OKAYAMA KYOKUTO HOSPITAL
  • 小
  • 中
  • 大

院長のひとりごと

岡山旭東病院のホームページに訪問くださりありがとうございます。

院長のひとりごとは、毎週月曜日に発信いたします。

人間力

2018年12月03日発刊 | NO.567

平成30年11月29日・30日、岡山県病院協会主催で毎年おこなっている病院経営管理研修会が開催され、上甲晃氏(元松下政経塾の塾頭)の「“人間力”を育てる」という講演をうかがった。
上甲氏は、松下電器(現パナソニック)の創業者(松下幸之助)が創設した政経塾の塾頭として、未来の日本の政治経済のリーダーを育てる仕事をされた。
松下幸之助の身近で学んだ「人間力を育てるには何が必要か」などを拝聴することが出来た。松下幸之助の成功の秘訣は何か。

①幸之助は学歴がなかったためか、人の話を聞く、最後まで聞く、何でも聞く、ことができた。
人間力を高めるには、聞く耳をもつことが大切である。聞くことは恥ずかしいことではない。
一人の才覚では何も出来ない。皆の知恵を集めることが大切である。
②幸之助は94歳まで生きたが、体が弱かったため、仕事を他人に任すことができた。
③幸之助の家は貧しかった。誰も助けてくれない状況の中で強くなれた。
依存心があって、「くれない族」ではだめだ。
④使っても、使ってもなくならないものは「やる気」であり、やる気こそが財産である。
上甲氏は、平成8年松下電気産業を退職(54歳)し、志ネットワーク「青年塾」代表として、人材育成のスペシャリストとして活躍中である。

参考文献
上甲晃(2018)『松下幸之助に学んだ人生で大切なこと』 致知出版社.

防災訓練からの学び

2018年11月26日発刊 | NO.566

11月22日、院内で防災訓練がおこなわれた。14時から防災訓練が行われることを事前に全館放送し、震度6の地震が発生した直後、病棟火災が起ったことを想定して訓練を実施した。院長・副院長その他の関連スタッフへの連絡網による電話連絡もおこなった。事前準備をしての訓練であったため、機敏な動作で、模擬消火器を使った消火活動、避難経路からの患者様(当院職員のダミー)の院内水平誘導、火災時の防火扉の閉鎖など出火時の対応がスムースにできたと思う。しかし、災害はいつ発生するかわからない。夜間などに地震に続く火災が発生した場合に備えて、訓練の時と同じように消火活動が出来るように日頃の準備が必要だと感じた。
院内での各部署(病棟・外来・ICU・手術室・事務所)などで、避難経路確認(避難路に不要な物が置かれていないか)消火栓・消火器・排煙窓の開閉場所など、それぞれの部署で日頃の確認と訓練が必要である。
訓練後には、病院から出火した経験のある関西労災病院の平井看護部長から講演をしていただいた。労災病院で病棟から出火した貴重な経験とその後のマネージメントの実情、日頃の訓練の大切さ、また地震などの災害時の地域医療機関・消防署・行政との連携・対応など学ぶことが多く、この学びを今後に生かしていきたいと認識を新たにした。BCP(business continuity planning)の中での防災計画を実践していくことの大切さを職員と共有していきたい。
SNSを使っての連絡網の整備、日頃から、防災に対する危機管理能力の育成、薬品・食料の備蓄場所の整備と確認、停電時の電子カルテ・画像検査・臨床検査機器・自家発電・水・灯油の確保・他の医療機関との連携など地域ぐるみの訓練も計画する必要があると感じた。
南海トラフの大地震・火災・洪水など災難はいつやってくるかも知れない。明日は、我が身であり、防災訓練からの学びを日々の活動に生かしていきたい。

参考
一般社団法人 日本病院会 災害医療対策委員会(2018)「病院等における実践的防災訓練ガイドライン [全国消防長会推薦]」(参照20018-11-26).

認知症への関わり

2018年11月19日発刊 | NO.565

認知症は長寿社会を迎えた結果であり誰でも関心を持って対応していきたい課題である。
当院に入院する患者さんも、認知症を合併してくる方が多くなってきていると実感している。
当院は、脳神経運動器疾患の総合的専門病院であり、他の病院より認知症の患者さんは多いのではないかと思っている。

11月17日・18日の2日間、福岡市駅前のファッションビル福岡で開催された、 認知症サポート医養成研修会(国立長寿医療研究センター主催)に参加してきた。
認知症の対応には、多職種連携が大きな課題の一つであり、病院をマネージメントする立場、地域医療を支援する地域医療支援病院、在宅療養後方支援病院の役割を連携の視点から認知症サポート医の必要性を感じて研修に参加した。

2025年には認知症の有病数は700万人に達すると試算され、5人に1人が認知症ということになる。
認知症は人間が長生きできる時代になったからこそ、老化とともに増えてきたものである。
アルツハイマー型、レビー小体型、前頭側頭葉型、脳血管性があり、中でもアルツハイマー型認知症が60%を占めている。
アルツハイマー型認知症の原因は、アミロイドベーターとタウという二種類のタンパク質が溜まることが発症の原因とされている。
現在、薬の開発にしのぎを削るっているが、いまだ開発には時間がかかると言われている。
診断法としてアミロイドベーターを画像化して見るPET検査があるが、高額で保険の収載はない。
最近では、安価な血液検査によってアミロイドベーターが測定できるようになってきた。
したがって、早期に 軽度認知症(MCI)の段階で診断がついて、生活の質を改善し、発症を予防することが期待されている。

岡山市の中心部でも高齢者の一人住まいの方などが増えていて、地域での見守り、病院、クリニック、福祉施設、公民館、行政などによって人と人のつながりを広めていくこと、そのことが、地域包括ケアシステムの目的ではないかと思う。
認知症サポート医師として、認知症と関わり、他職種との連携にも役立てたいと思う。

デジタル化の波

2018年11月12日発刊 | NO.564

 デジタル化の波は、金融サービス、音楽、ソフトウェアなどの市場を襲い、ネット市場でサービスのあり方を大きく変えた。また、スマートフォンアプリによるライドシェア(相乗り)の普及によってタクシー会社の存続さえ脅かされている。
デジタル化はあらゆる分野に押し寄せ、医療の世界でも、電子カルテ、サイバーナイフ等の定位放射線治療装置、病理診断、MRやCTの画像診断、遠隔診断、遺伝子解析など進化発展していくことは疑いようもない。
高度経済成長によって人の絆が失われ、無縁社会と呼ばれる中で、更に加速的にデジタル化の波がきて人間の社会が大きく変容していく。アナログ社会からデジタル社会になっても、私たちは愛する心、謙虚さ、元気、感謝など人間の「心」のあり方が人と人との絆を深め人間社会を豊にしてくれるのではないかと未来に希望をもっていきたい。

すべてのものは移りゆく 怠らず務めよ

2018年11月5日発刊 | NO.563

これは釈尊の残した言葉です。
諸行無常であり、つねに世の中のことは移りゆく。短い私の辿った道も。

大学を卒業し、脳神経外科医師を目指して岡山大学脳神経外科の西本詮教授の教えを受け、アメリカ留学もさせて頂いた。
昭和50年から香川県立中央病院に主任医長として12年間勤務の後、岡山に帰って弟の基之(整形外科)と共に脳・神経・運動器疾患の総合的専門病院を目指してきた。
理念経営を病院のマネジメントの基本として経営指針書を作成し、理念に向けて努めてきた。院長になって30年の間に、私の関係する分野でも医学の進歩や医療制度の激変、ITの驚異的進歩、少子高齢化社会の到来、地球環境の激変(温暖化)、リーマンショック、際限の無い軍事競争(核兵器など)などすべてのものが移り変わってきた。
「すべてのものは移りゆく」の真理は、人類が亡くなっても変わりなく宇宙の法則に沿って限りなく続いていく。

国民的詩人坂村真民さんの残した真言には「大宇宙大和楽」と「念ずれば花ひらく」がある。

「花と実」      真民
念ずれば
花ひらく
八字十音は
花であり

大宇宙
大和楽
六字十音は
実である

称えよう
この二大真言を
地球の平和と
幸福のため

私たち人類にとって、地球の平和と幸福は生きる目的である。

参考文献
「坂村真民の世界」,『人間学を学ぶ月刊誌「致知」』2004年2月号,致知出版社.

散る紅葉

2018年10月29日発刊 | NO.562

生を受けて78年の歳月がたちました。光陰矢の如しですね。
多くの人に出逢い多くの別れがありました。
「出会いは永遠の薫り(森岡まさこ)」です。
苦しかったこともありましたが、それがまた喜びにも変わっていきます。
生きるということは、人生劇場の舞台で与えられたその役を演じていくことです。
私たちが生活の糧をえる職場も舞台です。
「職場は貴方の晴れ舞台」だと思います。
与えられた役を最高に演ずるために、学び研鑽していけばいいと思うのです。
良寛の詩に「うらを見せ おもてを見せて 散るもみじ」がありますが、裏も表も見せて美しく終わればいいなと思う。

参考文献
良寛 (1995)『良寛さんのうた』童話屋.

かすかな光へと歩む

2018年10月22日発刊 | NO.561

“「違っていいんだよ」じゃなくて「違う」んです”
日本の社会と人間を見つめ、教育のありかたを問い続けてきた東京大学教育学部教授、日本教育学会会長、都留文科大学学長を歴任してこられた日本の教育研究者・教育哲学者 大田堯氏(100歳)・その軌跡を追ったドキュメンタリー映画「かすかな光へ」(2011年作成)の上映会を平成30年10月21日(日)岡山旭東病院(パッチ・アダムスホール)にて「ひとなる岡山」主催で開催された。
映画の冒頭に谷川俊太郎の詩が作者自らの声で流れる。
あかんぼは歯のない口でなめる
やわらかい小さな手でさわる
なめることさわることのうちに
すでに学びがひそんでいて
あかんぼは嬉しそうに笑っている

子どもは意味なく駆け出して
つまずきころび泣きわめく
にじむ血に誰のせいでもできぬ痛みに
すでに学びがかくれていて
子どもはけろりと泣きやんでいる

私たちは知りたがる動物だ
たとえ理由は何ひとつなくても
何の役にも立たなくても知りたがり
どこまでも闇を手探りし問いつづけ
かすかな光へと歩む道の疲れを
喜びに変える

老人は五感のもたらす喜怒哀楽に学んできた
際限のない言葉の列に学んできた
変幻する万象に学んできた
そしていま自分の無知に学んでいる
世界とおのが心に限りない広さ深さを

映画の題名「かすかな光」は、ひとは1人ひとり違うんだと互いに理解して、内面から学び己を変えていく、1人ひとりが争いのない世界へ、地球環境の保全、世界の平和という、そのかすかな光にむかって歩んでいきたいものである。

参考文献
大田堯(2011)『かすかな光へと歩む 生きることと学ぶこと』 一ツ橋書房.

アートときりたんぽ

2018年10月15日発刊 | NO.560

先日(10月6日)、秋田市で「第16回癒しの環境研究会全国大会2018」が、外旭川病院の穂積恒理事長を大会長として開催された。6日・7日の2日間の開催予定であったが、台風26号の為、6日のみの開催となった。それだけに内容の濃い学会であった。
学会テーマは「アートと癒しPart2」であり、アートのもっている癒しの効果を、互いに学ぶことの出来る素晴しい学会であった。アート作品である絵画・音楽・庭園・生け花・彫刻など全てが心を癒す。私は『食事もアートであり、病院で提供する心のこもった美味しいお料理こそが、病んだ心と肉体を癒し、医療効果を一段と高める役割を果たすことが出来る』と考えている。
秋田訪問の機会に、友人が郷土料理の店に招待してくださり、美味しい「きりたんぽ」をご馳走になった。「きりたんぽ」は秋田県の郷土料理である。これも素晴しいアート作品だ。「たんぽ」とは、元来、稽古用の槍につける綿を丸めて布に包んだものであり、杉の棒にご飯を潰して巻き付けたものを「きりたんぽ」(たんぽ餅)というそうだ。鶏(比内地鶏)のガラでとった出汁に、濃口醤油、日本酒と砂糖で醤油味のスープを作る。ゴボウ、マイタケ、鶏肉など煮えにくい素材から順に入れて、中火で煮立てる。それにネギをいれ、味が染みる直前でセリに火が通ったら料理が完成する。起源は、秋田県北部のマタギの料理だった。マタギが山から帰ってきて、残した飯を潰して棒につけて焼き、獲物のヤマドリや山菜、キノコとともに煮たり、味噌をつけて食べたそうだ。「きりたんぽ」のいわれの物語として面白いと思う。
日本は、地方に色々な郷土料理があるがそれを食するのは贅沢な楽しみである。招待してくれた友人に感謝している。
7日は台風のため飛行機が飛ばず、秋田県立美術館で世界最大級の藤田嗣治の大壁画秋田の四季を伝える「秋田の行事」をゆっくりと鑑賞し、秋田での数日、心も身体も癒されて、美味しい「きりたんぽ」を味わうことができ、台風一過の秋空の中を空路岡山にむかった。

参考
きりたんぽ」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2018年10月15日 (火) 13:53 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

人が育ちあう環境

2018年10月9日発刊 | NO.559

私は、脳神経外科医として香川県立中央病院に12年間勤務した後、昭和63(1988)年に整形外科医の弟(現財団理事長土井基之)と脳・神経・運動器疾患の総合的専門病院を目指して、岡山旭東病院をスタートした。香川県では中小企業家同友会活動が活発で、会員でなくても講演会などの案内をいただく機会があった。また、当時代表理事であった三宅昭二氏との出逢いが同友会への信頼を深め、『人間尊重の経営』と『理念経営』にも共感し、岡山県中小企業家同友会へ入会して病院経営をおこなってきた。

企業経営は利潤追求型でなく理念追求型でなければならない。同友会の3つの目的(良い経営者になろう・良い会社にしよう・良い経営環境にしよう)に共感して、同友会型経営(学習型企業)を推進してきた。中小企業や中小病院は、大企業・大病院と違って、なかなか初めから優秀な人材は集まらない。したがって、自分たちで人が育つ環境を作っていく必要があった。岡山県中小企業家同友会で企画されている社員共育大学、幹部社員大学、同友会大学の三本柱には、当院の多くのスタッフが参加させていただいた。業種も様々なため異業種の社員さんと触れ合う機会もあり、その中で多くの人材が育ってきた。同友会では、経営理念とビジョン・方針に沿った経営指針書を職員全員で作成すること、経理の公開も含めて、情報の公開をすることで人が育ちあう風土を育成してきたと思う。

「人が育ちあう組織」は、一日にして成らず、常にくり返し、実践していくことが、人が育つ組織風土に成長させてくれる。


参考

「会社を良くする社長学『なぜ社員と社長が一緒に学ぶのか』」,『PRESIDENT』,2018年10月29日号,p.136-p.141(岡山旭東病院の取材記事掲載)

死に方を考える

2018年10月1日発刊 | NO.558

人間は、生を受けて産まれ、やがて老い、病を得て、最後は死んでいくものである。鴨長明の「方丈記」の書き出しに、『ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまることなし。~中略~ 知らず、生れ死ぬる人、いずかたより来たりて、いずかたへか去る。また知らず、仮の宿り、誰がためにか心を悩まし、何によりてか、目を喜ばしむる。その主とすみかと、無常を争うさま、いわば朝顔の露に異ならず。或は、露落ちて花残れり、残るといえども、朝日に枯れぬ。或は、花はしぼみて露なほ消えず。消えずといへども、夕べを待つことなし。』とある。

鴨長明の生きていた平安~鎌倉時代の平均寿命は35歳。勿論、当時でも長生きした人はいると思うが、現代の寿命は、男女平均しても83歳である。公衆衛生の改善、各種伝染病の克服、抗生物質の発見、感染症の激減、診断治療など目覚しい進歩によって、多くの人が長寿を全うできる世の中となっている。それは先人が夢見た世界であり、先人達の置き土産だといえる。

日本国民は100歳を超える人が7万人になろうとしている。しかし、永遠に生きていけるわけでなく、老化は必ずやってくる。脳の老化は認知症に、全身の老化は多臓器不全につながっている。仕舞いを考えていく時間が与えられていると思うこともできる。勿論、脳卒中や心臓疾患にて突然に死を迎えることもある。それらの時に備えて、あらかじめ、本人を含む、家族や医療者や介護提供者などが一緒に話し合っていく、アドバンス・ケア・プランニング(Advance Care Planning : ACP)が厚生労働省の方針として出され、全国ですすめられている。意志決定能力の退化に備えて、終末期や今後の医療・介護について話し合うだけでなく、本人に代わって意志決定をする人を決めておくなどのプロセスも含めて、病院・施設・診療所とそこで働く多職種との連携などによって、1人ひとりの死に方に関わっていくことが、高齢化社会にあっての関わり合いの知恵ではないかと思う。

参考

厚生労働省「人生の最終段階における医療の決定プロセスに関するガイドライン」

蓮華(レンゲ)を休耕田に蒔く

2018年9月25日発刊 | NO.557

私の育った田舎(吉備中央町 井原)も過疎地域で、お貸ししていた田圃を維持できないと返してくださった。小さな川のほとりにある6反ほどの小さな土地であるが、前年まで稲作をされていた。稲を作ることが出来ないと、返してくださった田圃を放置していると、草や木が生えて荒れ地になることは想像できる。私が子どもの頃、稲作の後に蓮華を植えていて蓮華畑が美しい景観を楽しませてくれたことを思い出し、地域の景観が損なわれることが無いように、蓮華を植えることにした。
私の親友(故人)の奥さんが、近所の農家の方にお願いして田圃を耕耘機で耕してくださったので、9月23日(日)の11:20から長靴を履いて、田圃に入って、蓮華の種まきをした。黒っぽい籾のような種子で、手に種をもって広く蒔いた。うまく出来たかどうか、咲いた時の結果でみたいと思う。来年の春には「蓮華」の花が絨毯のように咲き、訪れる人々に「癒やしの景観」を提供してくれるのではないかと秘かに期待している。先祖が残してくれた家も守ってはいるが少々手がかかる。家の周りに、数十本の河津桜を植えており、これは毎年花を咲かせてくれている。桜と蓮華を楽しみに春を待ちたい。


参考
蓮華草(レンゲソウ)紫雲英(ゲンゲ)はマメ科ゲンゲ属に分類される越年草である。 レンゲとも呼ぶ。化学肥料が使われるようになるまでは、緑肥および牛の飼料とするために8-9月頃、稲刈りまえの水田の水を抜いて種を蒔き翌春に花を咲かせていた。これはゲンゲ畑と呼ばれ「春の風物詩」であった。
「ゲンゲ」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2018年9月25日 (火) 16:08 UTC、URL: http://ja.wikipedia.org

病院のサービスとは何か~生きていることの幸せ~

2018年9月18日発刊 | NO.556

 私たちの病院のサービスとは何か。私は経営理念を目的に病院経営を実践することが結果として病院の医療サービスになると考えてきた。
①安心して、生命をゆだねられる病院
②快適な、人間味のある温かい医療と療養環境を備えた病院
③他の医療機関・福祉施設と共に良い医療を支える病院
④職員ひとりひとりが幸せで、やりがいのある病院。
この4つの目的に向かって、毎年目標を掲げて経営計画を立ててPDCAを廻し、少しでも進化していきたいと願ってきた。しかし、医療を受ける患者さんの立場に立てば、最後まで「生きていることの幸せ」を実感していただける医療サービスこそが、当院だけでなく、当財団である『操風会』の医療・福祉サービスではないかと思う。
視点をかえることで新しいチャレンジを始められると思っている。スタッフと共に何ができるかを研究・工夫してみたいと思う。

努力

2018年9月11日発刊 | NO.555

先日岡山高島屋で開催された、有田焼の陶芸家で人間国宝(1995年)でもある、井上萬二氏の岡山高島屋開店45周年卒寿記念展にいってきた。
2005年に田渕和雄先生(佐賀医科大学脳神経外科名誉教授)の退官記念の引き出物として頂いたのが、萬二氏の湯飲みカップであった。そのご縁もあり、田渕先生の案内で萬二氏の工房を訪れたことがある。その時には、白磁の陶芸に対する情熱とペンシルベニア州立大学に講師として赴いた時の事などの話をうかがった。それから10年が経過して久しぶりの再会であった。萬二氏のギャラリートークを約30名のお客さんと聞かせていただいた。

「若いときには軍人に憧れ、海軍飛行予科練習生に進学して、忠孝の教えを受けた。終戦後、陶芸家に弟子入りしたが、給与は7年間なし。
昭和40年(1958年)、佐賀に陶芸の研究所(県立有田窯業試験場)ができ、その技官として入職した。月給15,000円であったが、10年間ひたすらに磁器の研鑽を積んだ。
1965年、アメリカのペンシルベニア州立大学から招聘され、給与は年間75万円(1ドル360円時代)であった。その時、兵学校で英語を学んでいて良かったと思った。
渡米までの3ヶ月、ひたすらに英語の単語を覚えたが、6ヶ月の大学生活では授業をするために毎日準備が必要であった。学生から、先生は何をしていたのかと聞かれた時には『鬼畜米英の教育をうけて、兵学校にいっていた』と神風スピリットで対応した。
滞在中にはフロリダ旅行などを楽しみ、帰国後は貯めたお金(300万円)を使ってヨーロッパを巡った。私の作品は自然からヒントを貰っている。鳴門の渦、麦、茄子、瓢箪など、何にでも関心を持って感性を磨くことが次の作品を生む。各地の護国神社にいくと、其の土地の偉人の碑がありそこから学ぶことも多い。空港に着いたら、まず何が何処にあるか観察しておくと海外にいっても困らない。観ることが勉強で、閃きが大切である」などとお話しされ、平素の努力を感じた。

人生は「努力」が最も大切である。どんなことでも、努力すれば道が開ける。努力の「努」は女偏に又と書いて力と書く。女は偉い!
努力をしていると、何事も道が拓ける。94歳にして努力を続けておられる井上萬二氏は、1時間近いギャラリートークをずっと立っておられ、頭も、目も、耳も達者であり、その姿に多くのことを学ばせていただいた。とても素晴しい講演であった。

やりがいのある病院

2018年9月3日発刊 | NO.554

 やりがいとは何か、『そのことをするだけの価値とそれにともなう気持ちの張り』と辞書には書いてある。やりがいは、生きがいにも通じる。仕事を通じての幸せにも通じる。
長島愛生園の精神科の職員として働いていた神谷美恵子医師は、ハンセン病の患者さんとのふれあいの中で、多くの人達と出会い、1966年「いきがいについて」を出版。 「平穏無事なくらしにめぐまれている者にとっては思い浮かべることさえも難しいかも知れないが、世の中には、毎朝目がさめるとその目覚めるということが恐ろしくてたまらない人があちこちにいる。ああ今日も一日生きて行かなければならないのだという考えに打ちのめされ、起き出す力も出てこない人達である・・・・・」と綴っている。そのような境遇であっても積極的な生き方を感じる人もいる。著者は「他者が、生きがいを与えることはできない。生きがいは潜在的にすべての人に存在している」という。
 生きがいを見いだすには、人間・言葉・自然と向き合う眼を開かなければならない、3つの眼の必要性を指摘している。①一つ目は師、つまり信頼する人物に向き合う眼。②二つ目は教典、信頼に足る言葉を見いだす眼。③そして三つ目は、自然のような語らざる何かと向き合う眼である。人間・言葉・自然を通じ、大いなるものの声を聞き、「生きがい」と出合う。
病院での職場環境を整備することは出来るが、他者(経営スタッフや上司など)が「やりがい」を与えることはできない。自分で、人間・言葉・自然から気づき、やりがいを見つけていくことが、経営理念の1つである「職員ひとりひとりが幸せで、やりがいのある病院」に近づけていくものと思う。

参考文献
神谷美恵子(2004) 『生きがいについて』 みすず書房
若松英輔(2018) 『NHK 100分 de 名著 2018年5月』 NHK出版

似顔絵セラピー

2018年8月27日発刊 | NO.553

平成30年8月26日(土)午前10時~14時で、第26回 岡山旭東病院・地域ふれあいフェスティバルが開催された。

今年のテーマは「笑顔でつながる地域のきずな~あなたがいればこそ~」。 

会場には、フードコーナー、アトラクション、道化教室のメンバー・職員による皿回し、バルーンアート、タイルを使ったワークショップ、生け花の展示、ジャズバンド・ゴスペルコンサート、健康教室・最後はビンゴ大会など楽しい時間を共有することができた。

このふれあいフェスティバルを支えて下さったスタッフや、多くのボランテアの皆さまに感謝の気持ちで一杯である。


またこの度、特別ゲストとして似顔絵セラピストの村岡ケンイチさんをお呼びした。似顔絵を希望する人の中から、抽選で当たった人の似顔絵を描いてもらった。私も含め、描いてもらうことで、癒されて幸せな気持ちになった。


「似顔絵セラピー代表:村岡ケンイチの言葉」をホームページから引用させて頂く。

「似顔絵を見てみんなで笑う、似顔絵を描くことでおこるコミュニケーションの不思議な輪を使って何かできないか?この思いは思わぬ形で転がり始めました。絵を描くところを見せ笑わせる。

これが病院関係者の目に留まり『病院に笑いを』と、似顔絵セラピーが始まります。

似顔絵セラピーは、見たままの状況を描くのではなく元気だった頃、楽しく働いていた日々や趣味に没頭していた時のことなどの話を出来るだけたくさん聞いて、イメージを膨らませながら描くところです。

患者さんだけではなく、ご家族の方も時には一緒に入ってもらいます。落ち込みがちな入院生活の日々の中に第三者が入り、今までともに歩んでこられた楽しかった何気ない日常を思い出し少しでも元気をだしてもらうのが一番の目的です。

似顔絵にはただ描くというのではなく、描いている行程をもちろん僕自身を含め、描かれている方、家族の方や周りで見ている方、医療スタッフの方みんなが楽しい気持ちで一体感を持つ事の出来る力があると感じています。

今後は似顔絵セラピーが医療の中で心のケアの1つとして使われ、病気で落ちこんでいる一人でも多くの方に喜びを提供していける様になれば嬉しいです。」


村岡ケンイチさんは、似顔絵セラピーのパイオニア。似顔絵という新しい癒しの文化が、広がっていけばいいなと思う。

日本人の当たり前

2018年8月20日発刊 | NO.552

『日本人にとっての当たり前は、世界にとっては素晴しいことだ』マンリオ・カデロ氏(サンマリノ共和国全権使)の記事が、「日本が誇る100のこと」に載っていた。

「日本人の思いやりの心の源泉には、神道が大きく影響していると思います。私はカトリック教徒ですが、神道の自然が神様、様々なものに神宿るという考えは、非常に理にかなっていると思います。神道の神々を現実として受け入れる日本人はいなくても、その存在を受け入れ、万物への畏敬の念や感謝の気持ちを持っており、それが日本人の言動に大きな影響を及ぼしていると感じています。日本人はどんなに偉業を成し遂げても自慢はしません。人間として尊敬できます。」マンリオ・カデロさんは40年日本に滞在されており、そこで感じた言葉である。

日本人が気づいていない素晴しい「心」の有り様を教えてくれている。整理・整頓・清掃・清潔・躾、凡事徹底、もったいない、山・川・太陽を拝む、相手への感謝の気持ち、ハガキ道、茶道、弓道、日本庭園や日本建築、日本料理、おもてなし、話し合いを根底にした日本的経営、義を明らかにしてその利を求めずの姿勢、相手の気持ちを考えたもの作り、内観など、数え上げたら幾らでもある。病院での「おもてなし」もさりげなく、相手の気持ちを考えた当たり前の医療サービスが出来れば、世界一の医療サービスになるのではと思っている。それが患者さんを引きつけ、世界からの患者さんをも引きつけるのではないだろうか。

参考文献

エイ出版社編集部(2018) 「日本が誇る100のこと (エイムック 4098) 」 枻出版社.

日本経済の問題点、中小病院の役割

2018年8月13日発刊 | NO.551

日本経済を支えているのは、99%の中小企業であり、病院でも70%の民間病院の内、大部分を占めるのは300床未満の中小規模病院である。

広島・長崎への原爆投下を経て、1945年8月15日に太平洋戦争が終わってから、日本は幸いにも戦争のない平和な73年を過ごし、現在に至っている。

戦後は、多くの都市が破壊され、病院は激減、生産手段も壊滅的状況にあったが、人口増・内需拡大型経済を高度経済成長のもとに達成してきた。

しかし、21世紀を迎えて、Made in Japan から Made by Japanに大きく変化し、輸出大国から、人口減・内需低迷型経済へ大きな転換を余儀なくされている。

少子高齢・人口減少社会を迎え、更に主要都市への人口集中が加速し、地域の過疎化は進行している。

日本経済を支えてきた地方の中小企業は、地域経済を支えていかなければ、東京一極集中へと向かう流れを変えることはできないのではないだろうか。

駒澤大学教授の吉田敬一先生は、岡山同友会第27期同友会大学第2講義(平成30年8月6日)の中で、地産地消ではなく、地産地商にしていかなければ、地域経済は疲弊していくと言われた。

地域でとれた産物を地域の商人が仕入れて販売すれば、地域の中でお金が回る。

しかし、地域でとれた産物・商品を、大企業が集めて販売すると、利益は本社がある東京に集中する。地域のお金が東京に吸い取られていく。

例えば、コンビニエンスストアなどは、全国から産物・商品を集め全国津々浦々で販売しているが、その利益は本社に集約されている。便利にはなったが、地域の活力や、人とひととの関わり合いは少なくなってきていると思う。

医療においても、東京の病院で行われる手術や治療(岡山でも出来る治療であっても)が、マスコミなどで大きく取り上げられると、わざわざ東京で治療を受け、治療費も東京で支払われる。銀行などでも同様で、人が都心部へ移動するのに伴ってお金も集中している。

岡山県(人口200万人)でも、人口減少が進んでいく中で、中小規模の企業・病院が、それぞれの特色を発揮して、社会の経済・福祉・文化を支えていかなければならないと思う。

中小企業憲章の中に「中小企業は、経済を牽引する力であり、社会の主役である。

我が国は、現在、世界的な不況、環境・エネルギー制約、少子高齢化などによる停滞に直面している。

中小企業がその力と才能を発揮することが地域経済を活気づけ、同時にアジアなど新興国の成長をも取り込む日本の未来を切り拓く上で不可欠である。」とあるが、中小規模病院の役割も同じであると思っている。

参考文献

「中小企業憲章」 (平成22年6月)閣議決定 経済産業省中小企業庁 事業環境部 企画課.

過疎地域を活かす工夫

2018年8月6日発刊 | NO.550

 毎年、お盆の時期には先祖の墓参りをしている。この夏にも、親族縁者で吉備中央町井原にある土井家のお墓の掃除とお参りをしてきた。

 私は、この村(旧長田村)にあった旧長田小学校に2年生まで通った。小学校跡地は現在、コミュニティーセンターとなって、地域の交流の場所になっている。小学校に通っていた頃は、まだ農業が盛んで、若い人も多く、地域のお祭りである加茂市祭りは村を挙げての賑やかなものであった。田んぼの稲刈り・田植えなど多くの人が助け合って農業をしていたように思う。田んぼには牛も入っていて、この農耕牛が今のトラクターの役目をしていた。人は牛や鶏と共生していたし、日本中何処へ行っても、農業が地場産業であった。

 しかし、昭和30年代から50年代(1955~1973年)の20年にかけて高度経済成長時代に突入した。工業化が進み、若者が職を求めて都会へ都会へと流れ、戦後の高度経済成長を支えていった。岡山県でも、三木行治知事の時代(1951~1964)に、水島コンビナートが開設され、農業県から工業県に大きく変化していった。平成の時代になると、田舎からは若者が消えて高齢社会となり、農業の担い手も高齢者がほとんどである。「定年後、田舎に帰れば、青年団」という時代である。

 田舎からは、わら屋・水車小屋・棚田など昔の姿は消滅し、日本らしい美しい景観も時代と共になくなってきている。子どもの数も減少し、小学校や中学校は統合され、田舎の商店や医療機関も少なくなった。田や畑にはイノシシが出没して農作物に被害を与え、猿も民家に忍び寄る状況である。田舎に行く道は舗装されたが、バスの定期運行は本数が少なく、自家用車が運転できなければ、買い物でさえ不便である。

 過疎の町村が昔の賑わいを取り戻すには、今までの発想では無理だと実感している。ではどうすればいいのか名案は浮かばない。しかし、発想の転換や働き方改革によって、その活路を見出すことはできるのではないだろうか。都会に住まなくても仕事のできる環境整備や、田舎といえども便利になっている道路網や通信網を利用した生活と仕事の安定化など、地域の暮らしを支えることができれば、豊かな自然環境の中で、多くの人がより心豊かに人生を送ることができるのではないかと思う。

 また、地域を活性化させる担い手として地元の中小企業がその役目を果たして欲しいと願っている。今が過疎地域を活かす工夫の生きる最後のチャンスかもしれない。

参考文献

河合雅司(2017) 「未来の年表 人口減少日本でこれから起きること」 講談社現代新書.

人生100年時代の生き方

2018年7月30日発刊 | NO.549

 先日、一区切りの仕事を終えて、新しい次のチャレンジに向けてスタートされた女性(田渕泰子氏)の卒業式に出席した。多くの支援者が集っての特定非営利活動法人LIFEの設立披露宴でもあった。ラジオアナウンサー(マスコミ界)を卒業して、次のステップに福祉界へ転身して15年間、地域交流イベント「ひまわりサロン」、メンタルヘルス教育「こころの病気を学ぶ授業」、街づくり会議「ひまわりカフェ」、障害者自立支援法施行の新事業開設など、様々な事業に取り組み、これらの事業を次の時代を担っていく若者を育て、次の目標に向かって「岡山大学大学院、教育学研究会修士課程教育科学専攻」に入学された。卒業は英語でコメンスメント(commencement)と言い、卒業ではなく「始まり、新しい生活の始まり」の意味がある。それは新たなスタートであり、次の夢に向かって挑戦である。心からスタートをお祝いしたい。田渕さんの、「唐突なご報告ですが」から始まる挨拶状の中に「研究をさらに深めて、マスコミでの15年間の経験、医療・福祉での15年間の経験と30年の現場経験を生かし、研究を今後の障害福祉、精神保健分野で貢献できるように精進してまいりたいと思います。メンタルヘルス教育『こころの病気を学ぶ授業』を岡山のみならず、全国に普及展開することで、当事者のいきやすい社会を構築できる一助になれたらと思っております。」とある。人生100年時代は、生命(いのち)は時間でもあり、その時間を使っていける時代に私たちは生きている。人生の中には多くの区切りがあり、青虫から、蛹に変身、更に美しい蝶々に変身していくように、人それぞれに新たなコメンスメントを演出して挑戦していくことが人生100年時代の生き方だなと感銘を受けた。

参考文献

山陽新聞メディカ掲載記事 

①共に生きる~メンタルヘルス教育普及をめざして~

②精神科医療からの町づくり 地域との架け橋「ひまわりサロン」 (掲載2018年06月04日)

http://medica.sanyonews.jp/article/9226

③精神科医療からの町づくり こころの病気を学ぶ授業 (掲載2018年07月02日)

http://medica.sanyonews.jp/article/9354

よきリーダーとは

2018年7月23日発刊 | NO.548

瀬戸川礼子さんの著書「よきリーダーが大切にしている7つのこと」を改めて拝読した。彼女はジャーナリスト・中小企業診断士で、宿泊・飲食産業の業界誌「週刊ホテルレストラン」の記者を経て2000年からジャーナリストとして独立。以降は、多様な業界で、働きがい、顧客満足、おもてなし経営、よきリーダーとは、などを主題に、全国の2,500社以上を取材。日本の経済を支えている中小企業のリーダーとは何かを問うている。

瀬戸川礼子氏は、よきリーダーとは「惜しみない人間愛を持って、人の輝きを引き出す人」だと。私は「こころ」を大切にする日本文化に根ざしたリーダーのあり方だと思った。さらに次の7つの在り方としてとらえている。 「数字より心を大切にする」「スピードより順番を大切にする」「満足より感動を大切にする」「威厳より笑顔を大切にする」「仕事に感情を持ち込む」「率先垂範せず主体性を大切にする」「効率より無駄を大切にする」

1つ1つ取材に基づいたリーダーのあり方である。利他の心で人の幸せを考え抜き、実践されてきた7つのエッセンス。これは、日本人ならではのリーダーシップ論と言ってもいいのではないかと思う。 私も、一歩一歩、経営理念という目的に向かって、歩んでいきたいと思っている。

 

参考文献

瀬戸川礼子(2017)『「いい会社」のよきリーダーが大切にしている7つのこと』 内外出版社.

岡山を襲った豪雨から学ぶ

2018年7月17日発刊 | NO.547

平成30年7月6日から7日にかけて大雨が降り、各地に甚大な災害をもたらした。
岡山県では初めて大雨特別警報が発令された。
総社市下原地区では、豪雨と同時にアルミ工場の大爆発が発生し、更に被害を大きくした。
岡山市中心部でもその爆音が聞こえてきた。
そして、倉敷市真備地区では、小田川が氾濫して多数の犠牲者が出た。決壊した小田川、その支流の決壊もあって、多くの家屋が水没し、航空写真を映像で見ても、岡山では今まで見たことのない水没家屋や茶褐色の畑や田んぼが広がっていた。
岡山県内の死者61名、全壊家屋120棟、避難指示11,097世帯、避難所開設42カ所、断水約16,220戸である(7月15日午後8時 山陽新聞7月16日報道)。
この度の被災で亡くなられた方々には、心から哀悼の意を捧げます。
また、被災されて避難生活を余儀なくされている方々が、一日も早く平安な日々に戻られることを願うばかりである。
全国からは次々と支援の手がさしのべられ、約2,000人のボランティアが応援に駆けつけて下さっている。
毎日、極暑の中、被災者の方、ボランティア活動をしてくださっている方々が、熱中症や感染症などの二次災害が起らぬように願っている。 当院は旭川に沿った旭東地区に位置しているが、幸いにも今回大きな被害はなかった。
しかし、職員の住宅の床上浸水や、床下浸水は報告されている。
職員の親族となると多くの関係者が被災している。
これまで岡山県は、地震も少なく、『晴れの国おかやま』として、台風が来ても「たいがい大丈夫」という県民意識があったように思う。私も例外でなく、避難勧告がでていても、家にいる方が安全だなどの安易な考えで過ごしてきた。
この災害を私たち自身のものとして、防災マニュアルを見直し、防災の学習や避難訓練をこれまで以上に真剣に取り組んでいきたいと思う。

「こころよく働く」ために

2018年7月9日発刊 | NO.546

「こころよく働く」ために必要なことは
①組織に理念がある
②教育環境が準備されている
③適正な収入がある
④自分のやりたいことができる
⑤顔を合わせて挨拶が出来る
⑥笑顔がある
⑦いい上司がいる
⑧いい仲間がいる
⑨就業時間内に職場を離れることができる
⑩他者から褒められる
⑪学習ができる
⑫心身ともに満たされる(メンタルケアが出来ている、健康診断)
⑬余暇を自由につかえる
⑭勤務時間内に仕事を終えられる
⑮企業が成り立つ利益がある
⑯企業を通じて社会貢献が出来ている
⑰足るを知る


共に生き・共に育つ
「いつも力を合わせていこう」
「かげでこそこそしないで行こう」
「いいことは進んでしよう」
「働くことが1番好きになろう」
「何でも何故と?考えろ」
「いつでも、もっといい方法はないか探せ」  (佐藤藤三郎)
これは戦後まもない、1951年3月23日 山元中学校第4回卒業式の答辞の一節です。
このことが出来る環境を創っていくことが、職場においても、こころよく働くことにつながっていくことになると思う。

ジャーナリスト瀬戸川礼子氏は、いい会社づくりの正しい順番のイメージ(根→幹→果実)を著書に書いておられる。少しモディファイさせていただいた。

経営理念 理念
経営理念の確立と、理念を具体的に行動に移す経営指針書の作成と人材育成が「こころよく働く職場」を創っていくことになると思っている。


参考文献
①『「共に育つ」Part 1-教育のあるべき姿を求めて』中小企業家同友会全国協議会.
②瀬戸川礼子(2017)『「いい会社」のよきリーダーが大切にしている7つのこと』 内外出版社.

働き方改革~こころよく働く~

2018年7月2日発刊 | NO.545

『働き方改革法成立、初の罰則付き残業規制』という見出しで、平成30年6月29日(金)の参議院本会議で、自民・公明・日本維新の会など賛成多数で成立したとの報道がなされた。
非正規労働者の待遇を改善する「同一労働、同一賃金」など働く人の保護策を盛り込んだ。
残業抑制や過労死防止につながる効果が問われている。

人間が生きるということは、本来自己中心であり、このことは生命の特徴である。
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」という短編小説の中で、お釈迦様が極楽の蓮池の縁を散歩なさっているとき、地獄で罪を犯した人々が針の山や血の池で苦しんでいる様子が見える。
その中に、カンダダという人物がいる。
カンダダは人殺しなど悪いことをやったが一つだけ良いことをした。
林の中で、蜘蛛の子を踏み殺そうとしたが、これも小さいながら大事な命のある生きものだと思い、その生きもののけなげさに打たれて、殺すことをやめた。
お釈迦様は、カンダダに蜘蛛の糸を垂らして、救いだしてやろうとする。カンダダはその糸に気づき、その糸をさんざんな努力でのぼっていく。
一休みして下をみたら、数百、数千の罪人がその糸にぶら下がって、同じようにのぼってこようとしている。
そこで、カンダダは叫ぶ「下りろ、下りろ」と!とたんに自分の上で糸が切れて、地獄に真っ逆さまに落ちていった。 

震度8の巨大地震が起れば、誰でも我先に逃げていく。生命(いのち)の特徴は、自己中心であることは、万人の認めることである。
しかし、私たちは産まれた瞬間から、太陽や空気、水などの恩恵にあずかり、食物として他の命をいただいている。
それら他との依存でもって生命を永らえている。我々人間は、あるときは自己中心的に傾き、あるときには他者依存に傾く。
その間を選びながら人生という「ドラマ」を演じている。
働き方改革は、「同一労働、同一賃金」「残業代」に象徴されているように、お金がものごとの価値判断になっている。
こころよく働くという、労働の価値を『こころよく』に置いていないのは寂しいと思う。
大田堯先生は、「自己中心へ向かうベクトルと、他者依存へ向かうベクトルという、緊張する二つの柱を結びつけるにはどうしたらいいのか」の問いに対して、石川啄木の詩を紹介されている。
  「こころよく 我にはたらく仕事とあれ それをし遂げて 死なむと思ふ」 この内面からの『こころよく』が大切である。
働き方改革法案の中で、そのような『こころよく』働くことを目的とした働き方改革をしていきたいと思う。

参考文献:
大田堯著(2011)『かすかな光りへと歩む-生きることと学ぶこと』 一ッ橋書房, p105-192.

日本列島は地震列島~岡山も例外ではない~

2018年6月25日発刊 | NO.544

 岡山県は地震や台風、洪水など比較的自然災害の少ない地域である。阪神淡路大震災の時には震度3の揺れを経験したが、岡山に住んでいると、それでもすごい地震であったと記憶している。2018年6月18日、大阪北部で震度6の直下型地震が発生し、犠牲者とインフラの破壊が報じられた。
 私は6月20日に東京出張で宿泊した都市センターホテルの8階(日本都市センター会館)に「防災専門図書館」があるのを発見した。8階のエレベーターを降りると、スタッフの皆様が親切に説明をして下さった。昭和31(1956)年に開設し、地震や火災、事故や環境問題など様々な災害やその対策に関する約16万冊の資料を所蔵し、パネルが並べられ、パンフレットなどが設置されていた。そこで、三陸海岸を襲った生々しい津波の記録映像も拝見した。図書館のパンフレットには、防災、災害等に関する資料の収集とその活用・発信を通じて、住民のセイフティーネットとして貢献するため公益社団法人全国市有物件災害共済会により運営されていると説明されていた。また、『皆様のご利用ご活用お待ちしています』と書いてあった。日本では震度6以上を記録した地震が、30年間で20回以上あったとのこと。〈参考:気象庁 地震データベース:2011年4月現在。〉
 日本は歴史的に大地震で数え切れないほど多くの被害をうけ、今後もその脅威にさらされている。南海トラフ沿いの東海・東南海・南海地震などの海溝型地震、全国各地に存在する活断層による内陸型地震は、いつ・どこで発生しても不思議ではない。日本列島は地震列島である。岡山県は比較的地震の少ない地域であるが、南海トラフ沿いの大地震は近い将来発生の危機がある。病院においても病院のスタッフと共に、危機意識を持って日頃から震災に対する心構えと、防災訓練を行っていかねばと思う。「防災専門図書館」の存在を知り、多くの人が利用し、防災に活用されることを願っている。


参考  

「防災専門図書館」

URL:http://www.city-net.or.jp/library/

〒102-0093 東京都千代田区平河町2-4-1(8階日本都市センター会館)

国民病として恐れられた「結核」

2018年6月18日発刊 | NO.543

 先週の木曜日(6月14日)、当院のパッチ・アダムスホールにて、第119回岡山旭東病院地域連携カンファレンス・感染管理勉強会が開催された。岡山県健康づくり財団附属病院長の西井研治先生に「一般病院における結核患者の早期発見とその後の対策」の演題でお話しいただいた。当院の職員・近隣の医師・コメディカルスタッフなど150名を超える聴講者があり、関心の高さが窺われた。
 結核は、明治以後、昭和の時代(20年代)にかけて、国民病と言われ、国を挙げて治療・予防に取り組んできた。画期的な治療法は1944年、ワックスマンが放線菌から作りだしたストレプトマイシンで、劇的な治療効果で結核は不治の病ではなくなった。続いて、パス(PAS)、イソニアジド(INH)等、更に多くの「抗菌薬」が開発された。当院の一般財団法人操風会の創業者の1人である父 土井健男は、シベリアの抑留から帰国し、結核治療専門病院(東山病院)を設立して、昭和28年~昭和30年代まで多くの結核の患者さんを支えてきた。その後、徐々に結核患者は減少した。
 日本では、結核は解決済みの疾病と思われていたが、日本の結核罹患率は2010年に人口1万人あたり、18.2人で、10人以下となっている欧米に比較すると、結核の罹患率は高く、世界の中では「中蔓延国」とされている。原因は、高齢化によって、若い時に罹患した結核の再発や、結核に対する関心が少なくなり、早期発見、予防が遅れていることがあげられる。更に、結核の蔓延国であるアジア諸国からの旅行者に感染者がいて、結核菌感染が広がっているという実態がある。当院でも、年間に2~3症例が、結核と診断されている。「結核は昔の病気」ではないことを医療者も一般の市民も認識していることが大切である。
 日本が長寿社会になってきたのは、若い人たちが結核で若くして命を落とすことが少なくなったことも貢献している。化学療法の進歩・診断技術の進歩・感染予防・豊かな食生活などを支えた先人のお蔭であることを感謝して生きていきたいものである。

戦争とは何か

2018年6月11日発刊 | NO.542

 1人ひとりに聞くと、『戦争はいやだ』というにも関わらず、人類の歴史は戦争の歴史といっても良い。世界中で争いがあるが、交渉だけで問題は解決しない。その時には、武力を持って自分たちの我を通そうとする。
 人類(ホモサピエンス)は13万年前にアフリカの大地を跡に世界中に広がっていった。その過程で、民族が生まれ、国が形成されて、その間での紛争は絶えない。戦争で使う武器も時代と共に進化してきた。投石やこん棒に始まり、鉄器の武器・弓矢・火薬・戦闘機・戦艦・潜水艦・ミサイル・原子爆弾・水素爆弾・ロボット兵器・ITを使った情報戦争など留まることはない。殺傷能力は限りなく大規模になっている。軍需産業は大きくなり、一大産業でビジネスとなっている。
 第一次世界大戦の後には国際連盟が設立されて、二度と戦争をしないと誓ったにも関わらず、日本も加わり、第二次世界大戦が勃発した。76年前の1941年12月8日、日本の真珠湾攻撃から始まった太平洋戦争では、欧米諸国・中国などの連合軍と苛烈な戦争が3年に渡って繰り広げられた。他国民の2,000万人ともいわれる犠牲者をだし、日本国民も300万人以上の犠牲者をだしている。硫黄島の戦い、沖縄での地上戦の苛烈な戦いが米軍の記録映画に残っている。日本人もアメリカ人も多くの犠牲者をだしている。更に、広島・長崎への原爆投下で何十万人に上る民間人の犠牲者をだし、今なお、被ばくによって世代を超えた後遺症が報告されている。
 1945年8月15日、日本は無条件降伏を受け入れた。そして、二度と戦争をしない国に生まれ変わった証として「平和憲法」「教育基本法」がセットで制定されと学んできた。ドイツでも、ヒットラーが率いるナチス政権が、人種差別政策を推し進めて多くの犠牲者をだし、戦後ニュールンベルグ裁判を契機に新しいドイツを目指している。そして、国際連合が結成されて平和の先頭に立って欲しいと思うのに大国のパワーゲームが繰り広げられている。
 私たち一人ひとりの問題として、自分の子や孫の時代のこと、そして人類の将来を考える時期に来ているのではないかと思う。民主主義を守るためには、一人ひとりが選挙に参加して自分の頭で考えて選挙に参加することが最も必要なことであると思う。戦争は、知らぬ間に足元に近づいてくる。私たちの医療サービスは平和であってこそ成り立つ。いまのままでは人類の未来は破滅しかないように感じている。

参考文献:
①安保法制違憲訴訟の会 編(2017)『私たちは戦争を許さない—安保法制の憲法違反を訴える』岩波新書.
②對馬達雄(2015)『ヒトラーに抵抗した人々—反ナチ市民の勇気とは何か』中公新書.

2018年6月4日発刊 | NO.541

 蛍は田舎に行けばどこにでもいるものだったが、少なくなっていた。最近は農薬の散布の減少や浄化槽の整備などにより、川がきれいになったおかげで蛍が帰ってきている。 先日、私が幼少の頃育った吉備中央町井原に住んでおられるKさんから、蛍が出ていますよと連絡があった。日曜日でNHKの大河ドラマ「西郷どん」を観ることにしていたが、録画にして、またとないチャンスと家族で蛍を見に行ってきた。旭川の支流(豊岡川)の小川に沿って蛍(ゲンジボタル・ヘイケボタル)の乱舞を見ることができた。昭和20年代の子どもの頃にはあたりまえに見られた光景を眺め、昔が思い出された。

 おじいちゃん、おばあちゃん、隣のおばさん、同級生の友人などみんな亡くなってしまった。遊びほうけて、夕暮となり、もの悲しいカナカナ蝉の声、フナやハエなどの魚釣りや、沢ガニをとりにいった日々を思い出す。田んぼや段々畑、水車小屋も藁屋の古い家屋もあった。岡山県下三大祭りの加茂大祭に、井原の八幡様の階段を若い衆が神輿を肩にかついで、急な石段を降りてくる風景や、樹齢500年を超える杉や桧に覆われた総社宮での、獅子舞、棒使いなどの演舞が昨日のことのように思い出される。友人とニッケの置いてある物置でニッケの皮をかじったこと、トマト畑でトマトを食べたこと、砂糖瓶から砂糖をとってなめたことなど、走馬灯のように思い出す。小学校の頃には、まだ疎開してきていた子ども達がいて、田舎の長田小学校も賑やかであった。今は、学校も廃校となり「長田ふれあいセンター」になっている。校庭にあった二宮金次郎の像が今も跡地に建っている。子どもの頃には大きな道、大きな川と思っていた世界が、今では過疎地となって、若者はほぼ出払った静かで小さな古里になっている。イノシシや猿、狸も出没すると聞く。

 日本は、自然に恵まれて、四季折々の豊かな自然がある、都会に都会にと人が移動するが、もっと古里を大切に、時には帰って自然の中に身をゆだねたいと思う。「ほたるこい、 ほたるこい、故郷の山河が呼んでいる。」

重職心得箇条

2018年5月28日発刊 | NO.540

 重職心得箇条は、大臣の心得として佐藤一斎先生(1772~1858)が、自分の出身の岩村藩のために選定した藩の十七条の憲法で、これが「重職心得箇条」です。佐藤一斎先生は、幕府の昌平黌の塾頭(今の大学総長)であった。一斎は当時天下各藩の志ある者で先生の人物、学問に傾倒し教えを受けなかったものはいないといわれるほど、非常に広い感化を世に及ぼした人である(文献①からの引用)。
 大臣の心得に現代にも通じるリーダーのあり方が書かれている。その中で、心を打つ名言がある。大臣たる者の心得の中に「平素嫌いな人を能く用いると云う事こそ手際なり。此の工夫あるべし」人間というものは好き嫌いがあって、いやだ、嫌いだとなると、とかくその人を排除しようとする。たとえ自分の気に入らない者であっても「正しいこと」「それなりに理がかなっている」「例え人に評価されていない者」であっても、その人の持ち味、隠れた才能を見つけ出して、その才能や、やる気を引き出して活用する。それが、重職(リーダー)たるものの手腕である。現在でも、上司が部下を活かす大切な心得であると思う。

参考文献:
①安岡正篤(1995)『佐藤一斎「重職心得箇条」を読む』致知出版社.
②香川昇(2016)『人の上に立つものの17の心得 ― 佐藤一斎「重職心得箇条」に学ぶ』時事通信社.

職場のモチベーションUP

2018年5月21日発刊 | NO.539

モチベーションをあげるものは何か
① 給与が高い
② 社長や上司に褒められる
③ 上司や同僚との絆を実感したとき
④ 人のお役にたったとき
⑤ 同僚から感謝される
⑥ お客さんに感謝される
⑦ 自分がやりたいことが出来たとき
⑧ 仕事にやりがいを感じたとき
⑨ 仕事を通じて業績を上げたとき
⑩ 自己実現〔自分の夢が実現できたとき〕
などを挙げることが出来る。
 職場は、生活の糧を得るところであり、製造業であれば自ら働いて商品を作り、サービス業であればサービスを提供して、その対価として収入を得て生活の糧とする。公務員は公務を通じて市民に行政サービスを提供して給与を頂く。同時に職場とは、人間らしく生きるための場所であり、生涯学習の場でもある。職場も様々あり、組織が大きいか、小さいかの違いもあるが、仕事の質の向上を目指すことに変わりはない。それぞれの場所で、『置かれたところで、咲きなさい』である。(渡辺和子先生の言葉)
大田堯先生は「生命の特徴」を ①ちがう ②かかわる ③かわる であるという。
 命の特徴の1つは、ひとりひとりちがう。言い換えれば「自己中心的である」ともいえる。しかし同時に、1人では生きていけない。かかわりあいの知恵を学び、自分を変えていく。学ぶとは共に夢を語ることでもあると思う。青虫が蛹になって、蝶々に変身していくように、人間も学んで変わっていきたいものである。
 会社や組織には目的となる経営理念(志)が大切で、理念は「坂の上の雲」であり、それに向かって歩むことが職場でのモチベーションのアップにつながっていくのではないかと思う。経営理念に向かって、  
いつも力を合わせていこう
かげでこそこそしないでいこう
働くことが一番すきになろう
いいことはすすんでしよう
なんでも“何故”と考えろ 
いつももっといい方法はないか探せ (昭和26年中学校卒業式の答辞 佐藤藤三郎)
「念ずれば花ひらく」という坂村真民先生の詩があるが、念じて実践することによって、更に己のモチベーションを上げることが出来るのではないかと思う。

参考文献

渡辺和子:1927年生まれ、2016年逝去、ノートルダム清心女子大学教授・理事長を歴任、『置かれた場所で咲きなさい』など著書多数 
大田堯:1918年広島県生まれ、教育研究者、元東京大学教育学部部長、元都留文科大学学長、2011年には大田堯先生のドキュメンタリー映画「かすかな光へ」を作成(監督 森康行)全国700カ所で上映中。「100歳の遺言」大田堯・中村桂子共著
坂村真民:明治42年生まれ、97歳で逝去、多くの著書があり国民的詩人とし敬愛されている。詩「念ずれば花ひらく」は多くの人に親しまれている。

サイバーナイフにかける夢

2018年5月14日発刊 | NO.538

 サイバーナイフリニューアル(M6)記念講演会・祝賀会を平成30年5月12日、岡山県医師会館・ホテルグランヴィア岡山にて開催いたしました。参会者は約100名でした。当院のスタッフも各職種から多数参加し、共に学びを深めました。リニューアルに際して建築を担当してくださった、UR設計・大林組、新機種(M6)の導入を担当頂いたアキュレイ(株)・千代田テクノル(株)の皆さまに心より感謝しています。
 当センターは、2000年6月に発足いたしました。スタンフォード大学脳神経外科教授アドラー先生の画期的な発想によって、定位放射線治療装置の専用機として開発されました。そのアイディアに魅了されて、国内3台目、世界で8台目として当院に導入しました。サイバーナイフは馬場義美先生、津野和幸先生、現在日本赤十字医療センターサイバーナイフセンター長 佐藤健吾先生などの定位放射線治療チームによって、転移性脳腫瘍・髄膜種・脳動静脈奇形・頭頸部腫瘍など、約4,500症例に対して治療をおこなってきました。サイバーナイフの治療対象は、現在まで脳腫瘍を中心とした頭頸部が主体でしたが、体幹部の定位放射線治療の適応が、肺がん・肝細胞がん・前立腺がん・腎がんなど全身の悪性腫瘍(がん)にも拡がってまいりました。
 この度の記念講演の演者では、神戸低侵襲がん医療センターの西村英輝先生、新百合ヶ丘総合病院の宮崎紳一郎先生にサイバーナイフ治療についてのお話しを頂きました。また、座長の労をとって頂いた岡山大学放射線科教授 金澤右先生、脳神経外科教授 伊達勲先生には心より感謝しております。記念講演に参加下さった医師や放射線物理士、放射線技師、看護師、事務職、管理者の皆さまにとって有意義な時間となったことと思います。定位放射線治療は今後、全身対応に向けて進化していくものと思います。サイバーナイフの治療が頭頸部から始まりましたが、高齢者にとって侵襲の少ないサイバーナイフが体幹の癌治療にも貢献し、経営理念である「快適な人間味のある温かい医療」の夢の実現の1つとなりますよう願っています。

ブッポウソウ

2018年5月7日発刊 | NO.537

 吉備中央町下土井に腰痛の神様で有名な「横山様」が祭られている。その近くに毎年遙かインドネシアのジャングルから、波頭を越えて渡ってくる渡り鳥のブッポウソウを見に立ち寄った(平成30年5月4日)。その日の朝、一つがいのブッポウソウが帰ってきたという、10人ばかりのカメラ愛好家の皆さまが、巣箱に帰ってきた鳥の姿を撮影しようとカメラをセットして陣取っていた。
 ブッポウソウは、森の宝石と言われているように、口嘴が赤く羽は濃い青色で、鳩よりやや小振りの美しい鳥である。この鳥は絶滅危惧種にも指定されている。全国に飛来してくる場所は幾つかあるが、吉備中央町に飛来する渡り鳥を保護するために、町をあげて取り組んでいる。ブッポウソウ吉備中央町会事務局長を務めていらっしゃる中山良二さんは、全国から訪れる愛好家のために、ブッポウソウの巣箱近くに撮影場所を設置して便宜をはかっておられる。
 岡山大学農学部の研究者によってブッポウソウの生態の研究もおこなわれている。ブッポウソウは5月に飛来して、卵を産み、子育てをして、帰っていく。子育ての時期には、トンボなどの餌を捕獲して、ひな鳥に餌を与えるので、頻繁に巣に帰る。その姿を写真におさめる。コンクールも毎年開催されている。
 渡り鳥のように、国境もなく、自由に行き来できる、人種差別なく、戦争のない平和な世界を実現していく、大宇宙大和楽の世界は人類の夢である。

「美しい眺め」 坂村真民

やってきた
渡り鳥たち
呼びかけている
一本の木よ
そのやさしさよ 

注) 大宇宙大和楽 : 坂村真民の言葉

生命(いのち)を輝かす - ルース・スレンチェンスカ -

2018年4月23日発刊 | NO.536

2018年4月21日(土)東京サントリー大ホールで開催されたルース・スレンチェンスカ ピアノリサイタルにいってきた。ルースさんは、世界的なピアニストで、92歳まで現役のピアニストとして、円熟のテクニックと魂に共鳴する音楽で多くのファンを魅了してきた。

2003年の台湾で、当時78歳だったルースさんと、岡山市で歯科クリニックをされている三船文彰医師(高名なチェロ奏者)は運命的な出会いを果たした。その三船先生とのご縁で、2017年までに9回の来日をされ、岡山で開催した2005年1月の80歳記念を兼ねたラスト・コンサートを含め、20数回のコンサートをおこなっている。岡山でのラスト・コンサートを記録したNHKの「ラスト・コンサート」や、2007年4月の醍醐桜への奉納演奏をまとめたOHKの「千年桜が初めて聞いたピアノ」は全国的な感動を呼んだ。

コンサートは東京サントリー大ホールを満席にして、93歳という高齢を感じさせない、美しい、心ときめかす演奏であった。最後はスタンディングオベーションとなって、アンコールに応えられた。 三船先生のご尊父を記念する「劉生容記念館」のコンサートでお会いしたときの、知的で温かい、人柄に触れたことを思い出す。三船先生によると毎日、ピアノの練習を8時間されるとのこと、凄まじい精進です。お手本などと言えないぐらい凄いと思う。 ルースさんの生き様を拝見して、私も自分なりに生命を輝かして精進をしていきたいと思う。

注: 文中のルースさんの記事の多くは、ルース・スレンチェンスカ ピアノリサイタルのパンフレットからの引用である。

切り絵の楽しみ

2018年4月16日発刊 | NO.535

 私は約8年前、メイコー(株)社長である横谷敦子さんの手ほどきで「切り絵」を始めた。その後、毎春展覧会に参加させていただいているが、横谷さんのアドバイスと手直しでやっと作品になるという熱心さに欠ける創作活動である。 昨年、坂部信子先生(日本の切り絵の指導者)の研修に参加し、「毎日スケッチをすることが大切」と聞き、身近な野菜や果物、花、消しゴム、自分の手や指などなんでもスケッチしてきた。

先日、『岡山切り絵の会』の主催で開かれた坂部信子先生の研修会に、熱心な会員と一緒に今年も参加させていただいた。先生から「日本の切り絵」と「世界の切り絵」についてのお話があった。アジアの切り絵では中国各地に特色ある箭紙(せんし)があり古い歴史があること。韓国のソウルにも紙屋さんがあって、切り絵があること。タイにも影絵に使用する人形があり、切り絵の一種だと紹介された。ヨーロッパにも切り絵があり、ポーランドのカットペーパーはピチナンカと呼ばれている。童話作家で有名なアンデルセンも、切り紙の名手として沢山の作品を残している。メキシコの切り絵、ソビエトの切り絵と各民族特有の切り絵があることを知った。

日本の切り絵は、神事として古くから伝わっている。江戸時代から伊勢型紙の職人が染色の型紙を切ったものが今に残っているなど、切り絵は人類の歴史から見ると奥深い物だと感心した。現代風の日本の切り絵は50年の歴史であるが、紙の芸術として、山下清氏の貼り絵、高村智恵子氏の紙絵、吉原澄悦氏の切り絵などが有名である。外国では色を追い求める晩年のアンリ・マティスが紹介された。 日本の切り絵は中国からの影響を強く受けて発展してきた歴史があるが、風景や日常の生活の営みを題材にして、より芸術的な作品が作られているように感じる。

坂部信子先生は、毎日スケッチ、旅先では45分あれば風景や人物など切り絵の題材を常にスケッチされるとのこと。何事も手を抜かず追及していくことが「楽しみ」となっていくのではないかと思った。坂部信子先生の指導で、横谷敦子さんや会員の皆様によって岡山きり絵の会が継続され、会報も第27号が発行されているのは心強い。 第31回岡山きりえ展が2018年5月15日(火)~20日(日)まで岡山県天神文化プラザで開催される。

参考:坂田信子氏のホームページ自己紹介記事より
 私は、1975年より「きりえ」の創作を始めました。日々の暮らしの中から「生きる喜び」をテーマに作品づくりをしています。1996年より、アジアの国々、中国、インド、タイ、チベット、ネパール、ブータン、ミャンマー、ラオス、ベトナム、韓国、カンボジア、インドネシアを訪れました。それぞれの国、地域における、人々の生活、自然に興味を抱き、生きる力強さ、その優しい瞳に魅力を感じ、自然と共に心豊かに暮らす人々を「きりえ」で表現してきました。最近は「アジアシリーズ」の観点から日本各地の風景・神社仏閣・人物をきりえで表現しています。 日本きりえ協会常任委員・東海きりえ美術会代表・名古屋栄中日文化センター講師・岡崎中日文化センター講師・熱田の森文化センター講師
坂田信子ホームページ「きりえの世界」

歩くということ

2018年4月9日発刊 | NO.534

 何故人間は歩くようになったのか?
人は二本足で歩くようになって手が使えるようになり、脳が発達してきた。「人はやる気になって二本足で歩いた」という教育哲学者である大田堯先生の説は納得させられる。 歩くこと、手を使うことで脳循環がよくなり、脳が活性化し、結果として人間の脳は進化してきたと言えるかもしれない。歩くことが、未知との遭遇、出逢い、新しい文化との交流、学問との交流などから知的好奇心が生まれ、脳の情報代謝はますます活発になってきた。21世紀に入って、AI(人工知能)やIOT(モノのインターネット)など情報が国境を越えている。人・物・金もグローバルに動いている。 人は加齢や病気で動けなくなると、四肢の関節痛や腰痛などが加わり、筋肉が衰えて歩きにくくなり、そして次第に歩くこともできなくなる。歩かなくなることは、脳の情報代謝と脳の働きを低下させ、認知症につながる。認知症の原因の一つに脳梗塞や脳出血・くも膜下出血など、脳の神経細胞や神経回路に障害を与えて、認知症にいたる血管性認知症がある。全認知症の中で、血管性認知症は20%程度といわれている。60%はアルツハイマー型認知症であり、現在、日本では500万人の認知症患者がいると推定されている。原因は、脳内にアミロイドベーター細胞が沈着して、脳の機能を低下させる。歩くことは、脳を活性化して、認知症の予防効果がある。歩くことによって外部の刺激をうける。人と人の出逢いと交流が脳を活性化させる。糖尿病の人は脳内にアミロイドベーター細胞がたまりやすくアルツハイマー型認知症になりやすいと言われる。歩くことによって、糖尿病の予防にもなる。それを防ぐには食べ過ぎないこと、運動することが大切である。ご飯や、うどん、饅頭、甘いものなど炭水化物を減量して、歩くこと(運動をする)を継続することによって認知症を予防できるとの研究もある。 病院・福祉施設だけでなく認知症や認知症の前段階の人も地域社会の一員として、家族は勿論、地域住民が共に助け合って、日常生活を営むことが、地域包括ケアシステムと言っても過言ではない。

参考文献:
長尾和宏(2016)『認知症は歩くだけで良くなる 認知症予防と改善に最良の方法は「ながら歩き」! 』山と渓谷社.

大田堯先生の百歳の遺言

2018年4月2日発刊 | NO.533

  「私のいのち」1942年ヒロシマ部隊の入隊。南方最前線へ送られた。被爆を辛くも免れるものの米国潜水艦により、乗船が撃沈され36時間南海を漂う。

願わくは、この世界の、核を含むあらゆる武器を棄却、ひたすら人民(ピープル)自治による平和な社会を望みます。

大田堯「百歳の遺言」藤原書店


 御著書とこの一文「大田堯生生の最期の言葉」が送られてきた。生命(いのち)の視点から教育を考えてきた大田堯さんと40年の生きものの歴史から、生命、人間、自然の大切さを学びとってきた中村桂子さん、教育が「上から下へ教えさとす」ことから「自発的な学びを助ける」へ「ひとづくり」ではなく「ひとなる」を目指すことに希望を託す。(著書の帯に記されていた文章)これは、大田堯先生の、ドキュメンタリー映画「かすかな光へ」にも一貫して流れる。  ひとり1人のユニークな持ち味を、育てる環境整備の必要性を「ひとなる」に表現されていると思う。現在、経済優先から人財育成が企業にとって好ましいこととされている。企業経営においても「人を物」として見るのではなく、ひとを「ひとなる」として自ら、満ちくる思いを具体的に実現できるように教育(共育)の環境整備をすることが、学校で求められる課題であると同時に、生涯学習の場である企業経営(病院も含む)にとっても革新的なかすかな光への道筋ではないかと思う。  大田堯先生の思索と行動の軌跡を追った映画「かすかな光へ」(森康行)の上映を岡山旭東病院パッチ・アダムスホールで随時開催の予定である。

参考(百歳の遺言 の著者紹介記事より引用)
①大田堯(おおた・たかし):
1918広島県生まれ、教育研究者(教育史・教育哲学)、東京大学名誉教授・都留文科大学名誉教授、日本子どもを守る会名誉会長、北京大学客座教授
②中村桂子:
1936年東京生まれ。JT生命誌研究館長・理学博士。ゲノムを基本に生きもの歴史と関係を読み解く新しい知「生命誌」を創出、その構想を1993年、JT生命誌 研究館として実現。

ゴルフと認知症予防

2018年3月26日発刊 | NO.532

 認知症の治療法は、世界中で研究が進められているが、有効な治療薬はまだ先のようである。アルツハイマー病では、発症の20~30年前から脳にアミロイドベーターが異常に蓄積して「老人斑」という染みができる。このアミロイドベーターはPETで画像として見ることができる。また、国立長寿医療研究センター(愛知県)や島津製作所のチームで開発した方法では、わずか0.5mlの血液に含まれる「アミロイドベーター」が検出できると報告された。現状では診断はできても、確実な治療法はまだない。
 しかし、最近の研究では、日常生活の過ごし方によって認知症を予防できるというデータが、国立長寿医療研究センターから報告されている。運動習慣のない65歳以上の男女106名をゴルフ教室と健康教室に分けて研究をおこなった結果、ゴルフ教室で週一回のペースでプレーし、半年間後、認知機能検査を実施して比較したところ、ゴルフ教室の参加者において、単語記憶能力が6.8%、物語を聞いて筋書きを書き思いだす「理論的記憶能力」が11.2%向上した。即ち、アルツハイマー病の予防には、①適度な運動 ②頭を使う活動 ③人との交流が有効であると言える。「ゴルフは認知症予防の条件にぴったりとあてはまる」と同センター予防老年学研究部長で、主任研究者の島田裕之が指摘している。ゴルフの愛好家にとっては嬉しい結果である。 ゴルフに限らず、テニス・野球・ジョギング・山登りなど仲間と交流し、適度な運動をすることが、健康長寿に貢献することは間違いなさそうである。

参考: 島田 裕之(しまだ・ひろゆき)
国立長寿医療研究センター 部長。平成15年北里大学大学院博士課程を修了(リハビリテーション医学)。東京都老人総合研究所研究員、Prince of Wales Medical Research Institute(Sydney, Australia)客員研究員、日本学術振興会特別研究員、東京都健康長寿医療センター研究所を経て、現在は国立長寿医療研究センターに所属。

30年後の医療サービス

2018年3月19日発刊 | NO.531

 少子高齢化問題は、出生率が向上しない限り解決困難な問題である。30年後には人口が1億人を切ることは推測されており、画期的イノベーションによってGDPが向上しなければ、財政的破綻から、国民皆保険・介護保険制度は破綻をきたし、民間保険が医療サービスの大きな役割を担っていくようになる。 急性期病院の平均在院日数は5日となり、病院自体のICU化、手術は外来に移行して急性期病院は半減することも考えうる。IOTの導入が進み(ロボット技術、遠隔医療、AIの一般化など)画期的治療や診断法(癌や認知症、難病の治療)が開発される。医療サービスが国境を越え、特に海外の富裕層への高度先進医療が提供されるようになる。 病院は「癒しの環境」などのアートや自然との融合が治癒力を高めることが常識になる。予防医学が重視され、健康寿命に向けて、国民意識の啓発がなされ、糖尿病・メタボリックシンドロームなどの病状の進行を防ぐ仕組みができあがる。保険制度も、「いつでも、どこでも、だれでも」が厳しくなっていくのではないかと杞憂している。疾病中心の医療から「心に寄り添った」人間中心の医療が細分化と統合化を互いに補完しながら進化していって欲しいと願っている。 私自身は、世界に冠たる国民皆保険制度そして介護保険制度の維持発展を願っている。

日中友好の交流に思う

2018年3月12日発刊 | NO.530

 いま、多くの国から日本を訪れる観光客が増え、2017年度、中国からも500万人が訪れている。その中には、病気や、健診を希望される人もあるのではないかと思う。中国と日本は、奈良時代に遡ると、遣隋使・遣唐使などを通じて多くの文化や宗教がもたらされ、政治体制(律令国家)など大きな影響があった。その文化は今も日本に残っている。岡山市日中友好協会を介して、多くの人の往来がある。岡山旭東病院もジャパン インターナショナル ホスピタル「JIH」の認証をうけて中国を含む海外からの健診や患者さんにも対応していきたいと準備をしているところである。 大田堯先生(元東京大学教育学部教授・都留文科大学学長を歴任)は生命の特徴を「ちがう、かかわる、かわる」であるとおっしゃっている。国や民族はちがう、当たり前のことである。しかし、人が1人では生きていけないように、国や民族も他との関わりなく過ごすことは不可能である。また、蝶は卵から青虫になって、蛹になって、蝶に変身していく。変わることが生命体の特徴である。同じように国や民族も常に変化していく。国も色々な文化や政治体制を変化させながら変わっていく。その中で、中国とも「共に関わり合いの知恵」を学び共に育ち合って友好を進めていきたいものである。医療を通じての交流も関わり合いの知恵の一つではないかと思う。

人生100年時代

2018年3月5日発刊 | NO.529

 厚生労働省は2017年9月15日の発表で、100歳以上の高齢者が6万7,824人と毎年増加していると報告している。私たちは、多くの高齢者が元気に生活できる社会を理想として社会を築いてきた。そのような社会にしていくために、戦後、新憲法の民主主義のもと、農業から商工業立国を目指し、経済の発展によって、高速道路の整備、新幹線、空港などの交通網の整備、水道・電気・ガスなど社会インフラの整備、社会福祉制度として国民年金制度、国民皆保険制度、介護保険制度、教育制度の充実などによって、私たちの衣食住が満たされ、各種インフラが整備され、快適な生活が出来るようになっている。
勿論、多くの社会問題が山積していることは周知のことである。しかし、世界中で76億人がこの地球上に生活していても、1日1ドル以下の生活をしている人が12億人以上もいるという。そう考えると、私たちはなんと恵まれた生活をさせて頂いているか、『有り難い』ことである。
長寿社会になっても、障害を持ったり、認知症になったりすることも大きな問題である。しかし、健康を維持する方法も研究されて、健康長寿の時代が近づいている。健康長寿に魔法の方法はないが、健診をして早め早めに、己の健康を自ら守り、適度な運動を継続することなども健康長寿につながる。人間は1人では生きてはいけない。友人をつくり、出来れば仕事を続け、家族関係を大切に、多くの事柄に好奇心を持ってチャレンジしていきたいものである。私たちひとり1人が脳の情報代謝を活発にし、脳の健康と体の健康に留意して健康な長寿社会にしていきたいものである。もちろん、世界が戦争のない平和であることが前提であるが。

文化は国境を越える

2018年2月26日発刊 | NO.528

認定NPO法人 岡山市日中友好協会総会において2018年2月10日、中国の学者、毛丹青教授①の講演「越境する日本文化と中国の若者たち」を聞く機会があった。毛先生は、25歳(1987年)の若い時代に、文化大革命の時代を中国で過ごした後、日本の三重大学に留学。一時、日本の商社にも勤務、日本の文化に関心をもって、日本の文化を中国の若者に知らせたいと「知日」という月刊誌を発行された。雑誌はベストセラーになっている。尖閣列島や靖国などの問題で中国と日本の間で政治問題が紛糾する中でも、中国の若者は、日本の文化に関心をもっていたと毛先生は話された。日本には、遣隋使・遣唐使の時代から多くの中国文化が渡ってきて、今の中国にはなくなっている文化が残っているものもあり、中国の古き良き時代が、息づいているという。

禅・茶・お寺・おもてなし・盆栽・漫画などの文化は国境を越え、日本への関心が高まり、500万人もの多くの中国の若者が、観光客として日本を訪れている。それに引替え、日本人は内向きになっていて、外国(中国を含めて)への関心が少なくなっているように感じる。戦後日本人は、アメリカに憧れて、多くの留学生が海を渡った。そして、アメリカから多くを学び、驚異的な高度成長を成し遂げて、1979年には[Japan as number One]と言われるようになった。今、中国の若者は、アメリカ・日本・ヨーロッパと世界中に向かっている。そして中国は、確実に世界に影響を与える国に成長している。私は文化の交流を互いに進めていくことによって政治の問題も少しずつ解決されていくのではないかと期待している。交通手段の発達・ITなどの情報手段の発達など人の往来がますます頻繁になっていく中で、文化交流が、人と人との絆を強固にしていくのではないかと思う。各国は軍拡競争でなく、文化交流の競争をしていきたいものである。


参考 ①毛丹青(神戸市外国語大学客員教員プロフィールより)
毛 丹青(まお たんせい)職位:客員教授、所属学科・グループ:中国学科、専門分野:中国語、中国文学、日本文化論、講義科目:「中国語講読」、経歴:1985 年 北京大学 東方言語学部 卒業、1987年 三重大学留学、1989年 白光水産に就職、1993年 神栄株式会社に転職、1998年 著述業に転身2009 年 神戸国際大学教授に就任。


②「ジャパン・アズ・ナンバーワン』(原題:Japan as Number One: Lessons for America)
社会学者エズラ・ヴォーゲルによる1979年の著書。 戦後の日本経済の高度経済成長の要因を分析し、日本的経営を高く評価している。日本語版は、広中和歌子・木本彰子の訳により『ジャパン アズ ナンバーワン: アメリカへの教訓』として、TBSブリタニカから英語版より1ヶ月遅れで出版された。日本人が日本特有の経済・社会制度を再評価するきっかけのひとつとなり、70万部を超えるベストセラーとなるなど、一世を風靡した。

診療受付時間

  • 午前 8:30~12:00
  • 午後 14:30~16:00
  • ※休診日 木・土午後 / 日・祝

面会時間

  • 一般病棟
  • 8:00~20:00

  • 集中治療室
  • 12:15~13:15

    18:00~20:00

page top