の遺言」大田堯・中村桂子共著
坂村真民:明治42年生まれ、97歳で逝去、多くの著書があり国民的詩人とし敬愛されている。詩「念ずれば花ひらく」は多くの人に親しまれている。

サイバーナイフにかける夢

2018年5月14日発刊 | NO.538

 サイバーナイフリニューアル(M6)記念講演会・祝賀会を平成30年5月12日、岡山県医師会館・ホテルグランヴィア岡山にて開催いたしました。参会者は約100名でした。当院のスタッフも各職種から多数参加し、共に学びを深めました。リニューアルに際して建築を担当してくださった、UR設計・大林組、新機種(M6)の導入を担当頂いたアキュレイ(株)・千代田テクノル(株)の皆さまに心より感謝しています。
 当センターは、2000年6月に発足いたしました。スタンフォード大学脳神経外科教授アドラー先生の画期的な発想によって、定位放射線治療装置の専用機として開発されました。そのアイディアに魅了されて、国内3台目、世界で8台目として当院に導入しました。サイバーナイフは馬場義美先生、津野和幸先生、現在日本赤十字医療センターサイバーナイフセンター長 佐藤健吾先生などの定位放射線治療チームによって、転移性脳腫瘍・髄膜種・脳動静脈奇形・頭頸部腫瘍など、約4,500症例に対して治療をおこなってきました。サイバーナイフの治療対象は、現在まで脳腫瘍を中心とした頭頸部が主体でしたが、体幹部の定位放射線治療の適応が、肺がん・肝細胞がん・前立腺がん・腎がんなど全身の悪性腫瘍(がん)にも拡がってまいりました。
 この度の記念講演の演者では、神戸低侵襲がん医療センターの西村英輝先生、新百合ヶ丘総合病院の宮崎紳一郎先生にサイバーナイフ治療についてのお話しを頂きました。また、座長の労をとって頂いた岡山大学放射線科教授 金澤右先生、脳神経外科教授 伊達勲先生には心より感謝しております。記念講演に参加下さった医師や放射線物理士、放射線技師、看護師、事務職、管理者の皆さまにとって有意義な時間となったことと思います。定位放射線治療は今後、全身対応に向けて進化していくものと思います。サイバーナイフの治療が頭頸部から始まりましたが、高齢者にとって侵襲の少ないサイバーナイフが体幹の癌治療にも貢献し、経営理念である「快適な人間味のある温かい医療」の夢の実現の1つとなりますよう願っています。

ブッポウソウ

2018年5月7日発刊 | NO.537

 吉備中央町下土井に腰痛の神様で有名な「横山様」が祭られている。その近くに毎年遙かインドネシアのジャングルから、波頭を越えて渡ってくる渡り鳥のブッポウソウを見に立ち寄った(平成30年5月4日)。その日の朝、一つがいのブッポウソウが帰ってきたという、10人ばかりのカメラ愛好家の皆さまが、巣箱に帰ってきた鳥の姿を撮影しようとカメラをセットして陣取っていた。
 ブッポウソウは、森の宝石と言われているように、口嘴が赤く羽は濃い青色で、鳩よりやや小振りの美しい鳥である。この鳥は絶滅危惧種にも指定されている。全国に飛来してくる場所は幾つかあるが、吉備中央町に飛来する渡り鳥を保護するために、町をあげて取り組んでいる。ブッポウソウ吉備中央町会事務局長を務めていらっしゃる中山良二さんは、全国から訪れる愛好家のために、ブッポウソウの巣箱近くに撮影場所を設置して便宜をはかっておられる。
 岡山大学農学部の研究者によってブッポウソウの生態の研究もおこなわれている。ブッポウソウは5月に飛来して、卵を産み、子育てをして、帰っていく。子育ての時期には、トンボなどの餌を捕獲して、ひな鳥に餌を与えるので、頻繁に巣に帰る。その姿を写真におさめる。コンクールも毎年開催されている。
 渡り鳥のように、国境もなく、自由に行き来できる、人種差別なく、戦争のない平和な世界を実現していく、大宇宙大和楽の世界は人類の夢である。

「美しい眺め」 坂村真民

やってきた
渡り鳥たち
呼びかけている
一本の木よ
そのやさしさよ 

注) 大宇宙大和楽 : 坂村真民の言葉

生命(いのち)を輝かす - ルース・スレンチェンスカ -

2018年4月23日発刊 | NO.536

2018年4月21日(土)東京サントリー大ホールで開催されたルース・スレンチェンスカ ピアノリサイタルにいってきた。ルースさんは、世界的なピアニストで、92歳まで現役のピアニストとして、円熟のテクニックと魂に共鳴する音楽で多くのファンを魅了してきた。

2003年の台湾で、当時78歳だったルースさんと、岡山市で歯科クリニックをされている三船文彰医師(高名なチェロ奏者)は運命的な出会いを果たした。その三船先生とのご縁で、2017年までに9回の来日をされ、岡山で開催した2005年1月の80歳記念を兼ねたラスト・コンサートを含め、20数回のコンサートをおこなっている。岡山でのラスト・コンサートを記録したNHKの「ラスト・コンサート」や、2007年4月の醍醐桜への奉納演奏をまとめたOHKの「千年桜が初めて聞いたピアノ」は全国的な感動を呼んだ。

コンサートは東京サントリー大ホールを満席にして、93歳という高齢を感じさせない、美しい、心ときめかす演奏であった。最後はスタンディングオベーションとなって、アンコールに応えられた。 三船先生のご尊父を記念する「劉生容記念館」のコンサートでお会いしたときの、知的で温かい、人柄に触れたことを思い出す。三船先生によると毎日、ピアノの練習を8時間されるとのこと、凄まじい精進です。お手本などと言えないぐらい凄いと思う。 ルースさんの生き様を拝見して、私も自分なりに生命を輝かして精進をしていきたいと思う。

注: 文中のルースさんの記事の多くは、ルース・スレンチェンスカ ピアノリサイタルのパンフレットからの引用である。

切り絵の楽しみ

2018年4月16日発刊 | NO.535

 私は約8年前、メイコー(株)社長である横谷敦子さんの手ほどきで「切り絵」を始めた。その後、毎春展覧会に参加させていただいているが、横谷さんのアドバイスと手直しでやっと作品になるという熱心さに欠ける創作活動である。 昨年、坂部信子先生(日本の切り絵の指導者)の研修に参加し、「毎日スケッチをすることが大切」と聞き、身近な野菜や果物、花、消しゴム、自分の手や指などなんでもスケッチしてきた。

先日、『岡山切り絵の会』の主催で開かれた坂部信子先生の研修会に、熱心な会員と一緒に今年も参加させていただいた。先生から「日本の切り絵」と「世界の切り絵」についてのお話があった。アジアの切り絵では中国各地に特色ある箭紙(せんし)があり古い歴史があること。韓国のソウルにも紙屋さんがあって、切り絵があること。タイにも影絵に使用する人形があり、切り絵の一種だと紹介された。ヨーロッパにも切り絵があり、ポーランドのカットペーパーはピチナンカと呼ばれている。童話作家で有名なアンデルセンも、切り紙の名手として沢山の作品を残している。メキシコの切り絵、ソビエトの切り絵と各民族特有の切り絵があることを知った。

日本の切り絵は、神事として古くから伝わっている。江戸時代から伊勢型紙の職人が染色の型紙を切ったものが今に残っているなど、切り絵は人類の歴史から見ると奥深い物だと感心した。現代風の日本の切り絵は50年の歴史であるが、紙の芸術として、山下清氏の貼り絵、高村智恵子氏の紙絵、吉原澄悦氏の切り絵などが有名である。外国では色を追い求める晩年のアンリ・マティスが紹介された。 日本の切り絵は中国からの影響を強く受けて発展してきた歴史があるが、風景や日常の生活の営みを題材にして、より芸術的な作品が作られているように感じる。

坂部信子先生は、毎日スケッチ、旅先では45分あれば風景や人物など切り絵の題材を常にスケッチされるとのこと。何事も手を抜かず追及していくことが「楽しみ」となっていくのではないかと思った。坂部信子先生の指導で、横谷敦子さんや会員の皆様によって岡山きり絵の会が継続され、会報も第27号が発行されているのは心強い。 第31回岡山きりえ展が2018年5月15日(火)~20日(日)まで岡山県天神文化プラザで開催される。

参考:坂田信子氏のホームページ自己紹介記事より
 私は、1975年より「きりえ」の創作を始めました。日々の暮らしの中から「生きる喜び」をテーマに作品づくりをしています。1996年より、アジアの国々、中国、インド、タイ、チベット、ネパール、ブータン、ミャンマー、ラオス、ベトナム、韓国、カンボジア、インドネシアを訪れました。それぞれの国、地域における、人々の生活、自然に興味を抱き、生きる力強さ、その優しい瞳に魅力を感じ、自然と共に心豊かに暮らす人々を「きりえ」で表現してきました。最近は「アジアシリーズ」の観点から日本各地の風景・神社仏閣・人物をきりえで表現しています。 日本きりえ協会常任委員・東海きりえ美術会代表・名古屋栄中日文化センター講師・岡崎中日文化センター講師・熱田の森文化センター講師
坂田信子ホームページ「きりえの世界」

歩くということ

2018年4月9日発刊 | NO.534

 何故人間は歩くようになったのか?
人は二本足で歩くようになって手が使えるようになり、脳が発達してきた。「人はやる気になって二本足で歩いた」という教育哲学者である大田堯先生の説は納得させられる。 歩くこと、手を使うことで脳循環がよくなり、脳が活性化し、結果として人間の脳は進化してきたと言えるかもしれない。歩くことが、未知との遭遇、出逢い、新しい文化との交流、学問との交流などから知的好奇心が生まれ、脳の情報代謝はますます活発になってきた。21世紀に入って、AI(人工知能)やIOT(モノのインターネット)など情報が国境を越えている。人・物・金もグローバルに動いている。 人は加齢や病気で動けなくなると、四肢の関節痛や腰痛などが加わり、筋肉が衰えて歩きにくくなり、そして次第に歩くこともできなくなる。歩かなくなることは、脳の情報代謝と脳の働きを低下させ、認知症につながる。認知症の原因の一つに脳梗塞や脳出血・くも膜下出血など、脳の神経細胞や神経回路に障害を与えて、認知症にいたる血管性認知症がある。全認知症の中で、血管性認知症は20%程度といわれている。60%はアルツハイマー型認知症であり、現在、日本では500万人の認知症患者がいると推定されている。原因は、脳内にアミロイドベーター細胞が沈着して、脳の機能を低下させる。歩くことは、脳を活性化して、認知症の予防効果がある。歩くことによって外部の刺激をうける。人と人の出逢いと交流が脳を活性化させる。糖尿病の人は脳内にアミロイドベーター細胞がたまりやすくアルツハイマー型認知症になりやすいと言われる。歩くことによって、糖尿病の予防にもなる。それを防ぐには食べ過ぎないこと、運動することが大切である。ご飯や、うどん、饅頭、甘いものなど炭水化物を減量して、歩くこと(運動をする)を継続することによって認知症を予防できるとの研究もある。 病院・福祉施設だけでなく認知症や認知症の前段階の人も地域社会の一員として、家族は勿論、地域住民が共に助け合って、日常生活を営むことが、地域包括ケアシステムと言っても過言ではない。

参考文献:
長尾和宏(2016)『認知症は歩くだけで良くなる 認知症予防と改善に最良の方法は「ながら歩き」! 』山と渓谷社.

大田堯先生の百歳の遺言

2018年4月2日発刊 | NO.533

  「私のいのち」1942年ヒロシマ部隊の入隊。南方最前線へ送られた。被爆を辛くも免れるものの米国潜水艦により、乗船が撃沈され36時間南海を漂う。

願わくは、この世界の、核を含むあらゆる武器を棄却、ひたすら人民(ピープル)自治による平和な社会を望みます。

大田堯「百歳の遺言」藤原書店


 御著書とこの一文「大田堯生生の最期の言葉」が送られてきた。生命(いのち)の視点から教育を考えてきた大田堯さんと40年の生きものの歴史から、生命、人間、自然の大切さを学びとってきた中村桂子さん、教育が「上から下へ教えさとす」ことから「自発的な学びを助ける」へ「ひとづくり」ではなく「ひとなる」を目指すことに希望を託す。(著書の帯に記されていた文章)これは、大田堯先生の、ドキュメンタリー映画「かすかな光へ」にも一貫して流れる。  ひとり1人のユニークな持ち味を、育てる環境整備の必要性を「ひとなる」に表現されていると思う。現在、経済優先から人財育成が企業にとって好ましいこととされている。企業経営においても「人を物」として見るのではなく、ひとを「ひとなる」として自ら、満ちくる思いを具体的に実現できるように教育(共育)の環境整備をすることが、学校で求められる課題であると同時に、生涯学習の場である企業経営(病院も含む)にとっても革新的なかすかな光への道筋ではないかと思う。  大田堯先生の思索と行動の軌跡を追った映画「かすかな光へ」(森康行)の上映を岡山旭東病院パッチ・アダムスホールで随時開催の予定である。

参考(百歳の遺言 の著者紹介記事より引用)
①大田堯(おおた・たかし):
1918広島県生まれ、教育研究者(教育史・教育哲学)、東京大学名誉教授・都留文科大学名誉教授、日本子どもを守る会名誉会長、北京大学客座教授
②中村桂子:
1936年東京生まれ。JT生命誌研究館長・理学博士。ゲノムを基本に生きもの歴史と関係を読み解く新しい知「生命誌」を創出、その構想を1993年、JT生命誌 研究館として実現。

ゴルフと認知症予防

2018年3月26日発刊 | NO.532

 認知症の治療法は、世界中で研究が進められているが、有効な治療薬はまだ先のようである。アルツハイマー病では、発症の20~30年前から脳にアミロイドベーターが異常に蓄積して「老人斑」という染みができる。このアミロイドベーターはPETで画像として見ることができる。また、国立長寿医療研究センター(愛知県)や島津製作所のチームで開発した方法では、わずか0.5mlの血液に含まれる「アミロイドベーター」が検出できると報告された。現状では診断はできても、確実な治療法はまだない。
 しかし、最近の研究では、日常生活の過ごし方によって認知症を予防できるというデータが、国立長寿医療研究センターから報告されている。運動習慣のない65歳以上の男女106名をゴルフ教室と健康教室に分けて研究をおこなった結果、ゴルフ教室で週一回のペースでプレーし、半年間後、認知機能検査を実施して比較したところ、ゴルフ教室の参加者において、単語記憶能力が6.8%、物語を聞いて筋書きを書き思いだす「理論的記憶能力」が11.2%向上した。即ち、アルツハイマー病の予防には、①適度な運動 ②頭を使う活動 ③人との交流が有効であると言える。「ゴルフは認知症予防の条件にぴったりとあてはまる」と同センター予防老年学研究部長で、主任研究者の島田裕之が指摘している。ゴルフの愛好家にとっては嬉しい結果である。 ゴルフに限らず、テニス・野球・ジョギング・山登りなど仲間と交流し、適度な運動をすることが、健康長寿に貢献することは間違いなさそうである。

参考: 島田 裕之(しまだ・ひろゆき)
国立長寿医療研究センター 部長。平成15年北里大学大学院博士課程を修了(リハビリテーション医学)。東京都老人総合研究所研究員、Prince of Wales Medical Research Institute(Sydney, Australia)客員研究員、日本学術振興会特別研究員、東京都健康長寿医療センター研究所を経て、現在は国立長寿医療研究センターに所属。

30年後の医療サービス

2018年3月19日発刊 | NO.531

 少子高齢化問題は、出生率が向上しない限り解決困難な問題である。30年後には人口が1億人を切ることは推測されており、画期的イノベーションによってGDPが向上しなければ、財政的破綻から、国民皆保険・介護保険制度は破綻をきたし、民間保険が医療サービスの大きな役割を担っていくようになる。 急性期病院の平均在院日数は5日となり、病院自体のICU化、手術は外来に移行して急性期病院は半減することも考えうる。IOTの導入が進み(ロボット技術、遠隔医療、AIの一般化など)画期的治療や診断法(癌や認知症、難病の治療)が開発される。医療サービスが国境を越え、特に海外の富裕層への高度先進医療が提供されるようになる。 病院は「癒しの環境」などのアートや自然との融合が治癒力を高めることが常識になる。予防医学が重視され、健康寿命に向けて、国民意識の啓発がなされ、糖尿病・メタボリックシンドロームなどの病状の進行を防ぐ仕組みができあがる。保険制度も、「いつでも、どこでも、だれでも」が厳しくなっていくのではないかと杞憂している。疾病中心の医療から「心に寄り添った」人間中心の医療が細分化と統合化を互いに補完しながら進化していって欲しいと願っている。 私自身は、世界に冠たる国民皆保険制度そして介護保険制度の維持発展を願っている。

日中友好の交流に思う

2018年3月12日発刊 | NO.530

 いま、多くの国から日本を訪れる観光客が増え、2017年度、中国からも500万人が訪れている。その中には、病気や、健診を希望される人もあるのではないかと思う。中国と日本は、奈良時代に遡ると、遣隋使・遣唐使などを通じて多くの文化や宗教がもたらされ、政治体制(律令国家)など大きな影響があった。その文化は今も日本に残っている。岡山市日中友好協会を介して、多くの人の往来がある。岡山旭東病院もジャパン インターナショナル ホスピタル「JIH」の認証をうけて中国を含む海外からの健診や患者さんにも対応していきたいと準備をしているところである。 大田堯先生(元東京大学教育学部教授・都留文科大学学長を歴任)は生命の特徴を「ちがう、かかわる、かわる」であるとおっしゃっている。国や民族はちがう、当たり前のことである。しかし、人が1人では生きていけないように、国や民族も他との関わりなく過ごすことは不可能である。また、蝶は卵から青虫になって、蛹になって、蝶に変身していく。変わることが生命体の特徴である。同じように国や民族も常に変化していく。国も色々な文化や政治体制を変化させながら変わっていく。その中で、中国とも「共に関わり合いの知恵」を学び共に育ち合って友好を進めていきたいものである。医療を通じての交流も関わり合いの知恵の一つではないかと思う。

人生100年時代

2018年3月5日発刊 | NO.529

 厚生労働省は2017年9月15日の発表で、100歳以上の高齢者が6万7,824人と毎年増加していると報告している。私たちは、多くの高齢者が元気に生活できる社会を理想として社会を築いてきた。そのような社会にしていくために、戦後、新憲法の民主主義のもと、農業から商工業立国を目指し、経済の発展によって、高速道路の整備、新幹線、空港などの交通網の整備、水道・電気・ガスなど社会インフラの整備、社会福祉制度として国民年金制度、国民皆保険制度、介護保険制度、教育制度の充実などによって、私たちの衣食住が満たされ、各種インフラが整備され、快適な生活が出来るようになっている。
勿論、多くの社会問題が山積していることは周知のことである。しかし、世界中で76億人がこの地球上に生活していても、1日1ドル以下の生活をしている人が12億人以上もいるという。そう考えると、私たちはなんと恵まれた生活をさせて頂いているか、『有り難い』ことである。
長寿社会になっても、障害を持ったり、認知症になったりすることも大きな問題である。しかし、健康を維持する方法も研究されて、健康長寿の時代が近づいている。健康長寿に魔法の方法はないが、健診をして早め早めに、己の健康を自ら守り、適度な運動を継続することなども健康長寿につながる。人間は1人では生きてはいけない。友人をつくり、出来れば仕事を続け、家族関係を大切に、多くの事柄に好奇心を持ってチャレンジしていきたいものである。私たちひとり1人が脳の情報代謝を活発にし、脳の健康と体の健康に留意して健康な長寿社会にしていきたいものである。もちろん、世界が戦争のない平和であることが前提であるが。

文化は国境を越える

2018年2月26日発刊 | NO.528

認定NPO法人 岡山市日中友好協会総会において2018年2月10日、中国の学者、毛丹青教授①の講演「越境する日本文化と中国の若者たち」を聞く機会があった。毛先生は、25歳(1987年)の若い時代に、文化大革命の時代を中国で過ごした後、日本の三重大学に留学。一時、日本の商社にも勤務、日本の文化に関心をもって、日本の文化を中国の若者に知らせたいと「知日」という月刊誌を発行された。雑誌はベストセラーになっている。尖閣列島や靖国などの問題で中国と日本の間で政治問題が紛糾する中でも、中国の若者は、日本の文化に関心をもっていたと毛先生は話された。日本には、遣隋使・遣唐使の時代から多くの中国文化が渡ってきて、今の中国にはなくなっている文化が残っているものもあり、中国の古き良き時代が、息づいているという。

禅・茶・お寺・おもてなし・盆栽・漫画などの文化は国境を越え、日本への関心が高まり、500万人もの多くの中国の若者が、観光客として日本を訪れている。それに引替え、日本人は内向きになっていて、外国(中国を含めて)への関心が少なくなっているように感じる。戦後日本人は、アメリカに憧れて、多くの留学生が海を渡った。そして、アメリカから多くを学び、驚異的な高度成長を成し遂げて、1979年には[Japan as number One]と言われるようになった。今、中国の若者は、アメリカ・日本・ヨーロッパと世界中に向かっている。そして中国は、確実に世界に影響を与える国に成長している。私は文化の交流を互いに進めていくことによって政治の問題も少しずつ解決されていくのではないかと期待している。交通手段の発達・ITなどの情報手段の発達など人の往来がますます頻繁になっていく中で、文化交流が、人と人との絆を強固にしていくのではないかと思う。各国は軍拡競争でなく、文化交流の競争をしていきたいものである。


参考 ①毛丹青(神戸市外国語大学客員教員プロフィールより)
毛 丹青(まお たんせい)職位:客員教授、所属学科・グループ:中国学科、専門分野:中国語、中国文学、日本文化論、講義科目:「中国語講読」、経歴:1985 年 北京大学 東方言語学部 卒業、1987年 三重大学留学、1989年 白光水産に就職、1993年 神栄株式会社に転職、1998年 著述業に転身2009 年 神戸国際大学教授に就任。


②「ジャパン・アズ・ナンバーワン』(原題:Japan as Number One: Lessons for America)
社会学者エズラ・ヴォーゲルによる1979年の著書。 戦後の日本経済の高度経済成長の要因を分析し、日本的経営を高く評価している。日本語版は、広中和歌子・木本彰子の訳により『ジャパン アズ ナンバーワン: アメリカへの教訓』として、TBSブリタニカから英語版より1ヶ月遅れで出版された。日本人が日本特有の経済・社会制度を再評価するきっかけのひとつとなり、70万部を超えるベストセラーとなるなど、一世を風靡した。

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面会時間

  • 一般病棟
  • 8:00~20:00

  • 集中治療室
  • 12:15~13:15

    18:00~20:00

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