OKAYAMA KYOKUTO HOSPITAL
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院長のひとりごと

岡山旭東病院のホームページに訪問くださりありがとうございます。

院長のひとりごとは、毎週月曜日に発信いたします。

光陰矢の如し

2020年3月23日発刊 | NO.629

中国の儒者朱熹の「偶成」と題した詩がある。
「少年老い易く、学成り難し、一寸の光陰軽んずべからず、未だ覚めず地塘春草の夢、階前の梧葉、己に秋声」

私が岡山旭東病院の院長に就任したのは、昭和63年3月(49歳)であった。それから30年が過ぎた。昭和50年3月から12年間は、香川県立中央病院の脳神経外科主任部長として勤務医を務め、脳神経外科医として最も充実した時間を過ごすことができた。その後、整形外科医である弟の土井基之と院長・副院長として二人三脚で、脳・神経・運動器疾患の総合的専門病院を目指してきた。経営については全く経験がなかったが、ご縁があり中小企業家同友会に入会させて頂き、人間尊重の理念経営を学ぶことができた。30年間、全職員による経営指針を作成し、経営指針書をドラマの脚本として実践を積み重ねてきた。更に、学習型病院として、職員がテクニカルスキルと同時に人間力〔ヒューマンスキル〕を育成できるよう共育(共に育つ)にも努めてきた。
病院協会や同友会など様々な役割を通して、多くの経営者に出逢うことができ、平成31年4月には、公益財団法人として認可され、岡山旭東病院・岡山リハビリテーション病院・岡山ハッピィライフ操風など、公益財団法人操風会グループとして成長してくることができた。
月日の経つのは早いもので、「光陰矢の如し」を実感している。私は、弟の土井基之理事長と共に専務理事(総院長)として、次代の吉岡純二院長・土井英之副院長と幹部やスタッフを支え、この地域になくてはならない脳・神経・運動器疾患の総合的専門病院として、また公益財団法人操風会として発展していくことを願っている。 

奇跡の人 94歳のピアニスト

2020年3月16日発刊 | NO.628

2018年4月21日、ルース・スレンチェンスカのコンサートが東京・サントリーホールの大ホールで開催された。
ショスタコーヴィチとバッハの同じ二長調の{前奏曲とフーガ}から始まり、ブラームスの間奏曲を経て、ベートーベンのピアノソナタ「テンペスト」ラフマニノフの「絵画的練習曲」と進み、ショパンのエチュードで終わるという、まさしく音楽史を縦断するプログラムが93歳のピアニストによって演奏された。
聴衆は興奮して、拍手とスタンディングオベーションが止むことがなかった。そのあと、東北に足を伸ばし大震災への慰問演奏会もおこなわれた。

企画されたのは、三船文彰氏(岡山市で歯科を開業・チュリスト・音楽ディレクター)である。
ルース・スレンチェンスカさんが83歳の時、岡山県北部にある樹齢500年の醍醐桜への奉納演奏をしたとの報道があり、世の中には変わった人がいるものと思った。
それから10年、在住するニューヨークからしばしば岡山市を訪れ、音楽ホールや小学校の生徒に向けた演奏活動をされてきたという。
三船文彰氏の自宅のホールで開かれたクララシューマンの残したピアノ修復記念演奏会で演奏されたルースさんの素晴しいピアノの音に感動したことを覚えている。
三船文彰氏の言葉によると、「ルースさんは世界最強のピアニストであり、日々進化されている。例えて言えば、絶滅危惧種であって、既に6000万年前に絶滅したティラノザウルスが目の前に現れた」と形容されている。
94歳のルースさんが常に挑戦続けている姿は、全てを「no」でなく「yes」と言うことから始まる。
ルースさんの生き様は、多くの人にチャレンジする勇気を与えてくれる。
三船文彰氏の企画で、2020年春にも日本(岡山と東京)での講演会が実現するものと期待している(コロナウィルスの終焉となれば...)。

参考文献
ルース・スレンチェンスカ (2019)『ルース・スレンチェンスカ 九十四歳のピアニスト 一音で語りかける (KOKORO BOOKLET―のこす言葉) 』 平凡社.

友人医師の死

2020年3月9日発刊 | NO.627

当院にとってかけがえのない脳神経外科医師であり、長年サイバーナイフセンター長を担当され、定年後は顧問として働いてくださった馬場義美先生がご逝去された(享年74歳)。
2000年に全国で3番目、世界で8台目としてサイバーナイフを導入してから、主に脳腫瘍の患者さんの治療に関わってくださった。患者さんには優しく、治療には厳しく、を貫かれ、多くの患者さんに感謝されてきた。胃がん(スキルス)が見つかり、約1年で帰らぬ人となられた。
2020年3月4日、私の家の庭に咲いている河津桜を枕元に置くと、いい笑顔で喜んでくれた。翌5日に、本人の希望で、自分の職場である定位放射線治療室にお連れしてベッドに横になったままではあったが、共に働いてきたスタッフ達とお別れができ、その夕刻に穏やかに息を引き取られた。先生の最後は、痛みも訴えず穏やかな最後であった。病院多くのスタッフで、玄関から先生のお見送りをさせていただいた。

咲くも無心
散るも無心
花は嘆かず
今を生きる    「真民」

先生は、死ぬ直前まで、「今」を生ききった。きっと極楽浄土への道を歩まれている。

新型コロナ・インフルエンザ(COVID19)について

2020年3月1日発刊 | NO.626

世界にパンデミックな猛威を振るっている。
今から100年前(第一次世界大戦の時期)にはスペイン風邪が猛威を振るい、多くの人が罹患して多大な犠牲者がでた。それと同じことが起っているのではないかと思う。
当時はウイルスの概念がなく、悪性の風邪という認識だったようだが大流行した。しかし、人類は免疫を獲得して終焉を迎えた。
時代が変わり、医学の進歩も格段に進歩し、ワクチンの開発、治療薬の開発、コロナウィルス感染の遺伝子解析による的確な診断(全員検査には時間がかかるが)ができるようになっている。
死亡率2%であるが、死亡者はまだでると予想されている。しかし、いずれ終焉に向かうと思う。それまでは、手洗い、うがい、消毒を徹底し、状況に応じたマスクの使用や集団の中にはできるだけ出て行かないなど対応が必要である。
最も大切なことは、体調を整えることであり、高齢者、糖尿病、高血圧症など持病のある人などには注意が必要である。
100年前のスペイン風邪の死亡者は、日本でも39~45万人と報道されている。安倍晋三総理大臣の決断と実行よってパンデミックの猛威を防ぐことができるか。共に協力して対処して参りたいものである。
風評被害がでないように、情報に翻弄されないように!1人ひとりの行動が自分と仲間を守る!



参考
スペイン風邪: 1918年から1919年にかけ全世界的に大流行したインフルエンザの通称である。
アメリカ疾病予防管理センター(CDC)によるインフルエンザ・パンデミック重度指数(PSI)においては最上位のカテゴリー5に分類される。感染者5億人、死者5,000万~1億人と、爆発的に流行した。 日本では、当時の人口5,500万人に対し39万人が死亡。
『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2020年3月1日 (月) 11:30 UTC、URL: https://ja.wikipedia.org

『おかやま・あかいはな道化教室』第一幕の終わり

2020年2月25日発刊 | NO.625

笑いの種まきをして、100名を超える多くの人に愛された「おかやま・あかいはな道化教室」の第一幕を閉じるに当たって、発足から今日までの18年間の歩みや、道化教室の仲間で作り上げた様々な活動・地域のボランティア活動や関わってくださった方達の寄稿を中心に記録集を発刊した。
道化教室は、2002年9月1日に開催したアメリカの道化医師パッチ・アダムス氏の講演会で「ぼっけぇ仲良くなろうでぇ」をテーマに集った仲間を中心に発足。
敬愛する道化師・塚原茂幸氏を案内人として、ユーモア・コミュニケーションを共に楽しみ学び合った月日だったと思う。「道化には誰でもなれる」(パッチ)を実感した学びであった。
「広げよう 笑いの種 咲かせようあかいはな」のセカンドステージ(セカステ)が、企画されると思う。
学校でも 医療・福祉の現場でも、職場でも、家庭でも、「苦手は財産、不器用は才能、人は楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しい、正解なし、失敗OK、真の笑いは人と人との関係性の中で生まれる(塚原氏のメッセージの一部)」日々の生活の中で、笑いを絶やさず、ユーモア・コミュニケーションを実践し、「いきる・くらしをまもる・にんげんらしくいきる」を共に目指してまいりましょう。
それが私たちの真のセカンドステージである!!!

① Dr.パッチ・アダムス 岡山講演会2002講演集 2002年
② おかやまあかいはな道化教室5年間のあゆみ 2007年
③ 生命のきずなフォーラム2008 教師×道化師✕医師=豊かな人生の実践
④ おかやま・あかいはな道化教室 記録集 2020年
おかやまあかいはな道化教室
⑥ 道化師 塚原成幸『ユーモア・コミュニケーション ハンドブック』 清泉女子学院短期大学幼児教育学科 塚原教室.著

国宝薬師寺のおみくじ 大吉

2020年2月17日発刊 | NO.624

先日、奈良県中小企業家同友会共育大学での講演で奈良県を訪れ、一泊して薬師寺に参拝してきた。1300年の歴史をもち国宝でもある東塔や薬師如来など諸仏を拝観して、薬師寺でおみくじを引くと、なんと『大吉』であった。特段信じているわけではなかったが、とても豊かな気持ちになって帰ってきた。
病院へ戻ると、当院を退院された50代男性患者さまよりメッセージが届いており、これも私にとっての『大吉』であった。

「感動するくらいのホスピタリティーを全てのスタッフから受け、居心地よく治療に取り組めました。心から感謝いたします。特に感じた点は以下です。私も自分の職場で参考に取り組みます。
①一人一人の患者にONE TEAMでサポートしてくれた。縦・横のコミュニケーションによる情報共有、連携が素晴らしく、どの課のスタッフも私の状況をタイムリーに把握されており適時適切にサポートいただいた。
②全てのスタッフが親身で心のこもったサポートをしてくれた。風通しが良く、オープンで活力があり、働きがいのある職場環境であるだろうな。ES(職員満足)が良いから自然とCS(顧客満足)につながっているのだろうなと感じました。
③全てのスタッフに感謝ですが特に主治医の○○ドクター、担当看護師の○○さん、理学療法師の○○さんには本当にお世話になりありがとうございました。また、栄養課の皆様からはおいしい料理とメッセージカード等で元気付けていただきありがとうございました。」

これは、私が病院スタッフと共に目指してきた病院の姿であり、薬師寺のおみくじは大当たりであった。薬師寺にはお礼参りしたいと思う。ひとりでも多くの人に、薬師如来のお蔭がありますように。患者さまの期待に背かぬように。

参考
薬師寺:薬師寺(やくしじ)は、奈良県奈良市西ノ京町に所在する寺院であり、興福寺とともに法相宗の大本山である。開基は天武天皇。本尊は薬師如来。南都七大寺のひとつに数えられる。1998年(平成10年)に「古都奈良の文化財」の一部として、ユネスコより世界遺産に登録されている。『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2020年2月17日 (月) 15:00 UTC、URL: https://ja.wikipedia.org

おかげさま

2020年2月10日発刊 | NO.623

先日(2020/02/07)、奈良県中小企業家同友会の共育講座に報告者として、「人が育ちあえる組織風土づくり~職業人としての自覚と経営参加・地域参加」の講演をさせていただいた。
多くの先人達が、経営者の学びの同友会組織を作ってくれたお蔭で、奈良同友会の仲間にも私どもの経営体験を話す機会が与えていただけた。私と当院の人材育成センター長(河村武人)とで報告し、閉会後には懇親会で交流させていただいた。
せっかく奈良に来たのだからと、翌日は小学校の修学旅行以来60数年ぶりに法隆寺や薬師を拝観した。
コロナウィルスによる新型肺炎のため観光客は少なく、ゆっくり拝観できた。法相宗大本山薬師寺の僧侶の方から薬師寺の歴史の説明があった。最も感銘を受けたのは「おかげさま」という言葉であった。薬師寺の塔(東塔・白鳳時代)は国宝であり、また本尊である薬師三尊像(薬師如来・日光菩薩・月光菩薩)など1300年の歴史を経て今あるのは、白鳳時代から幾多の戦乱や地震・火事に見舞われながら、多くの人の必死の思いで後生に残してくれた人々がいたお蔭で、今日私達が見ることが出来るのである。
「誰が残したか分かりません。多くの人達の思いと行動のお蔭と私達は(お)をつけて(おかげさま)というのです」と説明があった。お米、お箸など日本人が「蔭=めにみえないもの」に対しても様をつける文化に改めて感銘をうけた。
法隆寺・薬師寺・中宮寺に多くの国宝が残っていることに、先人の見えざる「おかげさま」のお蔭と感謝した貴重な一日となった。

あっちゃんの死

2020年2月3日発刊 | NO.622

私達の敬愛する横谷敦子さん(あっちゃん)が令和2年1月28日、行年87歳にて生涯を終えられた。横谷さんは、岡山県中小企業家同友会の設立メンバー(1985年)で、長年顧問を務められ、同友会の健全な発展のために貢献してこられた。私も同友会へ入会したお蔭で、横谷さんを始め多くの魅力的な人達に出逢うことができ、理念経営に基づく人間尊重の経営を推進できたと思っている。横谷さんには、同友会仲間の多くが相談にのって頂いたと思う。
私も岡山旭東病院を「医療とアートの融合」による癒しの環境にしていきたいと横谷さんに話したところ、賛同してくださり協力をいただいてきた。一緒にアメリカの施設見学に行ったこともいい思い出である。病院の土地の購入等にも尽力いただき、当院のモニター委員としても意見を下さった。芸術に造詣が深く、私の切り絵の先生でもある。彼女の切り絵作品は病院に展示させて頂いており、沢山の作家や作品を紹介して下さった。600点余りになる当院の収蔵作品の多くが横谷さんのお蔭と感謝している。
2002年9月1日 道化医師パッチ・アダムスを招聘して講演会を開催して、「愛と笑いと互いに思いやる心が大切」とのメッセージを受け取り、記念に多目的ホールを「パッチアダムスホール」と命名した。そこを会場に「おかやまあかいはな道化教室」を18年間継続してきた。横谷さんは、骨折の怪我をするまで、道化教室にもほぼ皆勤で参加され、喜びを分かち合ってきた。
何事も決めたことはやり通していく姿勢を貫いた人であった。大腿骨骨折や腰痛に冒されながら、株式会社メイコーの社長として毎日出社し、仕事に生きがいを感じておられた。令和2年2月2日の告別式では、多くのご縁を頂いた方々が最後のお別れをした。いずれ、偲ぶ会も開催されることと思う。死に装束の横谷さんの鼻には赤い鼻が飾られ、素敵な姿で旅立っていった。長患いもせず自らの人生を生き通された一生であった。仲間内では「横谷さん」より通称「あっちゃん」と呼ばれていた。最後のお別れは「あっちゃんありがとう」と言うのが相応しいと思う。友人の奥山矩美子氏作の「あっちゃん」の肖像画の寄贈を受けた。今後も病院を見守って頂きたいと思う。「あっちゃん」は、関わった1人ひとりの心に生きている。

友人との旅

2020年1月27日発刊 | NO.621

3人の友人と家族ぐるみで毎年旅行に出かけてきた。昨年は1人体調を崩して、中止となったが、今年は皆元気に暖かい『台湾』に行くことができ、1月18日(日)~24日(金)の6日間の旅を楽しんだ。この旅行は1973年から続いている。子供が小さい時にはキャンプを楽しみ、少し余裕ができると民泊になり、旅館になり、子供が大きくなって一緒にこられなくなると国内から海外に行く機会も増えた。
年に一度の再会を誓って、今年も楽しい時間を過ごすことができた。48年の時の流れに、伴侶との死別など家族も社会も大きく変わっていく。3人とも、それぞれにするべき仕事もあり、動くことのできる健康を授かっていることを感謝している。直近では、2011年 ベトナム、2012年クワラルンプール、2013年ミャンマー、2014年タイ、2015年台湾、2016年石垣、2017年ハノイ、2018年ジャカルタを訪れた。互いに80歳を超えて、これから何時まで続くか分からないが、一年に一度の再会で、医学のこと・世界の動き・働き方・人の生き方を語り・異文化とのふれ合い、海外での美味しい食事を共に経験する。来年の旅を今から楽しみにしている。健康に留意して、来年の旅と再会を生きがいの一つとして歩んで行きたい。再会を誓って台湾を後にした。

 老いること
 老いることが
 こんなに美しいとは知らなかった
 老いることは
 鳥のように
 天に近くなること
 花のように
 地に近くなること
 しだれ柳のように
 自然に頭がさがること
 老いることが
 こんなに楽しいとは知らなかった
 「坂村真民」

こんな人生がおくれればいいなと思うこの頃である。

人間力とは何か

2020年1月14日発刊 | NO.620

人間力とは、優しさ、包容力、関わり合いの知恵や人間としての魅力などを含む全てを表す言葉ではないかと思う。
教育者である森信三先生の言葉に「人生二度なし」がある。二度とない人生であるからこそ、縁があって出逢った人に、その人の人生にとっては些細なことでも関わり合うことが大切だと思う。
朝の挨拶や「ありがとうございます」の声掛け、『ゴミを拾う』『迷っている人に道案内する』などは、小さな事だが人間力の一つではないかと思う。また、人が困っているときに相手の立場に立って相談にのる人間力も大切だと思う。
長年、中同協の幹事長を務めた赤石義博氏からも多くを学ばせていただいた。
赤石氏は「いきる・くらしをまもる・にんげんらしくいきる」が人間社会の理想のあり方であると提言されてこられた。
地球環境の破壊、戦争やテロ、原子爆弾などの核兵器、格差社会の進展、人間同士の差別などは「いきる・くらしをまもる・にんげんらしくいきる」には相応しくない。
これらのことも含め、ひとりひとりが考えて行動することで、人間力を高めることになると思うが、いかがであろうか。

参考文献
赤石義博(2004)『人間力経営―社長と幹部の共育ち実践編』 鉱脈社.
1985年から11年間全国中小企業家同友会全国協議会幹事長を務め、多くの中小企業家に長年に亘って経営理念の大切さを浸透させた。2016年3月10日に逝去。享年83歳。

環境破壊に思う~新しい時代への解決策

2020年1月6日発刊 | NO.619

バクテリアも人間もたった一つの細胞から生まれた。
「生命誌」を提唱した中村圭子氏の「いのち愛づる姫」の物語は心を打つ。
命の生まれた地球環境を破壊してきた元凶は私たちの人類であり、地球上の生命が脅かされている。
私たちは、命を食べて生存し、地球環境を破壊し、天然資源を利用して生活を豊かにしようと科学を発展させ、経済活動を発展させてきた。
人口も爆発的に増大して、あらゆるものを飲み込む生物として発展してきた。
地球環境を破壊するのを防ぐためには、人類が消滅するのが一番ではないかとさえ思われる。
そうすれば、それなりに自然は新たな循環状態を回復していくに違いない。

とは言っても、人間はいろんな困難を克服してきたのだから、生命の特徴(大田堯先生の考え)である、ちがう、かかわる、かわる を根本的な考えとして、
①それぞれの違いを認め(人間との違いだけでなく動物や植物との違い)、②かかわりあっているのは命のあるすべての動植物であり、③関わり合いの知恵を学び自己変革していく。
その関わり合いの知恵が、人と人の絆であり、自然保全であると考える。それは「かすかな光」であるが、その知恵なくして生命の存続はない。

国連で演説(2019年9月23日)した、スエーデンのグレタ・トゥーンベリさんの怒りのスピーチ。
「多くのひとたちが苦しんでいます。多くの人たちが死んでいます。すべての生態系が破壊されています。私達は大量絶滅の始まりにいます。それなのにあなたたちが話しているのは、お金のこと、経済発展がいつまでも続くというおとぎ話ばかりです。」
新しい時代への解決策は私たちの一人一人の身近にあるのかもしれない。

参考文献
大田堯(1998)『生命のきずな』 偕成社.
中村圭子・山崎陽子・堀文子(絵)(2007)『いのち愛づる姫』 藤原書店.

節目

2019年12月23日発刊 | NO.618

先月、人生の節目80歳を迎えた。
長くもあり、短くもあった人生を振り返ってみると多くの人にお世話になったと感謝しかない。
「出逢いは永遠の薫り」(森岡まさこ)の言葉通り、多くの出逢いがあり、今日まで来たなと感慨が湧いてくる。
この世に、送り出してくれた母親・父親、育ててくれた両親、養育してくれた曽祖父・祖母、幼少の時代に関わってくださった小学校の先生、親戚の皆様、中学・高校時代の先生や友人、また、大学での友人・弓道部の仲間、脳神経外科への道を導いてくださった先輩、指導してくださった岡山大学脳神経外科教授(恩師西本詮先生)、同門の先生方、アメリカ留学で関わった多くのアメリカ人達、帰国後の病院研修、臨床医師として最も充実した日々でもある昭和50年~昭和62年の香川県立中央病院の脳神経外科主任部長時代の後輩医師や多職種のスタッフ達。
そして、岡山旭東病院院長となってからは、5歳違いの弟(整形外科医師)と協力して職員と共に病院づくりに邁進できたこと。経営者として、中小企業家同友会で理念経営を学び、多くの経営者と交流させていただいたことなど、多くの方々のおかげで今があると実感している。
この間には、私的・また公的にも多くの出逢いと別れがあった。
2020年4月1日から、院長職を辞して、事業承継する。残された人生をどのように送っていくべきか、楽しみでもあり、引き続きチャレンジしていきたいと思う。
坂村真民先生の「あるがままに」は、私の好きな詩である。

才なき人は才なきままに 処するがよい 花にたとえるなら侘助のように 鳥にたとえるならみそさざいのように おのれの花を咲かせおのれの歌を歌い 嘆かず訴えず なにごともあるがままに 生きるのが一番よい

妻子と手を携えて、人との絆を大切に、「あるがままに」過ごしていきたい。

病院の癒しの環境整備の歩み

2019年12月16日発刊 | NO.617

1988年以来、経営理念に基づいた経営を行ってきた。ナイチンゲールが記した「看護覚書」には、「新鮮な空気、陽光、暖かさ、清潔、静けさを適度に保ち、食事を適切に選択すること。すなわち、患者の生命力の消耗を最小限にする全てを整えることを意味すべきである」とある。
当院では、経営理念にある「快適な、人間味のある温かい医療と療養環境を備えた病院」を目指してきた。それを実現するために、患者様の療養環境と同時に働く人の職場環境を良くするために、「医療とアート」の融合を目指してきた。癒しの環境を実現するためには専門職でなくてもできる、接遇や挨拶、整理整頓清掃躾+笑顔(Smile)の6Sの実践なども大切である。また、コンシェルジュによる患者様対応や快適な居住空間の提供、地域のアーティストによる音楽コンサートや絵画、彫刻、生け花などの提供、庭園管理や園芸教室の開催、食事の提供など幅広く行なってきた。そして、毎年秋には、ボランティア・アーティストの集い(50名前後)を開催して、当院の調理師が心のこもった料理を提供して地域のアーティスト達と交流を深めてきた。
院内コンサートの開催(月2回)や絵画展示等の企画が、多くの賛同して下さるアーティスト達のお蔭で、年間切れ目なく継続できている。また、当院の4名のガーデナーによる庭造りも癒しの環境に大きな貢献をしている。それらの取り組みも含めて、経済産業省による「平成25年度おもてなし企業選」の28社の中に選出された。入院患者対象アンケート調査では、癒しの環境について90%の満足度であった。
病院は人が集う美術館であり、音楽ホールであり、快適な庭園でもある。これらの快適な癒しの環境をスタッフと共に実現していきたい。

ゴルフから学ぶ

2019年12月9日発刊 | NO.616

私のゴルフは、未だに100を切れず、アベレージゴルファーにもなれない、へたの横好きといっていいかと思う。34歳の頃、脳神経外科の専門医試験に合格したお祝いとして、M先生に、ゴルフ場に連れていっていただいたのが初めてだった。その後、赴任先(香川県立中央病院)で、香川医科大学副学長であったO先生やN先生と一緒にラウンドさせていただき、人との絆ができ多くの学びを得ることができた。
1987年、赴任先の高松市から岡山に帰ってからは、年に5~10回、友人や中小企業家同友会の仲間とラウンドする程度で、腕は全く停滞している。
一昨年、「ゴルフレッスンの神様 ハーヴィー・ペニックのレッド・ブック」に出合った。とても解りやすいゴルフのレッスン書で、読むほどにゴルフの奥深さを学ばせていただき、本気でゴルフをしたいと思った。幸いに、私の友人のK氏やシングルプレイヤーのN氏にゴルフの楽しさや指導もしていただいている。ハーヴィーの教え子たちが語る中に、賞金王にもなったベン・クレンショーの言葉がある。
「何かを教えるのでなく、『どのように表現するか』に心を砕いていた人です。私のように幸運にもハーヴィーと直接接することのできた者は、他では経験のできないようなハーヴィーの何時も変わらぬ礼儀正しさと寛大さ、そして特別な優しさに感動してきました。尊敬すべき特徴はたくさんありますが、一言で言うとすれば、ハーヴィー・ペニックという人は人生とゴルフというものの最高の形を表しているのです。」
ゴルフでは、アマチュアや子供にもプロのようなスーパーショットを時にまぐれで放つことができる。そこに奥深さがあり、面白さがあるように思う。80歳になって、これからいつまでできるか分からないが、ゴルフを通じて精進していきたいと願っている。

参考
①ハーヴィー・ペニック
アメリカのゴルフがいちばん輝いていた頃、多くのプロやアマチュアが“レッスンの神様”と慕い、トム・カイト、ベン・クレンショーという2人のメジャーチャンピオンを育てた。
②ハーヴィー・ペニック ・ バド・シュレイク(2005)『ゴルフレッスンの神様 ハーヴィー・ペニックのレッド・ブック』(本條強訳)日経ビジネス人文庫.

ユーモア・コミュニケーション

2019年12月2日発刊 | NO.615

2002年9月にアメリカの道化医師パッチ・アダムス氏を岡山に呼んで「ぼっけぇ仲良くなろうでぇ」をテーマに岡山講演会を開催した。パッチのメッセージは「愛情のこもった笑顔やユーモアで患者さんや人に接すること、スピリチュアルな対応の大切さ」であった。そのメッセージを地域に広めるために、2002年11月に「おかやまあかいはな道化教室」の第1回を始めて、18年間継続してきた。毎年4回、定期的に開催し多くの仲間ができ、多くの卒業生を送り出した。
案内人は、パッチの講演会でステージマネージャーを担当して下さった塚原茂幸氏。毎回、長野県から遠路駆けつけて頂き感謝、感謝である。現在は、長野県にある清泉女学院短期大学幼児教育学科准教授で、塚原研究室の責任者でもある。
「ユーモア・コミュニケーション」を楽しむには、1.無理をしない 2.考えすぎない 3.かっこつけない  Don't think! Feel相手の立場に立って、物事を考える。社会に属する全てのメンバーが思いやりを持って、助け合っていくことが肝心である。日常の些細な失敗やドジなことも、互いにユーモア・コミュニケーションでもって人と人の絆を豊かなものにしていければいいなと思う。人と人の絆がますます弱くなっている今、金や物や情報などよりももっと大切なもの、それは、人と人がユーモア・コミュニケーションで結ばれた真のライフラインではないだろうか。
道化教室は2020年2月16日が最終回となる。2020年からは新しい企画を計画中である。

おかやまあかいはな道化教室の詳細はこちら

古里を想う

2019年11月25日発刊 | NO.614

私が小学2年生まで通った長田村井原小学校は、廃校となって久しい。
現在、吉備中央町井原にある校舎跡は、地域の文化センターになっている。たたずまいには大きな変化もなく昔の面影が残っていて、古里を訪れると心が和む。曾祖父から5代目の家が残っていて、先祖墓もあるため、時には帰って先祖の供養をしている。
田舎はどこも過疎化が進み、若者が少なくなって、地域活性化が重要問題になっている。
都会でないと仕事がないことが最大のネックとなっていることは間違いない。交通の便などが良くなれば、働き方改革によって田舎での仕事も可能となり、生産性を向上させることで、生活に余裕ができれば、田舎住まいがいいものだと想えるのではないかと思う。
余暇を田舎でゆっくり過ごし、時には農作業もする。田舎に住むことが生活の質を上げることとなれば過疎地域が、より豊かな精神生活を送る場として変わっていくのではないかとも想う。

「古里(ふるさと)に、向かう車窓に四季の風」

五省

2019年11月18日発刊 | NO.613

一、至誠に悖(もと)るなかりしか
一、言行に恥づるなかりしか
一、気力に缺(か)くるなかりしか
一、努力に憾(うら)みなかりしか
一、無精に亘(わた)るなかりしか


「五省」は、旧海軍生徒教育で当時スーパーエリート養成校として広島県江田島にあった海軍兵学校において使用されていたもので、いわば「自戒のことば」。この五つのことを日々反省し、自分を磨くことは、何時の時代にも通用すると思う。
私たちの日々の暮らしの中でも生かしていける「五省」であるのではないか。

参考:
海軍兵学校の教えとして有名な「五省」は松下元校長が考案したもので、兵学校の精神を代表するものとして名高い。諸外国の軍人をも感動させたといい、戦後、英訳されてアナポリス海軍兵学校でも採用された。海上自衛隊にも引き継がれている。 「五省(ごせい)」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2019年11月18日 (月) 14:00 UTC、URL: https://ja.wikipedia.org

病院における癒しの環境

2019年11月11日発刊 | NO.612

昭和50~60年代(1960~70年)までは、病院内は白い壁と消毒薬の臭いが一般的であった。私は昭和63年(1988年)に岡山旭東病院の院長として、病院経営を担当させて頂くにあたって、経営理念の中に「快適な、人間味のある温かい医療と療養環境を備えた病院」を掲げた。フローレンス・ナイチンゲール(1820-1910)の看護覚書の序章に「看護とは、新鮮な空気、暖かさ、陽光、静けさを適切に保ち、食事を適切に選択し管理すること~すなわち、患者の生命力の消耗を最小限にするようにすべてを整えることを意味すべきである~」と書かれている。それを具体化するために医療とアートの融合を求め、様々な活動を取り入れてきた。高柳和江先生の主催する癒しの環境研究会に入会して、アメリカやニュージーランドの病院見学に参加したとき、病院内に絵画を取り入れ、ガーデナーが草花や木々の世話をしていることに感銘し、少しでも快適な療養環境になるように努力してきた。病院建築は、UR設計事務所(辻野会長・宇垣社長)に依頼して、木目を生かした病棟、外来、待合、検査機器の設置部屋、多目的ホール(パッチアダムスホール)等を取り入れた。人に快適なものは、何でも導入しようと実践してきた。職員が患者様に対しておもてなしの気持ちで接することはもちろん、コンサートの開催(月に2回)、BGMの設定、健康の駅(道の駅の健康版)の設置、院内ギャラリー整備、絵画展示、生け花や庭園・温室の整備、熱帯魚やメダカの水槽の設置、院内カフェの開設や最上階の霊安室の整備など様々な工夫をしてきた。患者様や職員の評価からは一定の効果はあったと思っている。
急性期病院の役割には、手術や検査、薬物療法など治療が中心にあるが、療養環境を整えることも大切である。その中で最も癒しの環境に求められることは、患者様やその家族一人ひとりと互いに関わり合いの知恵を生み出していくことではないかと思う。私も新しい時代の課題に向かってチャレンジしていきたい。

参考
フロレンス・ナイチンゲール:イギリス人、近代看護教育の母。病院建築でも才能を発揮した。クリミア戦争での負傷兵たちへの献身的活躍は有名。国際看護師の日は彼女の誕生日である。「看護覚え書」は代表的著書である。

雑草

2019年11月6日発刊 | NO.611

2019年瀬戸内国際芸術祭の最終日(11月4日)に直島を訪れた。ベネッセ美術館の須田悦弘作の「雑草」の作品に出合って、驚きと感激を味わった。
木彫りの雑草が美術館の壁に生えている。コンクリートの壁の隙間から緑の雑草が目に留まる。歩いていても気が付かず、案内スタッフから作品の説明があって初めて、そこに草が生えているのに気づく。その隙間から生えている雑草の瑞々しい緑の草がその場の空間に生命を吹き込んでくれている。
考えてみれば、一つの細胞が38憶年前にこの地球上に生命を授かって、それらが魚に、爬虫類に、哺乳類に、類人猿に、ホモサピエンス(現代人類)になった。同時に、花や木々、雑草になったと考えると、道路やコンクリートの隙間に生育する雑草という草花も大宇宙が作ったアート作品だなと思う。
瀬戸内海の島々を舞台にした、自然とアート作品の共演は、人それぞれに新たな気づきを与えてくれる。海外からの多くの人々が訪れるのも頷ける。
豊島で出会った、ニューヨークから来た50代とおぼしき旅人は、「ニューヨークも東京もよく似ている。しかし、瀬戸内海の自然と日本の風景は違って、この現代アート展は素晴しく、快適な旅行を続けている」と話してくれた。
感性を研ぎ澄ますと、自然界の全ては、アートなのだと気づかされる。

鳩の巣立ち~命のリレー

2019年10月28日発刊 | NO.610

3年前から病院の中庭に鳩が巣作りに来ていた。巣を作っても台風が来て壊れたり、巣から卵が落ちたりしてなかなか孵化しなかった。今年も鳩が来るかなと外来のスタッフと一緒に期待していたところ、雌・雄のつがいが飛来して、中庭のしだれ桜の枝に巣作りを始めた。観察していると、しだれ桜の枝をくちばしで折って採取した小枝を材料に巣を作っていた。夫婦で巣作りが済むと、雌が卵を産んで約20日間、雌・雄交代で卵を温めていた。見事孵化した後も、小さな雛を夫婦で代わる代わる餌を与え、雨の日も風の日も雛を抱きかかえている。つがいでの子育ての姿はDNAのなさせる技であり、自然界でこのように生命(いのち)のリレーが行われていることに感動した。雛がかえって4日目(10月22日)で、親のくちばしから餌をもらっている愛らしい姿がみられた。
インターネットでは、巣作りの姿が配信され動画でも見ることができる。ただ、鳩は感染源になることもあり、多くの鳩の住家になると糞の処置など衛生面の問題もあるため、状況を見守っていきたいと思う。鳩に触ったりはしないで下さい。


参考
キジバト
食性は雑食で主に果実や種子を食べるが昆虫類、貝類、ミミズ等も食べる。
繁殖期はほぼ周年で、1回に2個の卵を産む。抱卵日数は15 - 16日。抱卵は夕方から朝までの夜間は雌、昼間は雄がおこなう。雛は孵化後、約15日で巣立つ。 一般的には番(つがい)で見られることが多いが、繁殖がうまくいかなかった場合は、1シーズンで番を解消するパターンも多い。

『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2019年10月28日 (月) 16:30 UTC、URL: https://ja.wikipedia.org

人が生きる病院経営

2019年10月15日発刊 | NO.609

2025年は、戦後ベビーブームによる団塊の世代が75歳を迎え、日本がこれまで経験のしたことのない超高齢社会になると言われている。日本では、国民皆保険・介護保険によって、手厚い医療福祉制度が守られてきた。30年前の病院経営は、出来高払いで経済成長の時代のもと、診療報酬のアップがあり、護送船団方式で保護されていた。しかし、高齢社会を迎え、医療費の高騰を抑えながら医療の質を確保するために、厚労省は2003年からDPC制度を本格的に導入した。DPCは出来高払いではなく、包括医療費支払い制度で、成果報酬(アウトカム)によって支払いがきまる。それにより、病院の医療の質(専門職としてのテクニカルスキルの研鑽)と病院経営の質が問われるようになった。病院は一般企業と違って、固定費(人件費・設備投資・経費・減価償却費)の割合が大きい。医師、看護師、薬剤師、技師・療法士など20職種にも及ぶ国家資格を持った職員を多く抱えているが、医療の質の担保には欠かせない。しかしながら、急性期病院でも固定費の中で、人件費率が50%以上になると経営は厳しい。また、MR・CT・PETなど高額医療機器への設備投資が大きく、それを担保する医療収益がなければ経営はできない。病院の評価は、医療の質も経営の質も人材育成にかかっている。
21世紀の経営は「人を生かす経営」ではなく、「人が生きる経営」ではないかと思う。

ゴキブリも人間も38億年の生命誌

2019年10月7日発刊 | NO.608

「愚痴庵」発足1周年記念講演会で、中村桂子氏を迎えた講演「かけがえのない命~人間は生きものであり、自然の一部である~」を聞くことが出来た。

ビッグバンがおこり地球が生まれて、38億年前にたった一つの細胞から生まれ、人間と全ての生きものがそこから始まった。一つの生命がもつDNAの総体{ゲノム}から読み解く「生命誌」を提唱した生物学者の話で、現在の地球環境の激変に対処しなければならないと、人間を始め全ての生きものの将来に警告を発している。ゴキブリもハエも蚊もまた、38億年の生命誌を持っている。台所でゴキブリを見つけたら、共に38億年の生命誌をもった仲間として畏敬の念をもって、新聞紙で叩く、その心が大切と思った。

現在の地球環境は、過去の太陽エネルギーの産物である石油・石炭の大量消費による炭酸ガスの排出などによって、結果として温暖化が惹起されている。日本列島も亜熱帯化し、台風も大型化して集中豪雨など、生活環境は激変しつつある。世界中でも恐ろしい災害が続いている。

私たち人間は、自らの手で遺伝子の改変が可能となり、植物・動物を作り替えることができる手段を手にした。自然の摂理によって「生命誌」が成り立ってきた。その一線が突破されて人工的な「生命誌」の時代に入ったのではないかと思う。

人間もゴキブリも同じ、地球上の生きものであり、お互いに共生していく地球環境を1人ひとりの身の回りから行動して残していくことが、人間(大人)の責務である。



参考
①環境問題に対する国連本部での若者のスピーチ
*米ニューヨークの国連本部で9月23日開かれた気候行動サミットで、スウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥーンベリさん(16)が各国政府の気候変動に対するこれまでの取り組みを強い口調でとがめ、対策を加速させるよう促した。(ロイター)2019年9月24日公開
*2014年9月23日、ニューヨークの国連本部で開催された国連気候変動サミットの開会式。キャシー・ジュトネル=キジナーのスピーチ。マーシャル諸島出身の26才の詩人が、生後6ヵ月の娘のために書いた詩を披露しました。2016年10月6日 に公開
*セヴァン・カリス=スズキ(2003)『あなたが世界を変える日 12歳の少女が環境サミットで語った伝説のスピーチ』学陽書房.

②大田堯,中村桂子(2018)『百歳の遺言』 藤原書店 .
③中村 桂子, 山崎 陽子, 堀 文子(2007)『いのち愛づる姫―ものみな一つの細胞から』 藤原書店.

幸福とは何か。

2019年10月1日発刊 | NO.607

自分が生きていることに満足しているとき。心が豊かで満たされているとき。人間関係が豊で生きがいを感じるとき。自分の夢が達成されたとき。試合で優勝できたとき。お金持ちになったとき。事業が成功したとき。目的の学校に進学できたとき。思っていた仕事に携わったとき。美味しい食事を食べたとき。家族の仲がいいとき。友人と語り合ったとき。オリンピックで金メタルを獲得したとき。世界選手権で優勝したとき。世界から核兵器が廃絶されたとき。地球環境が破壊されないように全人類が協力するとき。戦争やテロがなくなったとき。
幸福を感じることができるのは人間だけで、人間の心で感じるのではないかと思う。
心は何処にあるのか、脳の仕組みの中にある。それは宇宙の成り立ちの解明と同じくらい神秘で、多くの科学者にとっても解明の夢だと思う。
人間としてとっておきの第三の幸福がある。それは、おおきな目当てを持ち、自分の心に問いかけながら、その目あてに照らして分別し続ける生き方である。このような生き方をしている人の目は美しく輝いている。「大田堯」 幸福感は、その1人ひとり違い、時間と共にうつろい変わるものである。しかし、第三の幸福は、大きくその人の人生を彩ってくれるものと思う。

参考
中小企業家同友会全国協議『共に育つ』,p6-18

未来への挑戦

2019年9月24日発刊 | NO.606

医療福祉を取り巻く環境は、日々厳しさを増している。
医療技術の進歩、電子カルテから始まるICT、診断に対するAIの導入、高額医療機器などの開発、高額薬品の導入など経済的側面の解決をどうするのか。
高齢化に伴う疾病構造の激変(ガン患者・肺炎の増加、脳卒中・心疾患に伴う介護患者の激増)にどう対応していくのか。
更に超高齢社会の中で、認知症患者増加に対応した在宅介護ができるのか。逆走運転に対する予防的自動車免許返納などの取り組みをどうしていくのか。
認知症状があっても、地域で生きていける認知症フレンドリー社会を目指す運動が、厚生労働省から「オレンジチーム構想」として打ち出されているが、具体的にどのようにするのか。

私たちを取り巻く生活環境は、経済的にも政治的にも自然環境にとっても混沌としており、医療福祉の問題に留まらず、私たちに課された問題は多岐にわたる。
更に、世界各地域でおこる戦争・テロ活動など、平和を引き裂く過激な事件が絶えない。国家のリーダーが英知を集めて、自己中心的な考えを捨てて、世界平和を真剣に討議してくれることを願ってやまない。

私たちは、1人ひとり違っている。そして本来、自己中心的である。しかし、1人ひとりが関わっていないと生きてはいけない。
その関わり合いの知恵を学び、自ら変わっていくこと。その知恵を学ぶことが、私たち1人ひとりの課題でもある。それは国のレベルでも同じである。
私たち、1人ひとりが身近な事から、未来に向けて挑戦していくことが、「かすかな光であっても」課題を解決していく力になるものと思う。
何事も未来に向けて挑戦「Leap into the Future!!」。

ゴルフのご縁

2019年9月17日発刊 | NO.605

私がゴルフを始めたのは、脳神経外科の専門医試験をパスした年(1973年)に遡る。
当時は、『脳神経外科専門医試験を合格したらゴルフをしてもよい』との不文律があった。今は亡き松本圭蔵先生(徳島大学名誉教授 脳神経外科)が専門医試験合格のお祝いにと、岡山国際ゴルフ倶楽部に連れていって頂いたのが最初であった。
もともと私の父(健男)もゴルフが大好きで、桃の里のゴルフ場を父と兄弟で一緒に回ったこともあり、今も懐かしく思い出す。その後、35歳の時に香川県立中央病院に赴任して、前任者の上田伸先生から、付き合いもあるからゴルフも嗜んだ方がよいとの言葉で、病院の先生方と年に数回のゴルフを楽しんだ。
香川県立中央病院時代のゴルフは忙中閑ありでいい思い出となっている。1987年に岡山に帰って、岡山旭東病院の経営に携わるようになってからは時間もなく、ゴルフから離れ、100が切れないままに現在を迎えている。最近は、月に一度程誘ってくださる友人やご縁をいただく方々と一緒にラウンドしている。
最近、日本で3番目のプロゴルファーとして、有名な「宮本留吉」氏の回顧録を読んだ。小学生5年生でキャディーになり、やがてプロゴルファーとなって日本から初めて海外遠征し、球聖ボビー・ジョーンズとエキシビジョン・マッチで5ドルを賭けて破ったとある。
宮本氏は、「その試合を行った1932年3月23日は私の生涯における最も輝かしい思い出の日である」と書いている。日本でのゴルフも創成期で、戦争を挟んでの苦難の歴史があったことを知ることができた。ゴルフレッスンの神様ハービィー・ペニックのレッド・ブックの中に「日本人と言えば、昔、何人かでチームを組んでやってきたよ、トミー宮本はまだ生きているかな」とゆう一文があった。多くの先人のおかげで、プロゴルファーは社会的地位を確立し、多くのファンを楽しませてくれている。
宮本留吉氏のゴルフ一筋とはいかないが、下手は下手なりに楽しいゴルフをしたい。せめて100を切ってみたい。


参考
宮本留吉(1984)『ゴルフ一筋―宮本留吉回顧録』 ベースボール・マガジン社.

しぐさ

2019年9月9日発刊 | NO.604

「しぐさ」とは普段何気なくしている行動で、無意識のうちにその人の性格や人柄が、知らずしらずに写しだされるものである。
2002年9月1日に、パッチ・アダムスを岡山に招聘して講演会を開催した。パッチのメッセージは「愛情のこもった笑顔やユーモアで患者様や人に接すること、スピリチュアルな対応の大切さ」であった。それを記念して、「おかやまあかいはな道化教室」を、パッチの講演会のステージマネジャーを務めて下さった塚原茂幸氏(現在清泉女学院短期大学幼児教育科准教授)を案内人として、17年間にわたって道化教室を開催してくださった。数々のワークショップを通じて、笑顔とユーモア・コミュニケーションの大切さを学んできた。
塚原さんによると「人と人の関係性を円滑にするサプリのようなものです。ユーモアによって人生が劇的に変化することはありません。しかし、ユーモアが身近に存在することで、乗り越えられる困難もたくさんあるはずです。」これは、下記の参考図書からの引用である。歩き方や握手、挨拶などの仕草からもその人の人柄や性格までも感じることができる。心が変われば、自然と「仕草」も変わっていくと思う。私たちは他との関係性の中に生きている。学び、進化して生きていきたい。


参考
①塚原成幸『ユーモア コミュニケーション ハンドブック』中外印刷.
②DR.パッチ・アダムス:
パッチ・アダムス(Patch Adams, 1945年5月28日 - ) アメリカ合衆国の医師。
クラウンドクター。本名はハンター・キャンベル・アダムス(Hunter Campbell Adams)という。 ワシントンD.C.の生まれ。
トム・シャドヤック監督で、ロビン・ウィリアムズの主演による映画『パッチ・アダムス トゥルー・ストーリー』の実在のモデルである。ホスピタルクラウン、クリニクラウン(臨床道化師)を始めた人。
現在も世界中でクラウニング活動の実践や、更なる普及に向けて講演活動をしている。日本にも講演会の為に何度か来日している。 「パッチ・アダムス」『フリー百科事典 ウィキペディア日本語版』。2019年9月9日 (月) 14:51 UTC、URL: https://ja.wikipedia.org

医師事務作業補助者とは何か

2019年9月2日発刊 | NO.603

病院で働く職種の中でも『医師事務作業補助者』を医療関係者以外の人で知っている人は少ない。医師、看護師、薬剤師、放射線技師、臨床検査技師、管理栄養士、リハビリテーションに関わるPT・OT・STなどは、多くの人に知られるようになってきた。事務職も今やその役割は多岐にわたっているが、『事務を執っている人』程度の認識ではないかと思う。しかし、病院も一般企業と変わりなく、企業としての経営が非常に大切となり、護送船団方式から自己責任の時代に突入している。従ってノンテクニカルスキルを持った経営幹部が必要となってきている。
働き方改革も例外ではないが、医師については5年の猶予をおいて法制化される方向である。医師の仕事は外来診療、入院治療、手術だけでなく、患者家族へのインフォームドコンセント、診療記録・診断書・他院への紹介状・生命保険や賠償保険等の書類作成、医療の質向上へ向けたカンファレンスや研究、学会発表、論文作成等、診療だけの業務では済まない。日本の医療は、病院医師の長時間労働によって支えられてきたと言っても過言ではない。その、医師の業務の中で代行できる部分を「医師事務作業補助者」が代行し、医師の業務を軽減させ、患者さんが快適に診療を受ける環境を改善してきている。
2019年8月31日に日本医師事務作業補助研究会 第5回岡山地方会(当院近藤祐加が岡山支部長を務める)が、倉敷中央病院付属予防医療プラザで開催された。約120名の医師事務作業補助者が集って研修を受けた。講演は久保田巧氏(NPO法人日本医師事務作業補助研究会顧問)による「医師事務作業補助者をマネジメントする~その仕組みとは~」で、「業務範囲・書類作成・代行入力・教育・NCD」に分かれてのグループディスカッションが企画された。人材育成の内容も進化し、この数年間で、全国大会や各地の研究会などが全国で展開されている。
医師事務作業補助者の具体的な仕事の内容は、医師の外来診察では、患者さんの訴えや医師の指示などを電子カルテに代行して打ち込み、診療を円滑に進めている。他にも、医師の指示の下に、診断書やサマリー等の下書きや代行記載をする、病棟回診に同行して医師の評価をカルテ記載するなど、医師の働き方の改善に貢献している。同時に、医療が多職種連携によって成り立っていることから、多職種との連携にも医師事務作業補助者への期待は高まっている。名称については『臨床支援士』などが取りざたされている。NPO法人日本医師事務作業補助研究会(理事長矢口智子氏)の質を高めて、社会的認知を得られるよう、今後の活躍に期待したい。

図書館と本の楽しみ

2019年8月26日発刊 | NO.602

本を捨てるのが惜しいので、本棚に書籍がたまってくる。しかし、いずれ処分しなければならないときが来る。したがって、今のうちから整理して読んで頂けそうな小説、歴史書・偉人伝などは、病院の患者様ライブラリーに寄贈している。その他の多くの本や雑誌類はまとめて、リサイクル店で紙資源として提供している。
本を読むことで、自分のできないことや体験していないことを知ることができる。偉人の伝記を読んで生き方を学ぶことができ、子どものみならず、老人にも刺激となる。超高齢社会にあって老人であっても、本を読むことによって、脳の活性化を促し、認知機能の老化をいささかでも遅らせることができる。
岡山旭東病院の「患者様ライブラリー」は、多くの患者さんに喜んで頂いている。担当の司書が本の整理や展示に工夫を凝らしている。勿論、病院の学術図書も開設している。
また、読書好きの仲間が10人ほど集って、同じ課題の本を読書し、お茶を飲んで感想を述べあう読書会を定期的に開いている。このような読書会がお薦めである。読み手によって受け止め方も違い、未知の分野の学びを深めることができる。
岡山県立図書館は全国的にも個人貸出本数が日本一(2019年)であり、誇らしく思う。岡山県には、各市町村に図書館があり、また新しく建築する計画もある。高梁市の図書館は、JR高梁駅に併設され、図書館内にはスターバックスも営業しており、学生さんや家族連れが多く集い利用されている。このような形式の図書館も地域のニーズに合っている。
その地域に住む幸せの環境整備に、図書館が整っていることが条件の一つとの報告がある。図書館のあり方も、電子図書の導入など、AI時代を反映して、変わっていくものと思うが、今後も住民の幸せを願っての図書館は街の中心的な役割を担っていくものと思う。

思い邪(よこしま)なし

2019年8月19日発刊 | NO.601

北康利著による「思い邪なし 京セラ創業者 稲盛和夫伝」を読ませて頂いた。 稲盛和夫氏は1932年鹿児島市生まれ。1959年に京セラを創業し、1984年第二電電を設立、2010年に日本航空(JAL)の会長に就任、JALの再建を成し遂げた経営者である。

中小企業の経営者に経営塾(稲盛塾)の塾長として、経営哲学を伝えて若手経営士の育成に心血を注ぐ。また、1984年には私財を投じて、稲盛財団を設立し、国際賞「京都賞」を創設、人類社会の進歩発展に功績のあった方々を顕彰している。

その経営哲学の柱は、「思い邪なし」だと思う。中小企業の経営でも、中小病院の経営でも、経営判断をするとき「思い邪なし」を実践できれば「天」が助けてくれる。山田方谷の「義を明らかにして、その利を図らず」と同じ方向ではないかと思う。

時代が変わっても、AI時代になっても、心の持ち方がいかに大切かを学ぶ事ができる。


参考文献
北 康利(2019)『思い邪なし 京セラ創業者稲盛和夫』 毎日新聞出版.

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